番外編 遊離感覚(4)あなたが必要

 リサは学校にいても、『総合治安部隊』やアーケモス、オーリアの人々のことばかりを思い出していた。授業に身など入らない。


 文化祭の日取りが近づいているというのに、生徒会の会議さえもうわの空だ。


 いつもの五人――四人の生徒会メンバーとノナ――で机を囲んで話し合っても、どこか遠い世界の話にしか聞こえない。おかしい。わたしが住む世界はこちらのはずなのに、とリサは思う。


 ……寺沢くんも黒田くんも、だんだん話していることに現実味がなくなってきちゃった。


 これまで、生徒会の議論を進行させ、まとめ上げてきたのはリサの役割だ。予算の管理、出し物の管理、安全性の確認等々……。これらのことにいっとう口を出していたのもリサだったはずだ。


 それなのに、そういったことのどれにも、もう情熱は湧かない。それどころか、自分とはまったく無関係な話に思える。


 いま日本では、無数の反社会的組織が乱立していて、おまけに海外マフィアも入り込んで暗躍している。さらには、海の向こうのアーケモスではオーリア帝国とイルオール連邦が現在も戦争中だ。


 どちらを向いても争いごとばかり。


 それなのに、わたしはいったい何をやっているんだろう。



 リサは机に両肘をついて頬杖をついたまま、特に何も発言をしなかった。いつもは積極的に話をまとめあげていく彼女にしてみれば、これは異様なことだった。


 そんなぼんやりとしたリサを見て、鏡華は会議を切り上げる。


「じゃあ、きょうはここまで。この先の話は、また週明け話しましょう。リサ、このあと家に行っていいかしら? こたつでのほうがアイデアが出ると思うの。ね、ノナも一緒に」


 ぼんやりしていたリサは「うん」と答えてから、鏡華がいま何を言ったのか考えた。鏡華はリサの秘密を知るもの同士だけで話をしようと言っているのだ。


「まあ、女子で集まって話をするなら、邪魔するのも野暮だな。まあ、あとは任せた」


「センパイたちがそう言うならそれで。俺、このあと部活に顔出さなきゃですし、あとで話、聞かせてください」


 寺沢も黒田も、鏡華をはじめとした女子の集まりに深入りはしない立場をとった。ふたりとも、様子のおかしいリサのことは気にかけつつも、自分たちにはいまひとつ踏み込みづらいことは感じているようだ。


 けれどもまさか、リサの抱えている問題がまるっきり別世界のものだとは、夢にも思わなかっただろう。


++++++++++


「ごめんね、気を使わせちゃって」


 リサは家に着くなり、鏡華とノナに謝った。生徒会室での会議を成り立たせなかったのは自分だと解っていたからだ。


 けれども、鏡華もノナも首を横に振る。


「わたしたちには、リサに何があったのか知っているから。無理はさせられないもの」


 三人は荷物を床に置き、こたつに入った。電源が入っていなかったため、こたつの中はまだひんやりとする。


 電源はノナが慣れた手つきでオンにした。実際、ノナは逢川家にほとんど入り浸りになっているので、そこは勝手知ったる人の家といったところだ。


 ぐったりと、リサはテーブルの上に顎を置く。


「……なにか変なんだ。なにか、焦りが止まらない気がするんだ。自分でも、よくわからない。でも、こんなことをしていていいのか……」


 鏡華はまず言い切る。


「いいのよ。いったい、高校生が高校生の暮らしをすることに何の問題があるのよ。生徒会は生徒会、風紀委員は風紀委員の仕事をすれば、それでいいのよ」


「でも、わたしは空冥術士なんだ」


「あなたは高校生よ、リサ」


「空冥術士なんだよ、鏡華」


 主張がすれ違う。


 リサだけがこの日本で、高校生でありながら、戦闘を生きている。戦争を生きている。そのことにはまだ、本人も気付いていない。


 鏡華はまた繰り返す。


「あなたは高校生よ。この暮らしを捨てられるの? あなたには平和に生きていく選択肢があるのよ。大学に行って、どこかの会社で働くの。みんなと同じように」


「この暮らしを、捨てる……」


 リサはそこまでのことは考えていなかった。ただ、正義を行使できる力を手にしたから、それを活用するという選択肢が生じただけだ。


 いわば、人よりひとつ多く、選択肢を与えられたばかりに、彼女の苦悩は始まっている。



 ピンポーン。


 玄関のチャイムの音だ。それから、トタトタと足音。リサにはそれがすぐに母親のものだとわかったが、特にその場から動く気はなかった。


 母親は「お客さんよ」と言いながら、リサたちがくつろいでいるこたつのある居間のふすまを開ける。母親の背後について来たのは、軍服を着た安喜少尉とラミザノーラだった。


 母親このひとは、急に軍服の人がふたりも押しかけて来て、顔色ひとつ変えないんだな、とリサは思う。


 リサの母親は、いつも通りの柔らかな表情で、こう述べる。


「リサ、お世話になってる方々がいらっしゃったわよ」


 慌てて、安喜少尉はリサの母に話しかける。


「あの。私たちは、逢川さんのお母様にご挨拶あいさつも兼ねてですね……」


「そういうのは結構なんです、少尉さん。あの子は大人です。もう親が縛るような歳でもないんですから」


「いや、そうは言っても、お子さんはまだ未成年で……」


「いいえ、結構です。リサ、お客様に失礼のないようにね」


 そう言い残し、話も半ばにリサの母親は去っていく。安喜少尉には取り付く島もない。


 リサは深いため息をつき、そして、唖然としながらリサの母親の背中を見送るしかない安喜少尉とラミザノーラに、声をかける。


「いつも通りだから気にしないで。あの人はわたしに関わりたくないんだよ。それより……、ようこそ。好きなところに座って」


 こたつはこれまで、リサ、鏡華、ノナの三人で座っていたから、空いている最後の一辺に安喜少尉が座る。ラミザノーラはなにを思ったか、リサの隣に潜り込むようにして座った。


 いきなりの距離の詰めかたに、リサも、鏡華も、ノナも、そして安喜少尉も驚き、目をみはった。だが、当のラミザノーラは終始ニコニコとしている。なにか問題でもあるの? といった風情だ。


 もしかして――いや、もしかしなくても、ラミザノーラはリサをいたく気に入っている。それはリサ本人にもわかったし、鏡華や安喜少尉の目から見ても明らかだったようだ。


 安喜少尉は作り笑顔を浮かべる。思いがけず他所よその家庭の事情に触れてしまい、苦笑いするしかない様子だ。安喜少尉はリサに話しかける。


「逢川さん、澄河さん、ノナさん、三人お揃いだけど、きょうは何かあったの?」


「はい、文化祭の出し物を考えていて……。あ、わたしたち、生徒会なんですけど、生徒会でも何かやろうって話になっていて……」


「へえ、文化祭ね。学生らしくていいじゃない。なにか出し物は決まったの?」


 まだ何も、とリサが答えかけたところに鏡華が割り込む。


「演劇と喫茶です。題して、『女神喫茶』にしようかと。もちろん、女神に扮するのはリサです」


「ちょっと——」


 リサの抗議をラミザノーラが掻き消す。


「あら素敵。それは仮装のようなものよね。リサにぴったり」


「あの」


「でしょう。先日の一件でピンときちゃったんです。神々しいったら――」


「えっとですね」


「神官騎士ベルディグロウも、リサは特別であると褒めていましたから……」


「ラミザノーラさんまで。鏡華の悪ふざけに乗っからないでくださいったら」


「リサ」


「はい?」


「日本の学校――、高校?を卒業したらどこへ行くの? わたしと一緒にアーケモスへ渡る気はない?」


 リサはどきりとした。鏡華が『女神喫茶』の馬鹿げた話で空気を和ませたはずなのに、話題はいとも簡単に、ラミザノーラたちが来る前にしていた不穏なものに戻されてしまっている。


「わたしは一応、これでも法学部志望なので……。そ、そう! 法曹になりたいっていう夢が……」


 リサは慌てふためきながら、そうラミザノーラに答える。それはまるで、犯罪者が警察官に詰問されているかのようだ。


「ホウソウ? ホウソウってなに? それはあなたが本当にしたいことなの?」


「そ、そうだけど……」


 その通りだ。リサはなにも嘘は言っていない。そうだ、法曹になるのは、彼女の長年の夢だった。空冥術を手に入れるまでは――。


「「ラミザノーラさん!」」


 叫ぶような声がふたつ重なった。鏡華と安喜少尉の声だ。けれども、ラミザノーラはふたりの制止をものともせず、リサに語り続ける。


「前にも言ったけれど、あなたの力は素晴らしいわ。あなたさえいれば、アーケモスで起こっている永年ながねんの戦争を終わらせられるかもしれない。アーケモス大陸はあなたを必要としているのよ」


「そう言われても……」


「いいえ、アーケモス大陸だけじゃない。あなたが強くなれば、日本だって平和になるはずよ。それができるのは、あなたしかいない」


 リサは、何かを言葉にしようとして、声にならず、唾を飲み込む。わたしの力で、アーケモスを救える。日本を救える。


 けれど、日本人としての暮らしを捨てられるのだろうか。大学進学という道を閉ざしていいのだろうか。本当に多くの人々が救えるなら、それもいいのだろう。だけど……。


 唐突に、ラミザノーラはその名を口にする。



「な……」


 ラミザノーラは銀色の髪をかきあげる。


「少し調べたのだけれど、お姉さんがいらしたのね」


 まるで、唐突に胸を刺されたようだ。ラミザノーラはまっすぐにリサの両目を見つめている。


 逃れられない。


「どうして、それを……」


「お姉さんのことはまだ調べているところ。けれど、お姉さんにもやるべきことがあったのだと思うわ。だから、日本を出た」


「日本を出た、って」


「まだ確証はないのだけれど……」


「「ラミザノーラさん!!」」


 鏡華と安喜少尉の二度目の制止で、ラミザノーラはようやく止まった。ふっとため息をつくように笑って、これ以上、リサの心を掻き乱すようなことは言わなかった。


「リサ」


「……なに?」


「その、文化祭というのはいつなのかしら? わたし、あなたの仮装をぜひ見に行きたいわ」


 リサは一旦、安堵した。そして、なにをそこまで恐れいていたのかを、もう一度振り返る。


 お姉ちゃんは――、逢川ミクラは日本を出た? どこへ行くために? 何のために?


++++++++++


 月のある夜。


 リサは廃ビルの屋上に立っていた。口を覆い隠すように巻いたマフラーが、そして癖っ毛の長い髪が強風に煽られる。


 彼女は『総合治安部隊』に入隊してからも、日課のパトロールはやめていなかった。


 この街は――、この国は一見平和だけれど、毎日、酷い目に遭っている人が存在する。そんな人がただのひとりでも存在することは、耐え難い。


 リサの耳が遠くの、微かな悲鳴を捉える。目が、暗闇の中で逃げ惑う人影を捉える。


 左手を振るい、光の槍を作り出す。


 さあ、正義の時間だ。

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