灰色のロク

端末L29

第1話




 緑に覆われた深緑の大地。地平線まで見渡す限り緑色。深い森の中で生息している鳥や猛獣達が織り成す大合唱は木霊する。時折木々の合間を暖かい風が駆け抜ける。


 古来よりこの大森林は誰も足を踏み入れたがらない地とされてきた。

 一度入れば彷徨い続け、やがて二度と帰らぬ人となるであろう。そう人々は認識している。


 成長し続けた大木は空を隠し、白昼なのに中は薄暗く、ひんやりとしている。

 不用意に近付けた者は道端に転がっている白骨と化し、森全体はまるで一つの生き物のように、口を開けて弱き者の命を貪り、広がり続ける。


 そんな人気のない場所に――――


 ――――純白のパンツがぶら下がっていた。


 太ももはぷにぷにしていて、スラリと伸びた七歳と思われる女の子の両足はジタバタと暴れている。


 静かな森の中に、静寂を破った大声が響いた。


「――――いやぁああああ!助けて!変態!鬼畜!外道!」


 どう見ても外見は人間の七、八歳しか見えない女の子が、デカイリュックと共に何十本の蔦に体のあちこち絡め取られ、空中に逆さまにぶら下がっている。履いていたフリフリのスカートは重力に引っ張られ、中身が丸出し状態。

 無駄な抵抗だと知りつつも、暴れずにはいられなかった。小さな体は力を振り絞って藻掻いている。


 それを見上げる男が一人、いた。

 ――――――冷静に、呆れてこの光景を眺めていた。

 男――――ロクッロー・シャンテクスは無関心に幼い少女を見上げていた。


「――――早く助けて!変態!この、鬼畜!この、外道!人で無し!悪魔!」


 酷い言われようだな。とロクは思った。そこまで言われる謂れはないんだがな。とも思った。


「何ジロジロ見てんのよ!エッチィイィいいいい!」


 パニックってんのか、恥ずかしがってんのか、どっちにしろ、助けないという選択肢もあるとロクは思った。立ち去ろう、コイツ自分でなんとかなるだろう。


「放置しないでお願いします!助けてください!シャンテクス様どうかご慈悲を!」


 調子の良いやっちゃだな……


 別にこのままでも俺は構わんのだが。とロクは思う。

 しかし、ジタバタ暴れているせいか、純白でぷにぷにの太腿がやけに艶めかしい。綺麗で余計な贅肉が一切付いておらず、健康的だ。


「いやぁあああああ!やっぱ見られてるぅうう!獣の視線を感じちゃううううう!」


 よほど嫌なのか、女の子が一層強く暴れた。が、当然振り解ける筈もなく、徒労に終わった。

 と、


 首筋にスッと冷たい物が当てられていた感触。ロクは感じていた。


 振り向かずとも、


「――――レーさん、止めろ」


 背後に居るであろうその人物に、そう言った。白銀のレイピアは降り注ぐ木漏れ日に照らされ、キラキラと光っていた。その凍るような剣先はロクの首筋に当てている。


「……ロクが邪なことを考えているから…」


 鈴のような美しく、感情の起伏が乏しく、気怠そうな、眠そうな声。その声は、長い知り合い、レンティシェルテ・ラエリア・フェの声だった。

 ――――通称、レーさん。長いから省略。本人も長いから、レーさんでいいと。

 スッ。冷たい感触は首筋から離れた。


「あの…すいません、ここにぶら下がっている人が居るんですけど……」


 女の子――――ルドガー・ド・オーテロがおずおずと声を上げた。


「…分かった。今助けてやる」

 別にこのままでもいいのだがな。とロクはまたそう思った。


 と。ロクはルドガーの上に視線を向ける。そこから何十本の蔦が伸び、ルドガーを拘束している。面倒な奴だな。

 この植物はしっかり避けてれば無害だ、稀に捕まる奴も居るが、人間の子供ですら簡単に脱出できるような強度だ。つまり暴れても蔦の一本引き千切れないコイツ――――ルドガー・ド・オーテロは…お察しだ。

 何が世界中に名を轟かせている稀代のトレジャーハンターだ。

 ちなみに、この蔦は時間経てばルドガーの重さに耐えきれず、勝手に切れるだろう。


 心の中で呆れつつも、ロクは右手を蔦の根本に向け、ヴォンという音と共に魔法を放った。不可視な刃がシュパッと何十本の蔦を一斉に切り裂いた。


「――――はわわあ!お、堕ちるうぅうう!」


 うっさい。その下に立っているロクは落ちてきたルドガーを両手伸ばしてキャッチした。俗に言う姫様抱っこだ。

 ボフ。と間抜けな音を発し、どう見ても七歳だろう女の子が二十八歳の大の大人に抱き抱えられていた。

 自然とルドガーはロクに目を向け、ロクもまた腕の中のルドガーを見下ろしていた。

 ルドガーの目尻には徐々に涙が浮かんでいた。逆にロクは冷ややかな目でルドガーを見ていた。

 図らずして見つめ合うような形になっている、ルドガーの顔がみるみるうちに赤く染まっていき、ゆで卵のように真っ赤になった。


「――――離して!いやぁ!こんな恥ずかしい格好!レディに失礼だよ!」


 またジタバタ暴れ出す。

 そして消え入りそうな声で、「初めてなのに」と呟いたルドガー。

 何がだ?と言うかレディって誰だ?コイツは頑なに自分のことを大人?の女と言い張っているが、どう見たって七歳だろう。

 ツッコミが追いつかないロクであった。

 ルドガーがそんなロクの顔を見て、不満そうに、


「何を!これでもボンキュッボンの大人のお姉さんだよ!?」


 声まで幼い。幼女ボイスで言われても説得力マイナスだぜ?

 …ボンキュッボンね……

 言葉に釣られて、ロクは、視線をルドガーの体の隅々まで這わせた。特に鎖骨の下の部分と腰の部分と骨盤の部分。

 そしてボンキュッボンの定義について考え始めた頃。突然目を見開き、頭を全力で右に避けた。


 その直後。

 殺意と殺気と、白い一閃が空間に風穴を開けた。その軌道はロクの頭部の真横を通り過ぎ、ロクの灰色の髪の毛が数本削り取られた。


「……邪な考え……」


 宙を舞う髪の毛。


「――――止めろ、レーさん」

「はわわぁ……!」


 極めて冷静なロクとは対比的、ルドガーは白銀の剣身を見て、身をブルブルと震わせ、ロクの腕の中で縮こまっていた。


「……邪な考え……」


 何も考えてねえっつーの。

 知り合って五年経つが、コイツは相変わらずヴァイオレンスエルフだな。

 五年だからこそ分かるが、今のレーさんって微妙に落ち込んでいる。声がいつもより気怠そう。

 思えばコイツとの初対面も酷いもんだ。とロクは最初の頃の記憶を思い出す。


 五年前、まだアールクエクタの街で学者をやっていた俺。その街を訪れた一人の銀髪エルフ。擦れ違った時いきなりレイピアを抜いて刺してきた。死ぬかと思った。人生初めて全力を出して避けた瞬間。


 その後も街中追い掛け回されて、「邪な考え」などと意味不明な言葉を発しており、意思疎通が不可能に近い状態だった。

 ようやく落ち着いた、と言うより、疲れてきたレーさんに、俺も息を切らしながら尋ねてみた。


「なんで俺を刺そうとした」

「……ん……邪な考えが…オーラが黒い…」


 普通の人間ならまず意味不明だ。そこで何度も会話を交わしてみると、どうやらレーさんは、生物のオーラが見える。そしてそのオーラの色はソイツの思考を示していて、白、灰色、黒と三色が存在しており、白は善意、灰色は中立、黒は敵意。


 初見の俺は黒だそうだ。

 訳分からん。

 やけに手慣れていることを鑑みると、レーさんは常習犯だと思う。よく捕まらなかったな。白昼の往来で黒の奴見付けたら斬りかかる奴なのに。


 それがレーさんとの出会い、とロクは改めて再認識した。

 更に衝撃の事実が後日明かされる。なんと黒色のオーラでも、その人が絶対に悪い人というわけでもない。ならなんで俺を殺そうとした?ますます謎が深まるばかりだ。

 尋ねても、


「……ロクは、久しぶりに見た独特の黒だから……」


 ……どうすればいいと思う?俺は周りから変人扱いされているだが、悪人ではない。

 と、なんやかんやで、俺の職業を知ったレーさんに付き纏われて、一つの屋根の下で同棲を始めた…勿論ただの家主と居候関係だ。


 なんだかんだで、レーさんは銀髪のエルフだ。その実力は折り紙付き。エルフは生きてきた年月の長さによって、髪の色が違う。生後百年未満の奴は黒髪。そして銀髪になると、最低でも六百年以上生きていることになる。更に一段階上の金髪だと、七百年スタート。

 こんな悪質極まりないエルフが辻切りとは、世も末だ。とロクは思う。



 ――――流石あの頃と比べてかなり話聞いてくれるようにはなった。

 レーさんはスッとレイピアを収めて、無言で佇んでいる。


「っよ」


 まだ抱き抱えているルドガーを地面に下ろす。まあ、大人のレディとか、ボンキュッボンとか関係なく、外見がか弱い幼気な女の子だ。扱いは優しく。

 幼い少女の短い黒い髪の毛がファサと靡いた。


「…ありがとうなのです」


 コイツもコイツで、困った奴だ。とロクは密かに思うのであった。


 何しろ、同じ意味で衝撃的な出会いだ。初めて出会った場所はマルダクタ、の郊外。スティルヴァに追い掛け回されているコイツを発見した。正直俺とレーさんが呆れて、コイツが情けなさ過ぎて、思わず助けてしまった。


 スティルヴァはある意味とても無害な魔獣だ。自分より強い奴には媚び諂う、自分より弱い奴は獲物だと見下し、嬲り殺す。こう聞くと邪悪な魔獣に聞こえるが、スティルヴァより弱い奴を探す方が難しい世界だ。

 コイツをペットとして飼う人間が大勢居るくらい、奴はどちらかと言うと愛玩動物だ。


 そのスティルヴァに見下されるコイツは、つまりスティルヴァより下だと認定されている。

 それなのに――――


「――――やぁやぁ!助けてくれてありがとう!いやぁ~、世は情け、旅は道連れだね。私はルドガー族のルドガー・ド・オーテロ!世界一のトレジャーハンターさ!」


 とのたまった。このチンチクリン。


「お礼に、これをあなたに進ぜよう。ルドガー族特製の回復薬、一ボトル456ダル!」


 金取るのかよ!とロクは激しく突っ込んだ。


「イラネ」

「――――む。そう言わずにさ、これの効果は強精作用がありますよ?ほら、飲んだら連れの彼女だってあなたにメロメロ…」


 シュッ。


「…邪な考え……」


 レーさんのレイピアがチンチクリンの体を貫く前、電光石火の速度でロクはルドガーの襟を掴んで引き寄せた。危機一髪。危うく惨殺現場になるとこだった。


「……は、はわわぁ…」


 一歩間違えたら体に風穴が空いていた。鋭く白銀に輝く剣身を見て、ルドガー、もとい、チンチクリンの体の震えが止まらなかった。


「…止めろ、レーさん」

「……」


 静かにレイピアを鞘に収めたレーさん。


「……い、命の恩人!今なら二ボトルなんと912ダル!」


 結局金取るのかよ!そしてディスカウントされてねぇ。ちゃっかりしてんな、コイツも。


 お名前は?命の恩人さん。ロクだ。ロクッロー・シャンテクス。

 職業はなんですか?ロクさん。…学者だ。

 自分、付いていくっす!――――なんでだ!?

 と、世界一位らしいトレジャーハンターが強引に付いてくる。どうしてこうなった。



 ――――現在に至る。

 付いてくると宣言したコイツは、このポリランカエルク大森林まで付いてきた。

 死の森と名高いこの大森林だ。入り口で引き返すだろうと思っていたが、何故か付いてきた。そして蔦に捕えられ、無様を晒す。


「また助けて頂き、誠にありがとうございます。今ならなんと三百五十二ボトルがたったの160512ダル!」


 ペコリと頭を下げて一礼するルドガー。

 まだ諦めてないらしい。流石世界一のトレジャーハンター。コイツを三百五十二回も助けたのか。


 腰のベルト右から三番目の袋から地図を取り出し、方向確認する。ルドガーはまだ騒いでいるが、ロクは無視を決め込んだ。

 この森に入ってから既に三日は経過した。未だに目的地に辿り着いていない。何せポリランカエルク大森林はアルク国とレンヤ帝国を横断する森林地帯。また辺境へと続いているため、ただ広いだけの森ではなく、凶悪な魔獣がうようよ徘徊している。

 いくらレーさんが強くても、足手まといまで守りきれるとは限らない。

 今日も野宿か。と心の中でそう思うロクであった。




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