第10話 立場逆転

『あぁ、美しき姫様よ。貴方はどんなに突き離そうともこの俺を愛してくれると言うのか』


『もちろんです。初めてお会いした夜会で、仮面越しにも貴方のその瞳の美しさはわかりました。あの夜以来、わたくしの心には貴方のお姿が焼き付いて離れないのです』


『ありがとう愛しい人。だが、貴方が愛してくれた俺は真の俺じゃない。きらびやかな光の元で生きるこの姿はまやかしだ、いつかこの魔法は解けてしまう。そのときに、真の姿を見られて貴方を失うなど耐えられない!』


 舞台は満月に照らされた白いバルコニー。幻術魔法で本当に星空の背景が見えるセットの上で熱演する王子役のミーシャと姫役のシャーロットの姿に、リハーサルを見ている生徒達から感嘆のため息が漏れた。

 上々のリアクションに、凛々しく王子役を演じながらもミーシャは内心上機嫌になる。


(よしよし、我ながら良い感じね!これも特訓に付き合ってくれたシャーロット様のお陰だわ!)


 次の場面はこの劇中で王子の一番の見せ場だ。王子が偽物と知った大臣達の手で別の国の王子の花嫁として送られてしまう姫。それを、馬車の背に飛び乗り拐いに行く場面である。


(さぁ、張り切って行くよーっ!)


 舞台袖に用意されたジャンプ用の魔術具トランポリンにミーシャが飛び込む。そのまま器用にポーンと彼女が舞い上がった瞬間、セット係だった女子生徒がニヤリと笑った。


 くるりと空中で身を翻したミーシャが軽やかに張りぼての馬車の背に着地した。……否、着地しようとした。あ、と思う間も無く、お腹がゾワッとするような浮遊感に襲われた。


「きゃっ……!?」



 バキッと言う音がして、一瞬舞台も見学の生徒達も静まり返る。


 皇子らしく繊細な装飾が施されたブーツの爪先が触れた途端、嫌な音を立ててセットが壊れてしまった。突然足場を失い落下の勢いを殺しきれなかったミーシャは、そのままセットを突き抜けて奈落まで落っこちてしまう。


 ひと一人が落下するガガガガガガっと言う鈍い音が止まった数秒後、ようやく、周りも何が起こったのかを理解した。


「きっ……きゃぁぁぁぁっ!ミーシャさん!!」


「セットが壊れたぞ、どうなってるんだ!?」


「そんなことよりミーシャ嬢の救助が先だ!意識はあるか!?」


 いち速く動き出した教師達が白い顔で走り回り、駆けつけた保険医が奈落の底に落ちたミーシャの名を繰り返し叫ぶ。

 だが、ミーシャは反応しない。完全に気を失ってしまっているようだ。


 顔を見合わせた教師達の顔色が見る間に消えていく。


「ミーシャさん!ミーシャさんしっかり!困りましたね、この奈落の深さと幅では大人が救出に入るのも難しいですし……!」


「かといって、今の彼女の容態を見ると悠長に様子を見ている訳にも……!」


 気を失ったミーシャの肌は、いつもの白魚のような美しさを通り越して病的なまでに白く染まっている。もしかしたら、打ち所が悪かったのではと周りが慌てふためく中、ひとつの人影が身一つで奈落へと飛び込んだ。


「……っ!ル……いや、シャーロット!!」


 その姿を見たライアンが舞台まで駆け寄って来たが、皇子に名を呼ばれても構うことなくシャーロットはミーシャの救助に向かう。


 丁寧に結い上げた金糸の髪が乱れることも構わず、奈落の壁を駆けおりたシャーロットがミーシャの身体を抱き上げた。


「ミーシャさん!ミーシャさん、大丈夫ですか!?しっかりなさいな!」


 いつもの溌剌はつらつさが無いミーシャの身体は、不安になるほどに軽い。男装していようが、いつもうざったいくらいに元気いっぱいだろうが、やはり身体はか弱い少女なのだ。

 ゾッと沸き上がった悪寒を振り払うように、シャーロットはミーシャの名を呼び続ける。


「ミーシャさん起きなさい、このままではあんなに練習した日々の甲斐なく舞台に出られなくなってしまいますわよ!ミーシャさん、ミーシャさん!」


 頬を叩いても、揺すっても、ミーシャの目蓋は下りたままだ。ぐっと、シャーロットは拳を握りしめる。


「~っ!しっかりしろ、ミーシャ!!」


「……っ!あの馬鹿……っ」


 突然響いてきた年若い男性の美声にライアンは青ざめ、ミーシャを心配して集まっていた生徒達がざわめく中。次いで奈落の中から『はいっ、起きてますごめんなさい!』と言うミーシャの声がして。


 『起きているならさっさと返事なさい、紛らわしい!』と言うシャーロットのチョップが炸裂した音に、安堵の息と笑い声が上がった。












ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「骨折ではありませんが、どうやら重度の捻挫の様です。この足では、とてもアクションシーンの多い王子役を演じるのは難しいですな……」


「ええぇっ、そんなぁ!今日の為にあんなに練習したのにぃ!!あいたっ!」


「診察に駆けつけて下さったお医者様にその態度は何ですか?命に別状がなかっただけ有りがたいと思いなさい、人騒がせな!」


「ううぅ、ごめんなさーい……」


  保険医ではなく、大事を取ってライアンとシャーロットが呼んでくれた王宮医師に『舞台には立てない』と診断され、ミーシャは力なく控え室のソファーに突っ伏した。

 メソメソと珍しく汐らしさを滲ませるその足には幾重にも包帯が巻かれていて痛々しい。これでは、王子の衣装である細身のブーツはもう履けないだろう。


「うぅぅぅー……、悔しいよぅ……!」


「……諦めなさいな。捻挫は無理をすると癖になります。学生時代の一介の遊戯の為に無理をして、身体に一生痛みを残すおつもり?」


 嘆くミーシャの頭をポンと叩いて、珍しく優しい声音でシャーロットが言う。確かに、彼女の言い分は最もだ。だけど……。


「わかってますけど、晴れの舞台に立つことすら出来ないだなんて。あんなにいっぱい練習に付き合ってくれたシャーロット様にもう合わせる顔がありません……!!」


 その言葉通りガバッと頭からブランケットを被ったミーシャのすすり泣きが控え室に響く。その脇に転がる舞台の台本には、最早もとの文字が読めなくなるくらいびっしりと書き込みがされていて、改めてミーシャがこの日の為にどれだけ頑張ってきたかが伺えた。


 ちらっと、シャーロットが壁にかけられた予備の王子衣装を見る。それをめざとく見つけたライアンが、ニヤリと口角を上げた。


「この舞台で一番激しく動く役はやっぱり王子だから、別の役になればミーシャ嬢も出演出来るだろうけれど。そのためには、君の代わりに完璧に王子役をこなせる人間が必要だからやはり難しいだろうねぇ。いやぁ、可哀想に……」


 わざとらしいくらいに哀れみを滲ませた口調でミーシャに語り駆けるライアン。しかし、その目は面白そうに歪められ、まっすぐにシャーロットを見ていた。


 ブランケットにくるまっているせいでそのことには気がつかないミーシャが、弱々しい声で答える。


「王子役が似合う中性的な美貌の持ち主で、体術剣術完璧で、しかも無っっ駄に小難しい言い回しが多い王子役の台詞を暗記してる人なんて都合よく居る筈ないじゃないですか……。悲しくなっちゃうんで、もうほっといて下さい……!」


 ぐるんとまたミーシャが体制を変えた。その拍子に宙に舞った一粒の涙が、ミーシャの頭を撫でていたシャーロットの手の甲に当たる。


「~~っ、全くもう!仕方がないですわね!」


 観念したとばかりに前髪をかき上げたシャーロットが、『少しお待ちなさいな!』と更衣室に姿を消す。程なくして聞こえた扉の開く音に興味を引かれ、ミーシャもついブランケットから顔をだして振り返った。


「……これなら、文句無いだろう?」



 紫紺の上質な生地に、輝きを抑えた金糸と銀糸の刺繍があしらわれた王子の礼服。それに身を包んだ金髪の美男子の姿に、ミーシャの口がパクパクと動く。


「わぁ……!え、え!?シャーロット、様……?」


「こんな美貌の持ち主が、わたくしの他に二人と居るとお思いになって?」



 驚愕しているミーシャをからかうように、わざと女声に戻した口調でシャーロットが皮肉を言う。『あ、本物だ』と呟いたミーシャの額に凸ピンが炸裂した。


「いっ、いったぁぁぁ……!」


「君が馬鹿なことばかり言うからだよ。それより、あれだけ散々練習に付き合ってあげたんだから、当然姫の方の台詞も覚えてるよね?」


 いつもと違う髪型、いつもと違った顔つきで、いつも通りの厳しくも優しい声でシャーロットが問いかける。頷くと、ふわりとお姫様だっこで抱え上げられた。


「では今宵は、私が貴女の皇子になりましょう。御相手頂けますか?姫君」


 その微笑みを間近でくらったミーシャは、あぁ、自分は何を自惚れていたのだろうと反省した。


 今、自分を軽々と抱え上げ余裕綽々に微笑んでいるこの人こそ、正しく男装の麗人だ。最早、本物の男にしか見えない。


 いつものシャーロットへの憧れとは違ったときめきに戸惑いながら、ミーシャはしっかり頷いた。



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