第46話 「あの景色が必要なんです」Bパート
ホテルのラウンジに到着すると、二人はテーブルに向かい合って座り、壁一面に広がる大きな窓から階下の景色を眺めながら食事をとった。
「ここは眺めもいいし、良いところね」
「そうですね」
眼下には平凡なビルの街並みと瓦屋根の建物が混在し、赤い鳥居が点在している。街を囲むようにそびえ立つ背景の山々が、景色の自然な温かみを一層引き立てているように感じられた。
「休日はいつも何をして過ごすの?」
小皿に取ったローストビーフを箸でつまみながら、遠藤は尋ねた。
「特に何も。家にいて、時間が経つだけです」
「一人で?」
「……どうしてですか?」
立て続けの質問に動揺した彼は、危うくクレソンを落としそうになった。
「せっかくの休日に駆り出しちゃったから、良い人がいるなら申し訳ないなぁって」
「そんな相手、……今はいませんよ」
「『今は』、かぁ」遠藤はどこか挑発的な目つきで彼を見つめ、「それにしては、放課後はいつも時間を気にしているみたいね」
「先日は、申し訳ありませんでした」
そう言うと石田は黙って窓の外を眺め、クレソンを齧った。
「ねぇ、もし何か悩んでいることがあるのならわたし――」と遠藤が言いかけたところで、「平日は、早く帰らないといけないんです」と石田は言葉を遮るように答えた。
次いで彼は付け加えるように、「休日なら問題ないので、気にしないでください」
「…………」
微かに不服そうな表情を浮かべた遠藤は、彼の顔をじっと見つめていたが、「そう?」と答えると目線を逸らし、「……なら良いけど」
それきり、彼女は話さなくなった。
昼食を済ました二人は、言葉を交わさないまま街の観光名所を見て回った。中心地には必要な施設が十分に揃っている。時間配分の計算が終われば、それほど注意して見ずとも問題はないだろう。
午後の中心街は、観光客や地元の住民でごった返していた。遠藤は黙りこくったまま器用に人々の波を避けていたが、途中から突然予定のコースを外れると、人通りの少ない川沿いの道を歩き始めた。
「ちょっと、人混みに酔っちゃった」
彼女が久々に発した言葉は、そんな台詞だった。
確かに少し、顔色が悪い。
石田も彼女に付き従い、川沿いを歩くことにした。
「ひと休みしたら、またちゃんと仕事するから」
「構いませんよ。のんびり行きましょう」
穏やかに流れる川の水面は透き通り、優雅に泳ぐ小魚の群れがはっきりと映し出されている。風に揺れる草花、戦闘機のような旋回を繰り返す燕たち、道を一本外れただけで、街の趣は大きく変容して見えた。
岸を結ぶように配置された飛び石を渡る無邪気な高校生を見つめながら、二人はゆっくりと並んで歩いた。古びた日本家屋の前では、派手なコスチュームやカツラを身に纏った数人の女性たちが澄ました顔でポーズを取り、互いにカメラで撮影を行っている。
何が楽しいのだろうか? 見ているだけで恥ずかしくなり、石田は思わず目を背けた。
「石田くんって、どの辺に住んでるの?」
彼は住んでいる地域の路線や最寄駅を口にした。すると彼女は、頭の中で路線図を描くように少し時間を置く。
「あの辺りも、近くに川があるよね。東の方と違って綺麗な印象だけど」
「静かで良いですよ」
遠藤は時おり立ち止まり、「あの山に見える寺は何だろうね」などと言いながらゆっくりと散歩を楽しんでいるようだった。
「学校からは、ずいぶん遠いんじゃない?」
「そうですね」
「近くに引っ越そうとは思わなかった?」
「…………」
「それも、話したくない?」
「……いえ」
石田は答えるまでに少し時間を使った。向かいをランニングする男性が視界に入ってから目の前を通り過ぎ、男女の判別ができないくらい離れるまでの間、じっと押し黙っていた。
「僕は……。僕には、あそこから見える景色が必要なんです」
「……そう」と短く返事をした彼女は、言葉を選ぶように、「さぞ綺麗なものが見えるんでしょうね」と言った。
気持ちを切り替えたように笑みを浮かべた遠藤は、大通りへ続く道に向かって歩き出した。
「行きましょっか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます