第十五話 死に場所
ヴァイスがハイテンションで名乗ると同時、リナが抜き放った操魂の死刀がヴァイスの首に突き立てられた。
「今団長を殺すと言いましたよね? 適度な愚かさは身を助けますが、いき過ぎれば身を滅ぼしますよ?」
「やめないかリナ……‼ しかし、貴方も貴方だ。一体何を意図しての発言かお聞かせ願いたい」
「いくら何でもキャラ違い過ぎるだろ。リナに負けて頭おかしくなったんじゃねえの?」
レイの言い分は最もだ。とても昨夜と同一人物とは思えないヴァイスの態度と言動は、竜と猫随一の頭脳を持つレイにも理解は困難であった。
「意図? そんなものはありませんよ。ですが強いて言うなら、八つ当たりですね」
「八つ当たり?」
大げさに両手を空に向かって振り上げ、演説の様にヴァイスは続ける。
「そう! 皆さんも経験したことがあるのではないですか? 腹が立ったから目の前のものを壊す。ええ、それだけです。この様にね?」
「何を……! あっ……」
隙を突かれヴァイスに手首を掴まれたリナを大きな虚脱感が襲い、リナはあっという間に地面に跪いた。
何か大切なものを奪われた。ただそれだけは確かだ。
そう、奪われたのは、
「リナから、離れろ‼」
目の前で起きた現象から即座に現状を把握し、一番早く動いたのはシルだった。
リナの手首を掴んでいるヴァイスの腕目掛けて刀を振り下ろし、ヴァイスがそれに反応して手首を離したのを見計らい、リナを片手で抱えて仲間のいる後方へと飛び下がった。
「何だよ……今の!」
「どういうこと? 何かの固有魔力?」
「いや、違う。シル! これは……」
未だ現状を把握できないルートとノルノを置き去りに、シルに遅れてようやくレイが起こったことを理解した。
シルの予想が間違っていなければ、リナが奪われたのは魔力だ。そしてその能力は、偶然にもこの場の全員が見覚えのあるものだ。
「ああ、【餓食】の能力だ。お前、竜具に吞まれたな?」
そもそも何故破竜が消滅した後に竜具が残るのか。その理由は単純なもので、能力を貸し出す対価として取引相手の魔力を取り込み、破竜として復活を果たすためだ。
しかし、たかが一個人の魔力をちまちま取り込んだところで、高密度の魔力で構成される破竜の体の再構築には何十年かかるかわかったものではない。
さらに破竜として復活するためには、魔力の条件を満たしたうえで、取引相手の自我を奪わなければならない。この条件も取引相手の精神と取引内容の隙間を上手く突かなければならず、現実的なものではない。
そして、竜具と取引を交わす際には、魔力以外を取引材料とするのが定石だ。
以上の理由から竜具から破竜が復活することは、ごく稀にしか起きない。
それにもかかわらず、どういうわけか恐らく今のヴァイスは、その条件をすべて満たしている。
「だとしたら合点がいかんな。竜具を持っているならば、何故昨日の決闘で使用する素振りすらなかった? 後日復讐に来る卑怯さならば、プライドというわけではあるまい。そもそもの話……」
自分の見解を述べ、シルは確認するようにレイへ目線を送った。
「うん、餓食戦の跡地から竜具は発見されなかったと聞いている」
破竜討伐後の竜具の捜索は、破竜討伐に関わる者なら誰しもが持つ共通認識だ。売れば金になり、上手く使えば大きな戦力増加につながる竜具を手に入れるチャンスを不意にする理由はない。
だが、今回の餓食戦においては、餓食を倒した直後にシル達が軽く周囲を捜索し、その後に救援に駆け付けたシグルズ騎士団の別動隊も捜索に加わったが、竜具らしきものは発見されなかった。
「仮に何者かが奪い去った餓食の竜具をお前に与えたとして、それはどれだけ早くとも昨日の話だ。こんな短時間で竜具が自我を奪えるほどに魔力を蓄えられるはずがない」
「ぐだぐだうるさいですねぇ。いいからさっさと殺り合いましょうよぉ……っと危ない」
「チッ……不意打ちは不発か。反応速度も昨夜とは大違いだな」
わざわざ長話でヴァイスの気を引き、瞬時に距離を詰めて放ったシルの刀は、難無くヴァイスの剣によって受け止められた。
そのヴァイスの所作は、とても昨夜リナに圧倒されていた人間と同一人物とは思えない。
「ああもう、めんどくさいなあ……もういいや」
ヴァイスがそう呟き自らの心臓を右手で貫いたのと、ヴァイスの魔力が急激に上昇したのはほぼ同時だった。
「クソが! めんどくさいはこっちのセリフだ!」
この後に起こる最悪の事態を想定し、シルは即座にヴァイスから離れた。
魔力の急上昇は、破竜が復活する前触れだ。以前に破竜の復活に遭遇したシル達は、それを知っている。そして、その恐ろしさも。
「シル、これはさすがに不味すぎる。撤退しよう」
「何呆けてるのシル! 早くリナのこと担いであげて!」
「おい‼ 団長!」
掛けられる言葉に返事は返さず、ヴァイスを中心に発生している魔力の渦を見ながら、シルは今この時点での最善策を模索する。
正直【餓食】に勝利できたのはただの幸運だ。前もって能力を知ることができ、事前に策を練って奇襲で押し切ることができた。ただそれだけのこと。
万全の状態で復活した破竜を真正面から相手取ったとして、この五人で勝利できる可能性はゼロに等しい。
(うん、やっぱこれしかないな)
破壊の権化たる破竜の復活を前にして、不思議とシルの心は穏やかだった。もう、覚悟はできていた。
「シル! 早くし」
「このままこいつを放置すれば、王都が危ない。俺はここに残る。お前らはリナを連れて逃げろ」
そのシルの選択を予想していた者はこの場にはいなかった。他の何より仲間と自分の命を第一に考えるシルが自己犠牲を選ぶなど、シルの事をよく知るからこそ思いつくはずがない。
「こんな時に何を馬鹿な……本気なのか?」
レイが見たシルの目は、今まで見た中で最も真剣なものだった。そして、シルに決意を変えさせることは不可能だとレイは悟る。
「こんな先の見えない旅に何年も付き合ってくれてありがとう。お前たちのおかげで、俺はもう一度シューネと出会うことができた。報われたよ、俺の八年は。本当にありがとう」
シルがめったに口にしない素直な感謝の言葉。しかし、それは今の状況ではまるで遺言の様で。
「――わかった。君がそれを望むのなら」
「団……長だ……めです……‼ 私は、私は……まだ、団長に何も……」
全く力が入らない体の奥底から声を振り絞り、ルートに背負われた状態でリナはシルに呼びかけた。
例え親友のレイが許しても、リナはシルの選択を許しはしない。
シルは今の全てをくれた恩人なのだから。シルを喪うことは、リナにとって自らの死以上の恐怖に他ならない。
もっと一緒に居たい。同じ時を共有したい。それが叶わないのならば、せめて傍で一緒に戦わせて欲しい。
そのリナの切なる願いは、
「ごめんなリナ。最後まで一緒に居られなくて。でも、俺はここでいい。いや、ここがいい」
当のシル本人によって却下された。
「でも……でも……‼」
「リナ、お前の気持ちは痛いほどわかる。けどな、男が決めた死に場所に、他者が口出しするべきじゃないと俺は思うぜ」
わかっている。わざわざルートに言われなくとも、本当にシルの事を想うのならば、その覚悟を否定するべきではないことはリナも重々承知だ。
しかし、こればっかりは理屈ではない。リナのシルへの想い、心の問題だ。
「――シル、これまでの感謝を。君のことは、ずっと忘れないよ。僕の最高の親友の事は」
「団長、今までサンキューな。あの世でもちゃんと飯食えよ?」
「シル……ありがとね」
リナ以外がそれぞれの別れの言葉をシルに送り、背中を向けて王都の方へと走り出す。
「団長……」
ルートに背負われ大粒の涙を流すリナだけが、遠のくシルの背中へとずっと手を伸ばし続けていた。
「――やっと行ったか。さて、人生最後の大仕事、派手に行こうか! 竜の紋章、
『――ォォォォォォ‼』
死に場所を定め、己を鼓舞するために放ったシルの叫びに、完全に復活を遂げた【餓食】も同じく叫びで応える。
その叫びを開幕の合図に、シルの人生を飾り付ける最後の演舞の幕が上がった。
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