環ROY『なぎ』

 環ROY(タマキロイ、と読む)は日本のラッパーである。私が環ROYを初めて見たのは、島地保武というダンサーとコラボレーションした「ありか」というパフォーマンスの公演においてだった。単に環のラップに合わせて島地が踊るだけでなく、環が島地と一緒になって踊ったり島地が環と一緒になってラップしたりする場面もあった。要するに、言葉と身体それぞれの表現を高いレベルで統合することが目指されていた。そこで私が感じたのは、この環ROYという人は自分の発するひとつひとつの言葉に対して非常に正直に向き合っているということだった。それは具体的にはどういうことかと問われると答えにくいのだが、言葉の意味だけでなくその働きを考慮に入れた上で、その言葉を発することが自分や観衆にとってどういう意味を持つかということをしっかりと検討しながら喋っている、と言い換えても良い。

 その翌年に発売されたアルバム『なぎ』のツアーの公演を私は見に行った。別に環ROYが好きになったわけではなく、単に暇で、ライブを探したらたまたま環ROYが見つかったというだけの話だ。そのライブでは環がひとりターンテーブルでトラックを流しながらマイクを持ってパフォーマンスして、『なぎ』の全曲をアルバム通りの順番で披露した。私はそのとき、普通だな、と思った。別に大して期待もしていなかったから、ライブが普通だったからといってがっかりすることもなかった。それから数か月、私は環ROYのことを忘れて過ごした。

 年が明けてしばらくしたころ、私は不意に『なぎ』が聴きたくなり、iTunes Storeでアルバムを買った(それまではYouTubeで何曲かのPVを見るだけだった)。何回か聴くうちに、私はすっかり『なぎ』にはまってしまった。聴けば聴くほど味わい深く感じられるアルバムのことを「スルメ盤」と呼ぶことがあるが、私にとっては『なぎ』がまさにスルメ盤だった。

 環ROYの何がすごいかと言うと、ラップなのにまったくヒップホップ感がないことだ。それはなぜかというと、普通ラッパーというのは格好をつけたがるものなのに環ROYにはそれがない。いや、昔は環も格好をつけていたのだろうが、少なくとも『なぎ』に関してはまったく格好をつけたところがない。先にも書いた通り、言葉と向き合う姿勢がすごく正直だ。すべての言葉が必然性を持って曲中に存在している。だからヒップホップに関する知識がなくても、音楽がすっと耳に入ってくる。

 このアルバムのハイライトは、四曲目の「はらり」だと思う。YouTubeでPVが公開されているから、是非見てほしい。トラックは極限まで切り詰められ、ほとんどビートを刻まない。歌とラップが入り混じった環の声が、他の音に頼らずそれ自体の力で豊かなグルーヴを生み出す様は圧巻だ。

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