第三章 国防軍総合治安部隊(4)ただ、無事を祈る

「えっ!? いや、わたしなんか、そんな。服だってきのうから替えてないし、そうだ、シャワーも浴びれてないんですよ。いやー、すみません、こんなので。あはは」


 慌ててそんなことを口走ってから、リサは大いに後悔した。恥ずかしい。穴があったら埋まってしまいたい。


 誰か埋めてくれ。


 澄河御影はシデルーン総司令に向き直り、話を続ける。彼の中では、リサたちの紹介は半ば終わったものらしい。リサも特に話すことはないので、それはそれでありがたい。


 それにしても、リサに引き替え、ノナについての紹介などは、まったくひと言っきりだった。御影の興味がどこに向いているのかは、何のてらいもなく隠れてもいない。


「この『総合治安部隊』は大きく化けますよ。いずれ国防軍に取って代わるでしょう。だからこそ、この組織は、いまはあまり知られてはいけない」


 シデルーン総司令はうなる。


「ふむ。澄河殿、貴殿は中佐に負けず劣らずの野心家と見えるな。して、『日本人空冥術士』を正規軍に代わらせて、どこを目指しているのかね?」


 御影は自信に満ちた、毒の花のような笑みを見せる。


「総司令もご存知でしょう。このアーケモス世界にはがいる。オーリア帝国も彼らからは自由ではない。無論、この日本政府もです。われわれは操り人形に過ぎないという点では同じではないですか」


「ほう……」


 シデルーン総司令の顔色が変わった。


 リサにも、ノナにも、御影やシデルーン侯爵が何の話をしているのか全くわからない。けれどもどうやら、このふたりの間では意味が共有できているようだ。


「外の連中に一矢報いるには、現行の科学兵器では不足です。だから、秘密裏に空冥術を試行しているのです。現代兵器よりも活躍しうる、この新たな武力を。――われわれの真の自由のために」


「真の自由、か。それがきみの国の目的かね」


「いいえ。この七年間、わが国の政府は管理者に対しては完全に無力でしたよ。政府機関はあてにならない。だから、われわれ秋津洲財閥には、独立組織が必要だったのですよ。国防軍は隠れ蓑にはちょうどいい巨大組織だ」


 御影の言葉を聞いて、シデルーン総司令は高笑いする。


「ははは、まさかここで、そこまでの大風呂敷を広げる男に出会えるとはな。来日して最大の収穫だ。澄河御影、秋津洲財閥の次期総裁。その名はしかと覚えたぞ」


 やはり、リサにもノナにもよくわからなかった。しかし、澄河御影とシデルーン総司令の間では何かが通じ合っているらしい。あっけにとられている鏡華を見て、リサは鏡華も自分サイドの人間なのだと思った。


 けれども、ラミザノーラは彼らの会話の内容を心得ているようで(さすが参謀だ)、向こうサイドにいるようだ。それについては悔しい。悔しがっても仕方がないのだが。


 それにしても、「アーケモスの管理者」? 「外の連中」? いったい何の話だろう。


+++++++++++


 結局のところ、リサたちは学校を休んだ。公的機関に用事があって休んでいると、秋津洲財閥の人が学校へ連絡してくれているらしい。同時に、家にだって連絡がいっているはずだ。


 ——お母さんはどう思っているんだろうか。


 リサは天井を見上げながらそう思った。


 ——いや、特に何も思わないんだろうな。


 リサはロビーのソファーに座っていたが、となりには肩にブランケットをかけた鏡華が、そして逆どなりにはノナが座っていた。


 オーリア帝国軍の要人ふたり――シデルーン総司令と参謀ラミザノーラは、澄河御影に案内されてどこかへ行ってしまった。そのさい、鏡華はリサのもとに残された。


 難解な、しかも闇の深そうな政治の話に妹を付き合わせるよりも、学友であるリサに預けてしまったほうが得策だと思ったのだろう。リサはそれには特に異論なかった。


 いつもはよく喋る鏡華が、きょうはやけに静かだ。きのう、暴力組織に誘拐されたのだから無理もない。黙ってそばにいてあげよう、とリサは思った。


「え……、と、リサ?」


 ようやく口を開いた鏡華に、リサは努めて明るく返事をする。


「ん? なに?」


「きのうは……、その、ありがとう。助けてくれて」


「あ、うん。あれくらい、なんでもないよ」


「なんでもなくはないわよ。あの人数の、あんな怖い人たちを相手に……。本当はお兄さまが動員した軍隊のひとがどうにかするはずだったのに……」


「なんでもないんだって。だから気にしなくていいんだよ」


 鏡華の話が通じていないのを感じ取り、ノナが口を挟む。


「リサさん、ええと、なんていうか、リサさんのやったことはすごいんですよ」


「へへへ、照れるね」


「いや、照れるとかそういう次元の話ではなくてですね……。リサさんも一度は暴力に倒れた被害者じゃないですか」


「そうだっけ。……ああ! まあそうだけど、特に怪我はしなかったし」


 リサの物言いに、いまのいままで本当に忘れていたのかと、ノナは呆れた表情をする。そして、ノナと鏡華は顔を見合わせる。


 鏡華がつぶやく。


「リサ、あなた普通じゃないわよ。本当に、きのうまでと同じリサなの……?」


「……きょうは休みになっちゃったね」


 リサは唐突に話題を変えた。もちろん意図的にだ。彼女は鏡華がきのうのことばかり話をして、深刻になっているので、そこから引き剥がそうとしているのだ。


「え?」


「学校。連絡はしてくれてるみたいだけど、生徒会メンバーが急に休んじゃまずいかなぁ。それに、寺沢くんや黒田くんには連絡してないんじゃないかな」


「ええ……、そうね」


「そ、そうですね……」


 鏡華もノナも、いまひとつ、リサのはぐらかしに乗れないようだ。昨夜あれだけのことがあったのだから、生徒会メンバーへの連絡など、やはり些細なことだ。


 うつむいたまま、鏡華は意を決して、リサに質問する。


「リサ」


「うん」


「あの力はなに? 空冥術よね? なぜあなたがあの手袋を使えて、空冥術を操れるの? あなたは日本人なの?」


「に、日本人だよ。みんなも知ってるとおり。日本がまだ地球にあったときから、ずっと日本人だよ」


「リサ、あなたはいったい何者なの?」


 再度の問いかけ。リサは答えに窮した。なぜなら、何者なのかはいま答えたばかりだからだ。日本が『アクジキ』に食べられてしまう前からの、正真正銘の日本人。都立四ツ葉高校に通う、普通の風紀委員長の高校生だ。


「リサ、あなた軍隊に入るの?」


 鏡華のその質問には、リサはすぐに答えることはできなかった。けれど、答えはもう出ている。リサは優しい表情をして、鏡華に視線を返す。


 友人が心配してくれているのがわかるからこそ、即答はできなかったのだ。けれど、嘘をついてもしようがない。


「……うん。軍隊というよりは、あの、『総合治安部隊』というところだけどね。鏡華のお兄さんの組織がお金を出していたなんてびっくりだけど」


「それは、わたしも驚いたわ。お兄さまが、そんなことをしていたなんて。それに、それ以外にも、わたしの知らないことをしているみたいで……」


 鏡華はまた俯いてしまう。目まぐるしく変わっていく状況についていけないのだ。


 ノナは、助け船を出すつもりで次のようなことを言う。


「鏡華さん、ここへ来てから、アーケモス大陸、オーリア帝国出身のわたしにも解らないことだらけなんです。そんな中で、堂々と寛いでいるリサさんがおかしいだけなんですよ」


 リサは頬を膨らませる。


「えー、おかしいってなに。与えられた力を正しく使おうとするのって、そんな変な話?」


「そ、それはそうですけど……」



 そんな会話をしている間に、館内放送が鳴り響いた。メロディーの切迫感からいって、緊急度が高そうだとすぐに判った。


『治安擾乱指定カルト宗教の動きが報告されました。「総合治安部隊」の実働隊員たちは、速やかに会議室二-Sに集合のこと。繰り返します――』


 これを聞いて、リサは雑談をやめ、すっと立ち上がった。表情はキリッと真面目で、見回しながらすでに会議室を探し始めている。


 鏡華は心配そうな声をあげる。


「リサ、やっぱり行くの?」


 リサはゆっくりと、力強くうなずく。


「……『総合治安部隊』さんが受け入れてくれるなら、ね。もしかすると、わたしにもできることがあるかもしれないから」


「そう……。そうなのね。気をつけて……」


「ありがとう、鏡華」


 そう言い残し、リサは廊下の向こうへと駆けていった。

 

 鏡華は深い溜息をつき、うなだれて、ブランケットで頭を覆ってしまった。


 ノナも頭に手を当てて首を振りつつ、空いているほうの手で鏡華の背中を優しく撫でる。


「お気持ち、よくわかります。せめて、リサさんの無事を祈りましょう」

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