第4話 シノバザルモノ
2019年(平成31年)4月5日
~福岡~
間断なく漏れる喘ぎ声に、肉と肉を打ち付け合うリズミカルな音が部屋中に響いていた。
見上げると、豊満な乳房が千切れんばかりに暴れ狂っている。
頭を激しく振り乱して悶えたせいで、アップにした髪は既にほどけ、淫らに乱れる女の表情は確認できない。
騎乗位で激しく動く腰は、まるでそこだけ別の生物の様だ。
女の両手を引っ張り、背中に腕を回して獰猛な乳房を胸板で抑え込むと、もう片方の手で動き回る尻を鷲掴みにし、下から思いっきり突き上げる。
喘ぎ声は、もはや絶叫と呼ぶのが相応しい獣の様な声になり、そして激しい痙攣と共に途絶えた。
ぐったりと力なく寄りかかる女の髪を払って、翔は喘ぐように視線を泳がせた。
真っ白な壁に真っ白な天井、ホワイトフローリングの床の上に置かれたクイーンサイズのベッドも白いシーツで覆われている。
福岡空港から少し南に下った所にあるこのホテルは、スイーツビュッフェを備えた、とてもラブホテルとは思えない雰囲気がウリだ。
非日常感には乏しいが、物珍しさから微妙な関係の女性を誘うのには重宝している。
**********
遡ること4時間前。
翔は、浮気調査の報告のため、春吉にあるマヌ・カフェを訪れていた。
公共スペースの禁煙化が進む中、珍しく喫煙可能な愛煙家には嬉しい店だ。
値段の割にいい豆を使っており、深夜までやっているので、翔もたまに仕事終わりや飲んだ後にお世話になっている。
翔自身は喫煙者ではないが、浮気調査の依頼主が喫煙者のため、この店をチョイスしたのだ。
3階の落ち着いた雰囲気の席で待っていると、セミロングの明るい髪をした太めの女性がラテを載せたトレーを持って階段を登って来る。
白いロングのスカートにGジャンを羽織っているが、豊満な胸に邪魔されてボタンは締まり切らない。
女性は店内を見回し、こちらを確認すると軽く会釈しながら近づいてきた。
「わざわざご足労いただきありがとうございます。」
軽く会釈を返して向かいの席を促す。
彼女は、この前ラブホで眠ってる間に情報をコピーしたリサの件の依頼主だ。
「今日はちょっと寒いですね。」
いきなり旦那の浮気の事実を突きつけるのは躊躇われたので、おためごかしに気候の話をする。
「えぇ…、それより」
固い表情のままで、調査結果の提示を求めてきた。
彼女からすれば、まだわすかに希望を持っているだろうから当然だ。
「それでは早速…。」
言いながら、テーブルの上に乗せた茶封筒を彼女の方に滑らす。
「そちらが調査結果になります…。」
封筒の中には、SNSでのやりとりのコピーや、ご丁寧にスマホに保存していた行為中の写真などの決定的な証拠が入っている。
「ありがとうございます。」
そう言って女は封筒を手に取ってみたが、中を見るのには勇気が要るようだ。
「持ち帰ってからご覧になりますか?」
「いえ、こちらで。」
覚悟を決めたのか、封筒の中を見て写真を手に取るとハッと息を飲んだ。
よりにもよって行為の最中の写真で、洗面所の鏡の前で立ったまま結合している旦那の顔もハッキリ写っている。
写真を封筒に戻すと、唇をかみしめて怒りをこらえているが、小刻みに震える肩からは動揺が隠し切れない。
「お辛いでしょうね。」
優しく声を掛けると、彼女の目から大粒の涙が零れ出した。
浮気調査で唯一気に入らない点があるとすれば、結果報告だ。
大抵の場合は、このように泣き崩れるか怒り狂うか、はたまた意気消沈して無反応になるかで、いずれにせよ冷静に報酬の話ができるまでなだめないといけない。
かと言って、下手にアドバイスをする訳にもいかないので、結局は「お気持ちはよくわかります。」とか「お辛いでしょうね。」位しか言う事はないのだが、時に相手が女性の場合、心の混乱と翔の優しげな雰囲気の相乗効果で、開き過ぎる位に心を開いて、果ては肉体関係を求めてくる事がある。
今回がそうだ。
最初は悲しみに打ちひしがれて旦那との想い出などを離していたが、それが段々と怒りに変わり、ついには私も浮気してやるという気持ちになったらしい。
女の瞳に欲情の炎が灯るのを感じ取った翔は、とろけるような笑顔で切り出した。
「奥さん、ここではなんですので、最近出来た個室でスイーツビュッフェ食べられる所で、もっと話を聞かせていただけませんか。」
女の方は、一瞬戸惑いを見せたが、翔の瞳の奥にある獣性に惹かれたのか、無言でうなずく。
あとは成り行きに任せて自分の欲求を開放させるまでだ…。
**********
情事の名残が残るベッドの上で、荒い息のままもたれかかっている女を優しい手付きで仰向けにすると、起き上がって布団から出た。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し喉を鳴らして飲む。
荒い息をのまま放心状態で仰向けになっている女の様子からは、うっ憤を晴らすような激しいセックスに満足しているのか、それとも後悔の念を感じているのかは伺えない。
ベッドに腰かけ女の頭を撫でると、太ももに頭を載せて来たので、飲みかけのペットボトルの水を飲ませてやった。
「これでアタシも旦那と同罪ね。」
そう呟いて照れたように微笑む彼女を見て、少しだけ胸が痛んだ。
青のザ・ビートル・カブリオレでホテルを後にする頃にはすっかり夜も更けていた。
住吉公園の手前で女を降ろすと、事務所の駐車場に車を戻して、いつものように屋台「ダっちゃん」に向かう。
いつもは自分とレオナルドくらいしか客は居ないのに、本日は盛況のようだ。
「いらっしゃーい、スケコマシご来店~。」
ダニエルの明るい冗談も、今日は何故だか胸に刺さった。
「今日はもやしラーメンにしてくれ。」
「はいよ!」
「固めな」
いつもの様に念を押すと、観光客と思われる女子大生グループとレオナルドの間に空いている席に座った。
「珍しくイラついテルナ。」
レオナルドはコンピューターオタクのくせに、人の感情を読み取るのに長けている。
「まぁな。」
「言ってミロヨ。」
「具体的にどうって訳じゃないんだ、漠然とした不安というか。」
我ながら下手な説明だ。
「どうせ、コマシた女になんか言われたっちゃろ!」
ダニエルはダニエルで勘がいい。
「うるせぇな、麺が伸びるだろ!」
こいつらと話していると、日常の悩みがバカバカしく思えてくる。
「ヘイ、お待ち。」
湯気を立てるラーメンを啜りながら店の隅に置いてあるテレビに目をやると、相変わらず人の良さそうな老人が「令和」と書かれた額を誇らしげに掲げるシーンが流れていた。
新時代の始まりを、世の中が歓迎している。
新時代はきっと良い時代になるだろう。
テレビからはそんなムードばかりが伝わってくる。
(果たして本当にそうだろうか?)
「(令和)って意外とかわいくていいよね~。」
「なんとか天満宮がゆかりの神社らしいよ~。」
隣の女子大生達も浮かれた様子で浅薄な知識をひけらかしている、ゆかりの神社は坂本八幡宮だ。
「なんか新しい時代になるってワクワクするね!」
(果たして本当にそうだろうか?)
とめどなく湧いてくる漠然とした不安を振り払うように麺をかき込んだ所で、レオナルドがカウンターの端に座っている男に不審の目を向けているのに気付いた。
「レオ、どうした?」
「アイツ、ちょっとおかシイ。」
レオナルドの視線の先に居る若い男が口から涎をたらして虚ろな目をしている。
「クスリか、ちょっとヤバそうだな。」
席を立とうとした瞬間、男が動いた。
「せからしか!、何が新時代や、にやがんな!」
隣に居た若い女性の首に手を掛け、引き起こすように立ち上がると、懐から取り出した銃を女性の頭に突きつける。
太く強い鼻息から男が極度の興奮状態なのが見て取れた。
「きゃあー。」
女性たちが悲鳴を上げてコップやイスを倒しながらよろけ、それが更に男を興奮状態へと導く。
手に持った銃はいつ火を噴いてもおかしくない。
「お、お客さん、そげん興奮せんとよ。」
ダニエルも相手を刺激しないようになだめようとするが、男に通じているのかどうか分からない。
男の目は瞳孔が開ききって異様な光を帯び、全身は小刻みに震えている。
「令和になったら俺も用無しや、そん前にお前ら全員殺しちゃる!」
女の首に掛けた腕に、更に力をかけて自分の方へ引き寄せる。
首が締まっているので、銃で撃たれる前に窒息してしまいそうだ。
(待ったなしか。)
「おい、お前!」
翔は座ったままゆっくりと男の方に体ごと向き直る。
男は瞳孔の開いた目を翔に向け、翔もまた男の目を見ることで2人の視線が交錯した。
「かっ」
男は小さく息を漏らしたかと思えば、そのまま体の動きを停止した。
体の震えも鼻息もすでに止まっている。
大きく見開いたままの視線の先には、オレンジ色に鋭く光る翔の瞳があった。
「破刻の瞳。」
小声で呟くと、視線は動かさずに男に近づいていく。
男の目を見たままで、首に巻き付いている左腕をほどき優しく女性を解放すると、男の右手から銃を奪い、後ろ手に締め上げる。
すると、ようやく男の身体に自由が戻ったのか再び暴れ出したが、翔は後ろから羽交い絞めに頸動脈を絞めて静かにさせた。
「レオ、警察呼んでくれ。」
「もう呼んでるヨ。」
その言葉通り、サイレンの音が聞こえて来た。
ダニエルは、倒れ込んだ女性客を介抱しながら割れたコップや食器の片づけを始めている。
その傍らで男に囚われていた女性は、目の前で起きた出来事を呑み込めないように茫然とたちすくんでいた。
何かスポーツをやっているのだろう、水銀灯に照らされたショートカットの健康的な肢体が凄惨な現場とやけに不釣り合いに見える。
「もう大丈夫だよ。」
翔が優しく肩を抱くと一瞬緊張で筋肉が固くなったが、甘い微笑みを投げかけると、すぐに弛緩したのが分かった。
**********
1時間後、翔とレオナルドは通常営業に戻った「ダっちゃん」で餃子をつまんでいた。
「ナンカ引っかかるヨナ。」
警察は薬物常用者の突発的な犯行と考えているようだが、レオナルドは違和感を持っているようだ。
「俺もだ、後でおじさんに聞いてみるよ。」
「ソレハソウト、あれも忍術カ?」
「あれ?」
「相手の動きば止めたやつたい!」
「あぁ、あれは忍術だよ。」
「ウソツキ!」
「は??なんでだよ。」
「ニンジャは魔法使いじゃナイって言ったじゃナイカ。」
「そうや、あげんかと意味分からん、訓練したっちゃできる訳なか!説明せんか!」
ダニエルも加勢する。
「あれは(破刻の術)って言って、魔法をかけた訳じゃなくて、相手の体感時間を止めただけだよ。」
「止めたダケダト?」
「どげんして止めるとね?」
「いや、お前らも衝撃的な事があったりすると、一瞬、時間が止まった様に思う事あるだろ?原理はそれと同じだよ。」
「ハァ?」
「なんや、それ。」
レオナルド達の嘆きも分かる。
全く説明になっていないが、本人にもそれ以上は分からないし、実際に出来るのだから仕方ない。
「俺の場合は、その衝撃を与えるのが目力だから(破刻の瞳)って言ってるけど、薬草使う人も居るらしいよ。」
「メヂカラネ…。」
「…お前、バカにしてるだろ。」
「ウン。」
「ふざけんなー!」
じゃれ合っている所に、来客が来た。
「あのー、すみません。」
振り返ると、先ほどのショートカットの女性が一人で立っていた。
他の友人たちは一足早くホテルに帰っていたが、彼女だけは当事者として一人残って警察の事情徴収を受けていたのだ。
「先ほどは助けていただいて、ほんっとうにありがとうございました。」
礼儀正しく深いお辞儀をする姿からも、スポーツをやってる娘だと想像できる。
「いや、こちらこそ、大変でしたね。」
翔は、助けた時と同じ甘い微笑みを投げてみせる。
「いえ…。」
微笑みを受けて、俯き加減に体を揺らすしぐさに翔もスイッチが入る。
「ご飯の途中だったしお腹も空いてるんじゃない?」
「えぇ、少し。」
「スイーツビュッフェのお店があるんだけど、どうかな?」
「こんな遅くに、そんなのやってるお店があるんですか?」
やはり、女性は甘いモノには目がない。
「うん、車で10分かかんない位だよ。」
「でも、助けていただいた上に、申し訳ないです。」
「何言ってんの、せっかくの福岡旅行を台無しにしてしまったんじゃ、福岡県民として恥ずかしいから、罪滅ぼしさせてよ!」
罪滅ぼしの言葉が効いたのか、彼女に笑顔が戻ってきた。
「じゃあ、行こっかな。」
翔は彼女の肩を抱くと、右手を上げてレオナルド達に別れを告げ、駐車場に向かって歩き出した。
今度は、彼女の肩は弛緩したままだった。
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