第9話 ホワイダニット

二人は花市に赤の女王に関する報告をするため、携帯の電波が通る地下繁華街へと戻った。冴が電話をかけると、いつもどおり不機嫌な声で応答される。

「坂口お前、1ヶ月風呂掃除な」

「なんでバレてるの!?」

「へえ。身に覚えがあんだな。洗いざらい聞かせてもらおうか」

「ひい、カマかけるなんて殺生な……」

冴が怯えた声で経緯をすべて報告すると、花市は冴にトイレ掃除を追加で言い渡した後、桃香に代わるように言った。


「桃香、花市さんが代われって。超機嫌悪かったよ、どしたんだろうね。過労?」

「いや、あなたのせいだと思うんですけど……」


はた迷惑な先輩のせいで飛び火を受けるかと思ったが、電話に出てみると意外な言葉をかけられる。

「よくやった牛久保。5000円分のギフト券をやる」

いつも通り声のトーンは低く刺々しいものの、声音がいくらか柔らかいので、花市なりにかなり褒めているとわかる。それはすごく嬉しいのだが、命を賭けたうえでその額はブラックなのではないだろうか、と桃香は訝しんだ。


「ありがとうございます。これで研修扱いから抜け出せませんか……?」

「やっぱ渡すのやめるか」

「すみません今の無しでお願いします……」

「ものわかりが良くて助かる」


花市は「悪く思うな、ウチは金ねえんだよ」と簡単に弁解する。桃香はなんだかどんより気持ちが重くなってうつむいた。


「お金無いって……あんなに礼金を取り立てていらっしゃったのに……」

花市場の経理状況の不可解さを桃香が訝しむと、花市は深くため息を吐いた。

「他にも調査があんだよ。特に神災の調査なんて、クソほど費用かかんだからしょうがねえだろ」

「シンサイ? 震災ですか?」

「いや、神の災い。この街では定期的に、クソみてえな現象が同時多発的に発生すんだよ。地震が起きたり、血の雨が降ったり、神隠しが多発したり、変な熱病が流行したり……。鬼神オオノヅチが起こす災害だから、神災っつー大層な名前がついてる」

「そんな大規模な事件の依頼もくるんですね……」

「依頼じゃねえ。花市場が自費でやってる、勝手な調査なんだよ」

「えっ、それじゃあ慈善事業ボランティアってことですか?」

普段の花市場の印象からはまるで想像ができないで、桃香は目をぱちくりさせる。その筋の人っぽい守銭奴探偵、用心棒とは名ばかりの殺し屋に、妖怪じみた超越存在雑用係。依頼とあればなんでもするような企業であって、慈善活動をするようなところだとはとても思えない。



「慈しむだとか、善いだとか、そんな崇高なもんじゃねえよ」


花市の声のトーンが、さらに一段階落ちた。


「単なる私怨だよ。目的も、理由も、スタートも、ゴールも、なにからなにまでな」


低く、半分独り言みたいに呟く声が、電話越しに聞こえる。水面は冷ややかに凪いでいるが、水底深くでふつふつと煮え立つような、そんな声。桃香はその声音になんとなく哀しさを覚えて、しかしなにを言うべきかわからず黙りこくった。


数秒ほど沈黙が続いたあと、花市が「悪ぃ、妙な話したな」と言って、事務所に戻ってくるように指示し、電話が切れた。


桃香の沈んだ顔を見て、冴は首を傾げて心配する。

「顔死んでるよ? もしかして怒られた?」

「いえ、私は冴さんではないので……」

「すごく当たりが強い」




二人が事務所に戻ると、花市は机に突っ伏して眠っていた。ホワイトボードに「各自休憩をとるように」と書かれている。冴は花市の命令の真下に赤字で「りょーかい。」と書き、猫のマークを添えた。


桃香は花市のデスクに置かれた何本もの栄養ドリンクを眺め、花市の体を案じる。

「花市さん、今朝5時から事務所で仕事をされていましたし、もしかして徹夜だったんじゃないでしょうか……」

「うーん、でもいつものことだよ? それこそ私と憂里が入ったときからそうだったし。一日三時間くらいしか寝てないんじゃないかなあ」

冗談にもならない生活習慣に、桃香は「ええ!?」と驚いた声をあげる。

「それは止めないとダメですよ……お体に障ります」

「止めても聞かないんだもん。……まあでも確かによくないよね」

冴はにやにやと薄笑いを浮かべつつ、黒の油性ペンを手にした。

「あたしのいる事務所で無防備晒すなんてさあ!」

「絶対やめた方がいいですって……!」


桃香の静止も聞かず、冴はじりじりと花市に近づいていき、途中でぴたりと立ち止まり、しゃがんだ。脛ぐらいの高さにピアノ線が張られている。そのまま歩いていれば転んでいただろう。

「あたしがこんな罠に引っかかるわけないじゃん」

ピアノ線をナイフで切ると、それがスイッチとなって壁から矢が射出されたが、それもナイフで叩き落とす。

「ちょろいもんだね。……へへへ、観念しな花市さん」

冴は花市の目の前にたどり着く。花市は依然すやすやと眠っていて、その寝顔は普段の凶相も成りを潜め、穏やかなものだった。冴はその頬に渦巻きを描いてやろうと、油性ペンの蓋を外す。


瞬間、電流が手を走り、冴は無様な悲鳴をあげてのたうちまわる。ペンそれ自体に仕掛けられたブービートラップ。

よくある悪戯グッズだが、おもちゃよりも威力は強められているため、純血が相手でも苦痛を与えるには十分である。


やはりロクな目に合わなかった冴を尻目に、桃香は個室に戻った。



部屋に入ると机の上に牛焼肉弁当とメッセージカードが置かれていた。確かに牛焼肉弁当は好物だが、どうしてそれを花市が知っているのだろうか。桃香は少し気味が悪いと思ったが、お弁当が美味しいので結局どうでもよくなった。



食べ終わってメッセージカードを開くと、その中にはこのように書いてあった。

「わかっているとは思うが、食屍鬼を買収してお前を襲わせた輩がいる。手口の周到さと食屍鬼内の目撃情報からいって、おそらく純血だろう。致死性の高い血統を持ちながら、わざわざ食屍鬼を介して殺そうとするあたり、慎重な人物だと推測できる。食屍鬼なら始末したところで警察サツも大して騒がないからな。逆に言えば、犯人は目立つ殺し方はしたくないといえる。つまり、公衆の面前で襲ってくる可能性は低い。で、ここからが本題だが、休憩時間内なら自由に外出して構わん。ただし、なるべく人通りの多いところを、二人以上で注意して歩くこと。他人と体が触れ合うのは死ぬ気で避けろ。死にたくなければな。」


やはり自分は命を狙われている、ということを再確認してぞっとする。実際に、モヨコの言う「見落とし」が原因で、一度自分は殺されたわけで、それを思うと犯人にとって殺すなんてことは造作のないことなのだろう。あのときはモヨコに命を助けてもらったが、モヨコは「次はないぜ」と言った。


もう、次の見落としは許されない。

次はきっと助けてはもらえない。


そんな状況で独りで外出などできるはずがない、と思った。



重い気分で携帯を開くと、メッセージ通知が来ていた。大学の友達の明美からだった。明美は同じマンションに住んでいて、入院中もよくお見舞いに来てくれたし、退院の時にはわざわざ迎えにきて、そのあとパフェを食べに行くのにも付き合ってくれた。桃香の芋臭い服装に苦言を呈して服を選んでくれたり、桃香が見たい映画があれば付き合ってくれたりと、事実上、桃香の親友といえる人物であった。


メッセージを見てみると、「昨日の夜、家帰ってないでしょ」「帰って洗濯しなきゃって言ってたじゃん」「どうしたの?」とあった。返信に困って、「ちょっと用事が急にできて実家に帰ったんだよ」と送ると、すぐに既読がつく。



「嘘でしょ」「結局図書館に閉館時刻までいたってメッセージで言ってたじゃん」「それだと桃香の実家の終電に間に合わないはずだよ」怒涛の勢いでメッセージがくる。


まさかこんなに簡単にバレるとは、と思っていると、「今通話できる?」ときたので「できるよ」と返信すると、すぐに電話がかかってくる。


「桃香? なにがあったの?」

訝しむような心配するような声に桃香は気まずく思いつつ、ぼかして説明を試みる。

「ええっとそれは……ストーカーに遭って、匿ってもらったっていうか、助けてもらっていうか……」

「ストーカー!? 大変じゃん。助けてもらったって、彼氏に?」

「違うよ! 彼氏とかいないし……」

桃香の煮え切れない返答に、だんだんと明美の声のトーンが下がっていく。

「……ふーん。今から駅前のカフェこれる?」

「行けるといえば行けるけど……」

そう桃香が答えると、明美は「じゃあ来て」と言って電話が切れた。あまりにも強引すぎる。


こうなってしまえばもう行くしかない。明美は面倒見が良くて優しいけれど、かなり頑固でもあるのだ。


それに、いちばんの親友になにも伝えなかった自分も不誠実だった。伝えても大丈夫な範囲で伝えに行くべきではないか。



桃香はリュックがないので、部屋にあった憂里のかばんに財布と携帯を入れ、個室から出ると、カフェへ急いだ。


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