第二章 山麓の街ラトル(2)海外の中の日本

 秋津洲物産の中堅駐在員は驚いているようだ。


「ノナ君の知り合いか?」


「はい。日本で大変お世話になりました。逢川リサさんです。わたしより先に日本を出られたんですが、わたしの方が先にここに着いてしまったみたいですね」


「財閥の偉いさんと知り合いだとか言っているが、どうなんだ」


「それは本当です。わたしもリサさんも、澄河御影さんには大変お世話になりました。それはもう、それはもう、代えがたい間柄です。ああ、リサさん宛に手紙が届いているんですよ。御影さんから」


「え、本当?」


 こんどは、驚いたのはリサのほうだった。この駐在員事務所に立ち寄ったのは、あくまでも偶然だったからだ。


「ええ、ここを通るだろうと予想されていたみたいですね。当たりです」


 ノナはそう言いながら、抱えている食べ物を持ったまま、ドアを通してもらう。どうやらそれらは日本人駐在員の昼食だったらしく、彼女が配って回っている。


 リサたちはそのどさくさに、事務所の中に入れてもらうのだった。


++++++++++


 リサはノナから封筒を受け取る。たしかに、差出人は澄河御影となっている。


 開けてみると、中に入っていたのは、「面倒があればこれを使ってください」という付箋と、次のような文書だった。


『通達 本文書を所持する日本人、逢川梨咲リサとその同伴者の道中において、総力を挙げ、必要とされる援助を行うことを、秋津洲財閥関係者に対し要請する。 秋津洲財閥副総裁 秋津洲ホールディングス株式会社 専務取締役 澄河御影(印)』


 文書の最後には格好いい毛筆の署名がなされており、また、印相体の厳めしいハンコが押してある。これまたいかにも日本っぽい。


 だが、これこそ「我が意を得たり」といったところだ。リサはその文書を広げ、「この通りですから便宜を図ってください」と言ってみる。


 秋津洲物産の日本人駐在委員たちは一瞬たじろぐが、「わかったが、年下の癖に礼儀も知らんのか」とか「高卒はこれだから世間を知らない」とか「日本人らしく扱って欲しければ頭を黒く染めろ」とか、めちゃくちゃに言ってきた。


 ああ、これもまた日本だ。


 リサの心の中には、なつかしさとともに、情けなさも湧いてくる。



 一方、ノナは日本人のこういう面になれているのか、あまり意に介さない。彼らの民族的優越エスニック・スプレマシー歳上が偉いジェロントクラシーや、同じでないとダメホモジェニティのような感性を完全に素通りして、もう一通の手紙をフィズナーに手渡す。


「これは……?」


「ファーリアンダ家から、フィズナーさん宛てのもので、ここを経由して、日本まで海を渡るところだったんです。アーケモス大陸に戻っていらっしゃっているのはわかっていたので、ここで止めていました」


「それは、とてもありがたい。助かりました」


 不意に出るフィズナーの丁寧な言葉遣い。本人はあまり気づいていないが、リサは、彼が騎士だった昔は、そういう話し方をしていたのではないかと思っている。


 フィズナーは手紙を読み進め、そして、ひと言にまとめる。


「ファーリアンダ侯爵令嬢、エドセナ嬢のところに顔を出した方がよさそうだ。彼女は俺が留守中の情報収集をしてくれていたようだ」


 それを聞き、ベルディグロウはうむと唸る。


「私としては、早めにリサを首都デルンの神域聖帝教会本部へ連れて行きたいのだが……。幸い、ファーリアンダ侯爵領を経由しても、さほど差は出ないはずだ。どうする?」


 最後の「どうする?」は、リサに向けて掛けられた問いだ。答えは決まっている。リサはきっぱりと言う。


「ファーリアンダ侯爵領に寄ろう」


++++++++++


 まさか建物の裏手に、自動車を止めてあるなんて思わなかった。


 リサたちはモリオン子爵の用意した荷馬車には折り返して帰るように伝え、自分たちは自動車に乗り込む。さすがにこれも、秋津洲自動車製だ。ゆったりした六人乗りワゴン車なのがありがたい。これで尻も守られる。


 リサは助手席に乗り込み、フィズナーとベルディグロウは中段の席に座る。荷物は後部座席に詰め込んだ。


 運転するのはノナだ。慣れた手つきで彼女はシートベルトを装着すると、アクセルを踏み、道路へと出る。とはいえ、自分たち以外の車など、馬車くらいのものだ。


「ねえ、ノナ、よかったの? 事務所から出ちゃって」


 リサが心配げに訊いたが、ノナはまったく気にしていない。


「わたしの所属は首都デルンにある現地法人の本部なんですよ。そりゃわたしも、現法の真田課長に怒られたら凹みますけど、あんな小さいラトル事務所の、吹けば飛ぶようなお荷物社員なんか怖くありません」


 すごい。強い。そして、なんというか、サラリーマン社会の闇を見た気がする。



 ノナの運転で街を出ると、だだっ広い荒野が広がっていた。


 どうやら、この国は街と街の間隔が開いているらしい。……というか、隣接した都市が繋がっている日本が逆に特殊なのかもしれない。


 馬車が通るために整備された道路(といっても土だが)の左右は、短い緑の草で覆われている。やはり、幌馬車で景色も見えずに荷物のように運ばれるよりも、窓ガラスから外の景色が眺められるほうがずっといい。


「わあ、アレなに?」


 リサは思わず声をあげた。


 木の少ない岩肌の山。それがほんのすぐ近くにあったのだ。ラトル自治領からだって見えたはずだ。だが、あのときは尻が痛くて前屈みだったので、見つけられなかったのだ。


 「切り立った」という表現がふさわしい、岩の山がそびえ立っている。標高はどのくらいだろう。頂上のほうはもやに隠れていて見えない。


「あれは霊峰ルメルトスです。ひと言でいうと、すごい山です。オーリアで一番高い山ですから」


「へー」


「噂では、あの山に庵を構えた、空冥術の仙人がいるとかなんとか」


「ほえー」


 大陸アーケモスは底知れない。別の世界――異世界なんていう言葉があるらしいけれど、まさにそれだ。見るもの聞くもの、なんでも驚きがある。


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