第五章 湾岸エリアの攻防

第五章 湾岸エリアの攻防(1)密輸現場への潜行

 満月の夜。


 リサは青京都湾岸エリア、大川埠頭の屋根を伝って移動している。


「対象の動きを確認。追跡します。」


 服装はいつものジャージの上に軍用のコート。左手には星芒具。レンジャーや特殊部隊の制服も検討したが、結局この形に落ち着いた。


 それというのも、空冥術士という術士の特殊性による。空冥術士は、術の行使中「この世から少しずれる」という。そのため、通常武器での攻撃が通りづらくなる。


 これは速い武器ほど顕著で、銃弾などはまず受け付けない。むしろ、刃物のように遅い武器のほうが、長時間、術士に当てることができるため、有効な攻撃となる。


 さらに、純粋な力比べでは、たいていの場合、力を行使中の空冥術士のほうがそうでない者よりも強い。身体強化が掛かっているからだ。それゆえ、空冥術士は銃も刃物も心配する必要はない。


 そのため、軽装のほうがよいということで、このような形に収まっている。防弾・防刃ジャケットなどはなおさら無用の長物だ。


 とはいえ、いまは一年で最も寒い時期である十月だから、防寒具だけは必須の装備となる。


 気温は摂氏五度。


 日本列島がまるごと惑星世界アーケモスに移転してから、日本は「寒い」か「とても寒い」かのどちらかでしかなくなった。一年間の暦はひと月あたり二十六日前後で、一年当たり。その十四の月のうち、八月から十月が最も寒い時期だ。


 インカムを通じて、安喜やすき優子少尉が指示を出す。


『それでは、リサさんとベルディグロウさんはそのまま標的を追ってください。取引現場を押さえたら打って出ます』


「了解」


 リサは、いつものマフラーを口元まで巻いていた。学校に行くときのようなメガネは外している。この状態が、彼女にとっての戦闘態勢だ。


 今回の標的は、暴力組織『大和再興同友会』の幹部を乗せた三台ばかりの黒塗りの自動車だ。


 リサを先頭にして、その背後にベルディグロウ、そしてフィズナーがついて来ている。


 あいかわらず、リサは陣形を崩しがちだ。先月あった山手ダイヤモンドタワービルでの戦いでも、ベルディグロウが前衛ヴァンガード、リサが後衛リアガード、フィズナーが遊撃手コマンドーとポジションが決まったというのに、現在もリサが先行している。


 とはいえ、今回ばかりは理由がある。リサの視力だ。リサは遠距離攻撃が得意なのもあって、遠見するための視力が抜群によい。だから彼女が先行して、遠くから標的を追っている。


 彼女のメガネは近くの本を読むためのものだ。だから、ミッション時は逆に不要になる。



 地上に魔獣の姿を見るようになった。黒い闇に溶けるオオカミの魔獣、ガンディア。まだ密度はまばらだが、視界の中に必ず一頭二頭は入ってくる。


 『大和再興同友会』の車、そして『黒鳥の檻』の魔獣。これらのものが同時にここにあるということは、つまり、『総合治安部隊』の諜報活動は当たりを引いたらしい。


 やはり、この埠頭の先にイルオール連邦の地下組織『黒鳥の檻』の取引場所がある。前回、『黒鳥の檻』の取引相手は『人類救世魔法教』だったが、相手はそれだけに留まらないというわけだ。


 リサは標的や魔獣に見つからないように倉庫の屋根から飛び降り、地面で転がりながら受け身をとり、走って、また次の倉庫の屋根に飛び移る。コンテナを足場に軽々と跳躍して。


 こんな芸当ができるのも、空冥術が使えるいまだからこそ――星芒具を左腕に装着しているいまだからこそだ。



 さあそろそろ倉庫もなくなるぞといった、埠頭の先端部とも言える場所に、五人から六人の人間が立っていた。


「見えるか?」


 背後からフィズナーが問うてくる。リサはうなずく。


「ひとりはビルの上で見た、ユラバ・ザルバリアール。あと幹部っぽいのはふたり……かな。このふたりの幹部は初めて見る……いや、あの白いフードの人はどこかで……」


「全員、肌は浅黒いのか?」


「暗いから確証はないけど、倉庫からの明かりで見える分には、たぶん全員が褐色だと思う。イルオール連邦人かな」


 そこへ、リサたちが追っていた黒塗りの自動車が到着し、中からスーツを着た男たちがわらわらと出てくる。


 『黒鳥の檻』幹部と思われる三人と対峙するように、スーツの男たちの中心に立つ男たちに、リサは憶えがあった。


「あれは、やっぱり『大和再興同友会』の幹部だ。たしか、波間野はまの依知川いちかわと言ったっけ。でも、中央に立つ、杖をついた老人はわからない」


『老人……。それはおそらく、『同友会』の最高幹部、櫛田くしだです』


「櫛田……」


『全員、聞こえますか? 今回のミッションは密輸現場の確保です。現にわれわれは両者の取引に居合わせています。取引物品が出てきたら、そこで強襲してください。別行動の岸部さん、ラミザノーラさんもここで合流を』


 そうだ、今回のミッションは『黒鳥の檻』が絡んでいるから、ラミザノーラさんも上司から参加が許されたんだっけと、リサは思い返す。


 安喜少尉の指示は続く。


『本ミッションの成功条件は、密輸物品の押収。そして、裏付けをとるための「大和再興同友会」または「黒鳥の檻」の幹部の確保です。密輸品が何か解らない限り、最大限警戒を。危険すぎると判断した場合はすぐに撤退をすること』


「了解」


 そう答えるリサは、相手からは見えない距離で、取引が始まるのを今か今かと待っていた。安喜少尉の指示に了解しておきながら、撤退することはまるで考慮していない。


「『黒鳥の檻』……。とうとう追いついたぞ……」


 そう小声でつぶやきながら、空冥術増幅器エンハンサーとしての剣を握りしめているのはフィズナーだ。彼はすでに抜剣している。


 リサの目からやっと見える範囲なので、フィズナーからは『黒鳥の檻』の構成員たちの姿は見えていないはずだ。だが、なにやら並々ならぬ感情の高ぶりを感じる。


 しかし、そんなフィズナーの肩に手を置き、ベルディグロウは諫める。


「過去になにがあったかは、私があずかり知るところではない。だが、焦りは禁物だ。落ち着け」


「そんなことはわかってる。その忠告は何度も受けた。何度もだ。前線に出るまでの訓練でも、警固騎士団の指南役にも……。だが、あいつらだけは許せない。あいつらだけは――」


「……ならもう解っているんだろう。その感情の荒さで何度もミスをしてきたのではないか。その度に忠告を何度も受けたのではないか」


 フィズナーはそれを聞いて、一瞬、ベルディグロウのほうを睨み付けたが、額を押さえて深く息を吐いた。当てつけがましい溜息というよりは、落ち着くための深呼吸といったところだ。


「旦那の言うとおりだよ。俺は感情的になりやすい。大事なものを失って、傷つけられて、正気じゃいられなくなる。だが、旦那だってもし大事なものを失ったら――」


 フィズナーはそこまで言ったが、ベルディグロウの表情が少しも変わらないので、続きを言うのをやめた。寂しそうな――悲しそうな目。それを見ただけで、解ってしまったのだ。


 ベルディグロウもなにか、大きな悲しみを背負っている。先ほどの発言は単なる放言ではない。彼の実体験なのだ、と。


 背後の男たちがやりとりをしている間、リサは敵の動きを観察していた。そこへ出てくる、なにやら巨大な物品。カバーが掛けられていて中身は判らないが、動きがないことからして、無生物だろう。


 先日のような、魔獣の取引というわけではなさそうだ。


 出番はもうすぐだ。リサはそう思った。ラミザノーラさんたちも上手く合わせてくれると成功するだろう。興奮に、思わず拳を握りしめる。


 ふと、リサは今回のミッションに至るまでのことを思い返す。


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