変化

ひめが遥座ようざを救ったことは、浅葱あさぎにとっても大きな意味を持った。正直、それまでは彼女のことをどこか異端視し警戒していた浅葱あさぎがようやくひめの存在を受け入れてもいいという気持ちになれたのだ。


だから家で二人でいる時にもリラックスしている様子も見せるようになった。


おそらく、この世界で生きてそういうのを見慣れている人間でなければ気付かないような僅かな変化かもしれないが、確かに緊張感が和らいでいるのである。それを、人間の微妙な心理の変化を察知する能力を与えられたメイトギアであるひめも察していた。


テレビを見ている時の浅葱あさぎの姿などにそれが大きく表れていたようだ。


なお、現在、この世界には<娯楽>と言えるものは皆無だった。テレビはあるが流されている番組は殆どがこの世界を先人達がいかにして築き守り通したかを伝える記録映画のようなものが殆どで、他には<相撲>くらいのものだった。


相撲といっても、かつて地球の日本に伝わっていたものとは大きく様変わりしている。


試合形式はトーナメント制で、勝ち上がった者が<横綱>と呼ばれるチャンピオンに挑めるという、およそ公平な勝負とは言い難いものになってた。何しろ<横綱>は挑戦者が決まるまで試合を見ているだけで、それでいて挑戦者の方は何試合もこなした上で挑むのだ。普通であれば勝負になる筈もない。だが、時に、その番狂わせが起こる。挑戦者が飛び抜けて強かったり、<横綱>の体調が良くなかったり、油断をしすぎて隙を突かれたりということで挑戦者が勝ってしまうのだ。そういう時は特に盛り上がる。そして挑戦者が勝つと次の<横綱>となり、負けた方はまた挑戦者となるか、横綱在位期間に応じた報奨金を貰って引退するかとなる。


しかも、互いに服を着たままで腹に巻いた帯を掴みただ力比べをするだけの、もはや名前だけが辛うじて残っているだけの別の<何か>だった。


それでもこの世界の人間達にとっては数少ない娯楽と言えたかもしれない。


浅葱あさぎはあまり<相撲>が好きではなかったが、他に見るものもないので、やってる時には見ていることも多かった。


ちなみに、ひめは当然、それが本来の相撲でないことは気付いていたが、かつての文化などについても触れないようにということで指摘はしなかった。それに、こういうものは時代や社会情勢によって変化していくものでもある。古代ローマで行われていた<パンクラチオン>がレスリングへと形を変えたように。


ロボットであるメイトギアは、人間の文化の変異については関知しないし干渉もしない。それは人間のみが許されることだからである。


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