第八章 宴は誰とするものか(3)眩しい博愛
リサとラミザは草原に並んで座っていた。
場所は変わっていない。ここはふたりのアパートだ。だが、ベルリスの持ち込んだ撮影用機械が、部屋に星空と草原を投影している。あの機械にはこんな機能もあるのだ。
不思議なもので、映像上の木々や草原が風に揺れると、本当に風がそよいでいるような気がする。
実際には床に座っているだけだというのに。
アルコールが入って少し上機嫌になったリサが言う。
「なんだかなんだで、ラミザとお酒を飲むのはこれが初めてかな」
少し逡巡して、ラミザは答える。
「そうね。リサったら、オーリア帝国でも頑なに飲まないんだもの」
「まあ、日本の法律を意識してたからね。……それがいつの間にか、こんなところに。飲酒くらいどうってことなかったかな」
「日本だと未成年飲酒は牢屋行きなの?」
「まさか。怒られるだけだよ」
「誰に?」
「誰だろう?」
リサはそういえば、そのあたりをよく理解していないことに気がついた。未成年者に酒を売った者や、飲ませた成人は裁かれるはずだが、本人が勝手に飲んだ場合はどうだっただろう。
「変なの」
「……変だね」
リサもラミザも笑った。
少し離れたところで、相変わらずフィズナーがベルディグロウに絡み酒をしている。だが、ベルディグロウは飲まない。代わりに、ベルリスが飲んでいるので、男三人の飲み会として成立しているように見える。
ラミザはうっとりと言う。
「小さな、小さな世界」
「うん?」
「わたしが欲しかったもの。わたしの居場所。わたしは、自分が大きすぎるから、オーリア帝国やアーケモス大陸は小さいのだと感じていたの。なのに、いまのわたしは、この小さな世界の居心地がいい」
「小さいは大きい……」
「え?」
「大きな世界ほど、きっと概念になってしまうんだ。でも、こんな小さな世界は、具体的で、詳細で、いつまでも見つめていられる」
「ええ、ええ! それを言いたかったの」
ラミザが目を輝かせた。リサが彼女の心を汲み取ったのが、驚きであり、また嬉しかったのだろう。
「じゃあ、日本にいたときの旅行とか、鍋パーティーとかも、楽しかったんじゃないのかな」
それを聞いて、ラミザは今度は呆気にとられたような顔をする。
「……そうかも。そうかもしれない。あのころは、どうしてもリサをアーケモスに連れ出したくて、毎日そればかり考えてたの。でも、あの時間を守り続けることだって選べたはずね」
「アーケモス大陸全土を平定するよりは、ずっと簡単だっただろうね」
「ほんとそう。わたし、自分では賢いつもりだったのよ。とんだおバカさんね」
「そうでなくちゃ。わたしも、自分のことだけはとんでもなくおバカさんなんだから」
ラミザは大きく溜息をつく。
「あーあ。なんでこうなのかしら。とても難しいのね」
「なにが?」
「生きる、って」
「そうだね」
生きるのは難しい。リサはそれには同意できる。リサは器用なタイプではない。勉強はできる、度胸もある。でも肝心なところで何かをやらかす。
対するラミザは、器用すぎるくらいだ。だが、一方で、その器用さに振り回されていたのかもしれない。世界は彼女にとって簡単すぎるから。逆に大事なものが見えなくなってしまう。
ラミザがおずおずと言う。
「あのね、リサ」
「なに?」
「わたしも入れてほしいの」
「なにに?」
「あなたの、ち……」
「ち?」
「あなたのチーム!」
「チーム?」
「あなたと、フィズナーと、ベルディグロウは三人チームなんでしょう? そして、あなたはそのリーダー。わたしを、そのチームに入れてほしいの!」
リサは目を丸くした。ラミザはそんなことを言うのに、顔を真っ赤にしているのだ。
なんという初々しさだろう。世界を手中に収めたような女帝が、友達の輪に入るのにここまで勇気を必要とするとは。……いや、学友も職場仲間も一切いなかったラミザのことだ、これは生まれて初めてのことに違いない。
「歓迎するよ、ラミザ」
「本当? よかった!」
ラミザは本当に嬉しそうで、紅玉の両目が潤んでさえいた。
「でも、いいの? アーケモス大帝にして魔族の女王の地位を継承できるラミザが、わたしなんかをチームリーダーにして——」
「リサに、なんかなんて言葉必要ない!」
「お、おう……」
「……ごめんなさい、ちょっと必死になっちゃった」
「ま、まあ、お酒入ってるもんね……」
リサはそれでお茶を濁すことにした。少しの間、ラミザがしおらしくなる。珍しい光景だ。
ラミザはつぶやくように告白する。
「わたしにはね、あなたが眩しいの。あなたの博愛が」
「博愛?」
リサには一瞬、思い当たらなかった。だが、身を捨てて人を守ろうとしたりする無謀さを博愛と捉えるならば、そう見えるのかもしれないと思った。
ラミザはリサに笑顔を向ける。だが、それはあまりにも儚い。
「リサはこの世のたくさんのものを大事にしてる。それは、きっと、わたしには真似できないこと……」
おかしい、酒が回っているのだろうかと、リサは思った。何日も潜伏して『哲人委員会』のメンバーを殺して回れるほどタフなラミザが、弱々しくさえ見える。
いまにも消えてしまいそうに見える。
リサは、ラミザを抱きしめる。消えてしまわないように。
「わたしは——」
「リサ?」
ラミザが驚いた顔をした。
だが、リサにはその先を言うのが難しい。博愛、そうだ、博愛だ。誰もかもを幸せにしたいと願ってきた。その実、幸せがなんなのかわからなかった。わからないものを人にあげたいと願った愚かな女、それが逢川リサだ。
それが正義だからだ。正しいからだ。えこひいきはよくないからだ。分け与えられるのなら、世界中の、宇宙中の人に分け与えなければ不平等じゃないか。だから——。
「わたしは、ラミザの幸せも、願い、たい……」
いまのリサにとって、それが限界だった。嘘ではない。ラミザには幸せになってほしい。特別の思い入れもある。それでも、正義の心が、平等であれと叫ぶのだ。
それでも、ラミザは微笑んでくれる。
「嬉しいわ、リサ」
そう答えるラミザの表情があまりにも可愛らしくて、リサは驚き、離れた。
「まるで酒乱の女が、酒の勢いで抱きついたみたいじゃないか……」
「どうしたの、リサ?」
きょとんとするラミザを見て、リサは頭を掻きむしる。
「いや、もう、酒のせいにしておこう。ラミザは綺麗だし、可愛すぎる。そうだ。それが悪い!」
「なにそれ」
ラミザは笑っていた。
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