第48話 「見たんですね!!」Bパート

 松田と別れ、住み慣れた街に戻ってきた前野は、河川敷に沿っていつものコースをランニングし始めた。


 対岸には今日もトランペット少女の姿があった。彼女は週に何度もこの河川敷に足を運んでいる。随分と熱心なものだが、学校で練習すれば良いのではないか。 


 なにか、複雑な事情があるのやもしれんな。


 走り終えてマンションの前まで来ると、ひどく疲労感を覚えた。ランニングの前に松田なんかと会うもんじゃないな。


 重たい身体を引きずってエントランスを目指す前野は、立ち止まって大きく深呼吸をしながら身体を反らした。どうにも肩が凝っている。首を回しながら斜め上を眺めると、四階のベランダに人影が見えた。


 角部屋……。あの白い男か。


「んっ?」


 男はベランダをうろうろと歩き回りながら、何かを空中に掲げている。距離があるためはっきりとは分からないが、手に握られた銀色に輝く短い棒状の物は、前野の目にはまるでアンテナのように見えた。


 アンテナのような棒状の物……。何のためにあんな行動を? 


 そこでふと、前野の脳裏には先日から二度に渡って妙な話を吹き込んできた黒電波の姿が浮かんできた。


「まさか!」


 奴は、未知の電波を受信してるんじゃないのか?


 男の行動が無性に気になり始めた前野は、上を眺めながら慌てて駐車場を歩き回ったが、男はすぐにベランダの奥に引っ込んでしまった。


 一体、あそこで何が行われていたのか。


「何か、ただならぬものを感じますか?」


「……っ!」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえ、前野は咄嗟に振り返った。そこには例の黒電波が無表情で立ちながら額の上に手を翳し、前野が見ていた方角を眺めている。


「またお前か!」と怒鳴りながら、前野は二、三歩後ろに下がった。


「連れないですねぇ。何か不審に思うことが起きているのではないですか? すべて話してしまった方が、気分が楽になると思いますよ」


 男は笑顔らしき表情でそう言ったが、感情の乏しい目つきで話しているせいか、口だけが奇妙に歪んでいるようにしか思えなかった。


「別にないね」と前野が答えると、男の笑顔は唐突に崩れ、無感動な案山子かかしのように彼を見つめている。


「本当に心当たりはないのですか? あなた、何か見たんですよね? 私はあなたの話に耳を傾けますよ。あなたの話す全てを信じましょう。あなただって気になって――」


「あぁ、うるさい!」と叫んだ前野は、男とさらに距離を取ってから、「お前には関係ないだろ」と言った。


 男は死んだ魚のような目つきで前野の顔をまじまじと見つめていたが、ほどなくして、「先日の夜のことですが――」と口にした。


「先日?」


「あの日は雨が降っていましたね。夜には一時的に止んでいましたが」


 男はゆっくりと一歩前へ踏み出し、「本当にあの日の夜は、何も見なかったのでしょうか?」と、鋭い殺気を放ちながら問いかけた。


 前野は唾を飲み込み、男の無感動な瞳を無言で見つめ返した。


「あれは今までにない高エネルギー反応でした。あれほどのエネルギーを生じさせるためには、宇宙人本体だけでは不可能なように思えます。例えばそう、――宇宙船とか」


「…………」


 身体を硬直させた前野は、眉がピクリと反応した。だが、男にとってはそれだけで十分だった。一瞬にして前野の目と鼻の先まで迫り、「あなた、見たんですね!!」と叫んだ。


「な、なんのことだ?」


「いいえ、今の反応だけで十分ですよ!」


 男はにんまりとした口元を見せ、「あとはこちらで勝手に探らせていただきます。それでは」と言うと、足早にその場を去っていった。


 くそっ。次こそは必ず……、見かけたら警察に通報してやる。


 そう思いながらエントランスを潜った前野は、とぼとぼとした足取りで自分の部屋に戻っていった。

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