第38話 過ち(あやまち)

 紙芝居師が吹き飛ばされると同時に、体に自由が戻る。


「ダニー、おいダニー!」

 翔は腹から血を流してうつ伏せに倒れているダニエルに駆け寄り、崇継も心配そうに傍に寄り添う。

 半次郎は救急車を呼び、菜々は泣き叫ぶ子ども達をあやしている。


「どうなっとるんや?」

 紙芝居師の様子を見に行っていた谷本が、戻ってきて尋ねる。


「あいつは?」

 半次郎が尋ねる。


「死んどったわ、それより、どないしたんや?」

「敵の忍術だよ、僕ら全員操られてた。…君が来てくれなかったら全員あの世行きだったかもしれない。」

 そう言ってダニエルの方に向けた目は悲哀に満ちている。


「やられた…バイ…。」

 ダニエルは喋る度に口から赤黒い血の塊を吐き出す。


「喋るな、じっとしてろ、すぐに救急車が来る。」

「すまん…バイ。」


 けたたましいサイレンの割にもたもたとやって来た救急車に、レオナルドと崇継も同乗していく。


「病院に着いたら連絡します。」

「あぁ、頼む。」


 翔たちは、付き添いをレオナルドと崇継に任せ、紙芝居師の死体の処理を谷本に一任すると、警察が来る前に<服部茶房>に戻った。


「くそっ!」

 翔は戻るなりイートインコーナーの机を両手で思いっきり叩きつける。


「落ち着け、翔。」

「落ち着いていられるか! 作戦は明日なんだぞ! ダニエル無しでどうするんだ!」

 翔はもう一度机を叩くと、半次郎の方に殺気立った目を向けた。


「おじさん、話がある。」

 半次郎は翔の決意を見て取り、慌てて止める。


「お、おい、待て、翔、それはダメだ、危険すぎる。」

「じゃあ、どうするんだ? また谷本に助けて貰うのか?」

「そ、それはそうだが、きっと別の方法が…。」

「方法なんてない! 忍術無しで忍者と渡り合おうなんてのが甘かったんだ! おじさん、俺はもう仲間を誰も失いたくないんだよ!」


 半次郎はしばらく黙っていたが、意を決したように頷く。

「分かった、薬を試してみよう。」

 そう言うと、準備を始めた。


「翔くん…。」

 菜々は、翔をなだめるように肩に手を置き、悲しげな瞳で見つめている。


「ばっちり処理してきたで。」

 死体の処理を終えた谷本が帰ってきた。


「すまん、<閉店>の札にして鍵をかけておいてくれ!」

 半次郎は、店の戸締りをお願いすると、例の緑色の小瓶と青色の小瓶を、机の上に並べる。


「なんや、何が始まるんや?」

 戸締りをした谷本がやってきた。


「忍術を取り戻す薬よ。」


「取り戻す薬だ。」

 半次郎が訂正する。


「翔、最後にもう一度確認だ、いいか、この薬にはどんな副作用があるか分からない。

 しかも、忍術が戻るかどうかは飲んでみなきゃ分からない、戻らないかもしれないんだ、それでもいいんだな?」


 翔は無言で頷く。


「よし、飲め。」

 半次郎は緑色の方の小瓶を差し出す。


 翔は一息にそれを飲み干した。


「どうや、何かこう…力みたいなん感じるか?」

 谷本に聞かれ、翔は確かめる様に自分の体を眺めてみるが何も感じない。


「いや、何も変わり…うぐっ、がぁあっ!」

 突然叫び出すと頭を抱えてもんどりうって床を転げまわる。


「翔くん!」

「おい、どないしたんや!」

「まず、頭を激痛が襲うんだ。」

 半次郎はそう言うと、青色の小瓶を手に取った。


「僕の時は、この後、頭痛が治まった後に、突然手が熱くなり先端からやけただれた。」

 菜々と谷本は生唾を飲む。


「もし、翔がそうなったら、無理やりにでも解毒薬を飲ませるよ、いいね。」

「分かったわ。」

「もし、イヤや言うたらウチが殴ってでも飲ませたる。」


 三人が見守る前で翔は激しい頭痛にのたうち回っていたが、2~3分すると治まってきたようだ。

 頭を振りながらゆっくりと体を起こす。


「おい、翔、体が熱くはなってないか?」

「…いや…特には…。」

「成功…なんか?」


「翔、何か忍術を出してみろ。」

 翔は一縷の望みを込めて左手の手のひらを上に向け、意識を集中した。


「梅花の舞」

 しかし、願いもむなしく手のひらからは何も出てこない。


「失敗か…。」

 半次郎の何気ない呟きが、翔の心を深くえぐる。


「ちょっと一人にさせて下さい。」

 翔はフラフラと立ち上がり地下室へと降りて行った。


「翔くん、かわいそうに…。」

「ほんまに失敗やったんか?」

「分からない、でも忍術は戻ってないのは確かだ。」

「でも、副作用は無かったんだし、良くはならなかったけど、悪くもなってないわよ!」

 菜々は精いっぱい前向きな言葉を絞り出す。


「そんな慰めが通用する状態じゃないよ。」


 三人は地下室への階段に視線を向け、途方に暮れたようにため息を吐いた。



 **********


「ぐわぁっ、くっ…。」

 翔は間欠的に激しい頭痛に襲われていた。


(力が戻らないばかりかこのザマだ)


 翔はコンクリートの壁を力任せに蹴りつけると、力なく簡易ベッドに腰かけた。

 自分が忍術を無くしたせいでダニエルの命を危険に晒した。

 それなのに、数時間前の自分は、忍術なしでもどうにかなるかもなんて甘い考えで浮かれていた。


 だ。


 とんでもないだ。


 だが、一体これからどうすればいいんだ?

 最後の頼みの綱の薬は効かないどころか、激しい片頭痛という厄介な土産も残してくれた。

 自分に対する激しい怒りと虚脱感がごちゃ混ぜになり、整理できない感情の波が翔を襲い、目からは自然と大粒の涙が流れた。


 キィ。


 一階の扉が開き、人影が階段を降りてくる。


 谷本だ。


 翔は涙を見られたくなくて、背中を向けた。

 谷本は無言のまま、背中合わせにベッドに腰かける。


 誰とも話したくないけど、一人では居たくない、そういう気分を察してくれたのだろうか、暖かい背中の温もりが心地よかった。


「自分…守りたかったんやな。」

 谷本がポツリと呟く。


 優しさが心に染みて、翔は嗚咽を漏らす。

 そんな翔を後ろから優しく抱きかかえて、泣き止むのを待ってくれている。


 しばらくして泣き止んだ翔に、谷本が唇を合わせて来た。

 背中に触れる柔らかい胸と、ふわっとした唇の感触が翔の心を溶かしていく。


「ウチの事、好きにしてええんやで。」

 耳たぶを甘噛みしながら囁く。


 翔が貪るように唇を吸うと、谷本は前に廻って、着ていた黒のワンピースを脱ぎ捨てる。

 黄色いレースのブラからはみ出さんばかりの巨乳を翔の胸板に押し当て、膝の上に跨ると下半身を擦り付けてくる。

 抱き寄せると、今度は谷本の方から唇を貪ってきた。


「なんであん時ウチに情けかけてくれたん?」

 激しいキスの合間に谷本が問いかける。


(なんで?)

 あの時は激しい戦いの後、半裸で横たわって衆目に晒される谷本が哀れに思えて…。


 哀れ?

 それは今の自分だ。

 忍術も使えない哀れな自分…。


「やめろ!」

 翔は湧き出てくる負の感情に耐えられなくなり、谷本を押しのけた。

 プライドを傷つけられたのか、谷本はこちらを睨みつけている。


「ごめん!ごめん谷本、でも、俺…。」

「なんや、こういうんは嫌いか?」

「いや、俺、こんな風にお前を抱けない。」

「はんっ、まぁええわ、自分もったいない事したのぉ、後で頼み込んで来ても、もうさせたらへんで。」


 谷本は憎まれ口を叩きながらワンピースを着直す。

 そのまま階段を登ると、途中で振り返った。


「自分、今のが優しさや思うとるなら大間違いやで。

 自分の忍術、梅花言うとったけど、アレはあんた自身や、見た目綺麗やけど、結局は周りを傷つけてしまいよる。」


 谷本の言葉は、またも翔をえぐった。



 ~1時間後~


 翔は力ない足取りで地下室から出て来た。

 半次郎からダニエルの病院を聞き、見舞いに行くと告げて、店を出る。


「夕飯までには帰るのよ!」

 菜々の呼びかけにも答えない。


「大丈夫かしら?」

「信じるしかないよ、信じて待とう!」

「今回ばかりはアカンかもしれんなぁ。」

 帰らずに残っていた谷本が残念そうに呟いた。


 江東臨海病院に運ばれたダニエルはICUに入っていた。

 意識を失い人工呼吸器に繋がれたダニエルの巨体を、言葉もなく十数分見つめていたが、たまらず病院を飛び出す。


 どこをどう帰ったのか分からないが、気が付くと、<法明寺>の山門の階段に腰かけている。

 いつもの猫が隣にやってきて毛づくろいを始めても、気づかないままぼうっとしていた。


「ショウさん?」


 見上げると、そこには薫の笑顔があった。

 翔は立ち上がると、薫を抱きしめて激しい口づけを交わす。


 最初はびっくりして体を固くした薫だったが、すぐに硬直は消え、片手を腰に廻すともう片方の手で翔の頭を撫でる。

 心がほだされていく感覚に、我に返って唇を離す。


「ごめんなさい、カオルさん、僕。」

「い、いえ。」

 薫も動揺を隠し切れない様子だ。


「あの、何かあったんですか?」


 今朝、襲撃があった事は薫も知っている。

 その件で、巨漢の男が重傷だとも聞いていた。

 それを自分のせいだと思い悩んでいるのだろうか?


「実は…うっ。」

 話し出そうとした翔を、激しい頭痛が襲う。

「うあぁっ。」


 薫は、頭を抱え込みうずくまる翔を慌て介抱する。

「ど、どうしたんですか。」

「あ、頭が。」

「私の部屋、こっちですから、頭痛薬、市販のしかありませんけど。」

 薫は、翔を引きずるようにして自分の部屋へ連れて行く。


 生活感の無い無機質なワンルームの部屋の簡易なベッドに腰を下ろし、錠剤を水道水で流し込んだ。


「落ち着きましたか?」

 薬が効いた訳ではないだろうが、頭痛はだいぶ治まって来た。


「すみません、こんな夜中に部屋に上がり込んじゃって。」

「ほんとですよ!」

「ほんとごめんなさい!」

 薫はふふっと笑うと、無言で窓の外を眺めた。


 ごみごみとした下町の風景だ。


「さっき言いかけた事…教えて下さい。」

 アーモンド形の綺麗な目がこちらを見据えている。


「信じてもらえないかもしれないけど…。」

 そう前置きをすると、翔は意を決したように話し始めた。


 ・自分が忍者である事。

 ・ある陰謀に巻き込まれて、幼い兄妹を保護した事。

 ・その妹がさらわれた際に自分も力を失った事。

 ・そのせいで仲間の命を危険に晒した事。

 ・力を取り戻す最後の手段が失敗に終わった事。

 ・明日、その妹を救出に行く事。

 ・明日、自分は別な用で別な場所に行く事。


「多分、明日は戦闘になる…、その時こそ、俺は死ぬかもしれない。」

 そう言うと、翔は乾いた笑いを浮かべた。


「カオルさんと初めて会ったのは、忍術を無くした直後だったんです。」

 翔はとめどなく溢れてくる想いを話し始める。


「喪失感と虚無感で、自分が何者でもなくなってしまったような感じがして押しつぶれそうな時に、木漏れ日の中で薫さんを見かけて、その姿がなんだかとても綺麗で…。

 その姿を見て、どうしてか分からないけど、忍術が無くても戦っていけるかもしれないって思ったんです。

 新緑と自分を重ね合わせたのかもしれない…、今年の桜は散ってしまったけど、また来年花を咲かせることが出来るかもしれないって。」

 翔の瞳から涙が溢れてくる。


「でも、幻想でした…、もう僕はない。です。」


 パアァン。

 薫は翔の頬を叩いた。


「そんな事言うな!」

「カオルさん?」

「ショウさんがそんな事言ったら、忍術を無くした何者でもないあなたを好きになった私はどうなるんですか!」

 薫は燃える様な瞳に涙を浮かべて翔を見つめている。

 二人はゆっくりと唇を重ねた。


 **********

 薄手のカーテンから差し込む朝の光に、薫は目を覚ました。

 まだ眠っている翔の頬に軽く口づけし、はだけた胸に顔を埋める。

 薄い布団の下はお互いに何も身に着けていない。

 軽い寝息を立てている翔の体温を感じながら、薫は決意した。


(翔は死なせない。)


 二人で新しい人生を歩むのだ。


 翔がムニャムニャと寝言を言っている。


「もうっ、なんて言ってるの?」

 眠っている翔に問いかけると翔が答えた。


「知佐…。」


 薫は妖艶な笑みを浮かべて決意した。


(殺してやる。)


 **********

 翔は目を覚ますと、自分の胸に載せている薫の頭を優しく撫でた。

 薫が眠そうな目をこちらに向ける。


「薫?」

「うん?」

「俺、行くよ。」

 短い言葉に強い決意が滲む。


「ねぇ、翔、帰ってきたら話したい事があるの。」

「うん。」

「だから、絶対帰ってきて。」


 上目遣いに懇願するような眼差しを向ける薫に、翔は力強い笑顔を返した。


「あぁ、絶対帰ってくるよ!」

 

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