不忍探偵社
J・P・シュライン
プロローグ
第1話 スケコマシ探偵 夜に啼く
2019年(平成31年)4月1日
~福岡~
少年は誇らしげに胸を張り、軽く目を閉じて静かに息を吸い込むと、一拍おいて天井を見据えながら、ため込んだ息を一気に吐き出した。
「僕の夢は世界平和です!」
教室を静寂が包む。
(さぁ、みんな、俺をほめてくれ!)
少年は教室を包む空気が自分への称賛に変わるものと期待して薄目を開けた。
「バッカじゃね?」
「翔、狙いすぎだろ、お前!」
「翔君、天然だね~。」
「低レベルすぎ、恥ずかしい~。」
教室を包む空気は爆笑の渦へと変わっている。
(なんで? 世界平和のどこがいけないんだ!)
少年の胸には、恥ずかしさと理解されないもどかしさ、後悔の念などの感情が一気に押し寄せ、受け止めきれない。
「はい、みんな笑わないで。」
担任の中年女性がフォローに入る。
「翔君も、真面目に将来の夢を聞いてるんだから、ふざけたらダメよ。」
(ふざけてない、本気だ!)
少年は怒りとも羞恥ともつかぬ感情で、顔を真っ赤にして立ちすくんでいる。
(俺の事理解してくれるのは誰も居ないのか?)
少年はあえぐように、ゆっくりと周囲を見回した。
(いた!)
視線の先では、柔らかく暖かい視線が少年に向けられている。
(あぁ、やっぱり優しい・・俺を分かってくれるのはやっぱりお前だけ・・・。)
少年は彼女に向けて右手を伸ばした。
(俺と一緒に・・・)
ムニュ。
柔らかい感触が手のひらに伝わり、服部翔は現実へと引き戻された。
右手にはFカップはあるであろう綺麗な乳房が、手のひらにちょうど収まっている。
「んんっ・・・。」
美乳の持ち主は少し反応したが、手を離すとまたすぐに寝息を立て始めた。
「夢か。」
消し忘れたテレビには、人の良さそうな老人が新元号の書かれた額を誇らしげに持つ姿が繰り返し写っていた。
(あの頃の夢で目覚めるなんてな・・・。)
トラウマという程ではないが、過去の恥ずかしい経験など誰も思い出したくない。
翔は優しい手つきで美乳の持ち主に布団をかけてやると、浴室へと向かった。
ガラスの扉を押して開くと、広々とした浴室の中央にあるFRPの浴槽が7色のイルミネーションを繰り返し発光している。
少し冷めたお湯が浴槽に張ってあるのは、あとで入ろうと思ってお湯を貯めていたものの、仕事に手間取ったのとしつこく求められて疲れ果ててそのまま寝てしまったからだ。
お湯の温度を確かめるようにゆっくりと湯船に浸かり、熱いお湯をつぎ足しながらブローバスのスイッチを入れた。
ブゥーンという微かな音と共に全身を刺激する柔らかい泡が、疲れを癒してくれる。
「世界平和か・・、ふふっ。」
翔はその端正な顔に苦笑を浮かべて呟いた。
正義感に燃えていた少年時代を思い出すと、現在の自分とのギャップに失笑するしかない。
今年で28歳になる服部翔は、5年前から福岡の中州に探偵事務所を構えている。
幼少のころから教え込まれた特技を活かした職業と言えなくもないが、現在の翔の稼ぎの大半はもっぱら浮気調査で、特殊技能も何も必要ない。
曾祖母がイギリス人である翔は、異国の血を色濃く受け継いだようで、183cmの長身に彫りが深く整った顔と濃いブルーの瞳に、柔らかい雰囲気で幼少のころからとにかくモテた。
聞き込みなどでは、それを活かして話好きなおばちゃん達から難なく話を聞き出せるし、更に踏み込んで関係者を堕とす事で証言を得る場合もある。
・・・今がそれだ。
奥さんの方から依頼があった浮気調査だが、旦那は疑り深い性格のようで、なかなか尻尾を掴ませない。
そのため、旦那の張り込みをあきらめ、浮気相手の女・リサの方に偶然を装って近づいた。
なにしろこっちは入念な下調べをしているうえに、近用心深い旦那とは最近めっきりご無沙汰なので、リサは欲求不満の塊だ。
そんな心の隙間にスルリと入り込む軽妙なトークと魅惑的な笑顔で、三回目のデートでホテルに連れ込んで真実を聞き出す事に成功した。
いつもの倍以上の時間をかけて激しいプレイをしたので、リサの欲求不満も解消されてゆっくりと眠りに入った隙に、スマホからSNSでのやりとりを抜き出して、自分のスマホに転送したのだ。
(これで50万とは、高いのやら安いのやら・・・)
依頼者である奥さんは、浮気相手の女・リサも訴えるつもりなので、ベッドですやすやと眠っているリサがこの後どんな目に会うかと思うと、少々胸が痛んだが、そもそも不倫をする方が悪いのだ。
そう自分に言い聞かせると、翔は嫌な記憶を振り払うように、一度頭の先まで浴槽に浸かってから勢いよく湯船を出た。
体を拭いて部屋に戻る。
天井に施された幾何学模様の掘り込みは、間接照明で優雅に照らされ、ガラスモザイクタイルが散りばめられた壁に埋め込まれたミラーが、キングサイズのベッドに横たわりだらしなく胸をさらけ出す女の姿を写していた。
ベッドヘッドに備え付けてあるパネルを見ると、デジタル表示は0:30を示している。
翔はリサを揺すって起こすと身支度をさせた。
「ごめん、急用ができちゃって、帰らなきゃいけなくなっちゃった。」
福岡の地にあって、翔は標準語で話すようにしている。方言で話すと心の揺れを見透かされる気がして心理ゲームに集中できないからだ。
「もぉ、急用て他の女やろぉ!」
リサはそう言って膨れてみせたが
「違うよ~、リサに全部吸い取られて、もう他の女となんてできないよ。」
そう言って爽やかな笑顔を返すと、激しいプレイを思い出したのかリサは頬を赤らめてはにかんだ。
精算を済ませて今泉のホテルを出ると、中州の屋台に足を向ける。
少し肌寒かったが、微かに塩の香りのする風が、情事の名残を消してくれるようで心地よかった。
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