7—3

 *



 朝になって、ワレスは広間へむかっていた。


 ワレスのあとには、ハシェドとエミールがついてくる。

 ワレスとハシェドは伯爵への御前報告だ。

 エミールはかんじんのところで父のことを聞きそびれたので、気になるらしい。部屋に帰れというのに追ってくる。


 ハシェドが声をかけてきた。


「ケルンの死体をごらんになられましたか? 隊長」

「ああ」


「ひどかったですね……」

「ああ。気分が悪い」


「あれを見たら、誰だって気分が悪くなりますよ。あんな、ふみつぶした粘土像というか。バターで作った人間が半分、とけかけたというか……」


 言いながら思いだしたらしい。ハシェドは口を押さえる。


 ケルンの死体はふつうの状態ではなかった。

 皮と脂肪。骨も筋肉もない、皮と脂肪だけだ。

 クラゲを人間にしたら、あんな感じになるだろう。ふれると軟体動物みたいに、ふるふると、ふるえる。しまりのなくなった、みっともない人間の模造品だ。


 ハシェドは口を押さえたまま、片手を廊下の壁につく。


「自分で言って気持ち悪くなってしまいました。すいません」

「おれはかまわないが、伯爵の御前では気をつけるように」


 自分の部下が魔物だったということになれば、責任を負わされるかもしれない。とはいえ、報告に行かないわけにはいかない。


「ですが、なんだって、あんな姿になったんでしょう? ほんとに死んでしまったんでしょうか?」

「それは魔術師たちが調べるだろう——いやなヤツがいるな」


 長い廊下を歩いて大広間へ行くと、そこには、すでにギデオンが来ていた。ケルンはギデオンの部下でもある。とうぜんだ。

 今はいないが、やがて、コリガン中隊長も来るはずだ。


「やっと来たか。ワレス分隊長」

「遅くなりました。小隊長」

「ブランディがやられたとき、おまえがまっさきに、かけつけたそうだな。そのときのようすを話せ」


 ギデオンは見るからにイライラしている。

 ケルンを選んで隊に入れたのは、ギデオンだ。立場が悪くなるのは、ワレスよりまずギデオンだ。


 ワレスは一部始終を語った。


「私が行ったときには、ブランディは倒れていました。はらわたが食いつくされ、その足元にケルンが立っていました。松明をなげつけると逃げだしました。呼子をふいたので、人が集まるのを恐れたようです」

「おれが見たかぎりでは、ふつうの男だったがな……」


 いつも尊大なギデオンがめずらしく、ため息をついた。

 不謹慎だが、ワレスは笑いを抑えなければならなかった。


「ケルンが入隊して、半年以上ですからね。さぞや悔しいでしょう。心中、お察ししますよ」


 ざまあみろという気持ちで言って、ワレスは自分の言葉にひっかかりをおぼえる。ギデオンがにらんでくるのも気づかない。


「半年……半年ものあいだ砦にいたのに、なぜだ? 前庭で事件が起こったのは、ここひとつき。二の丸で似たようなことがあったのも、たしか——」


 二ヶ月前と言ってなかったか?

 あの片眼鏡の男爵が話していた。森から侵入し、じょじょに内部に入りこんできていると。


 では、その場所の中心に、いつも、ケルンがいなければならないはず。

 だが、事実はそうではない。ケルンはずっと前庭の任務だった。


「ハシェド。ケルンは前から、あんな、どか食いをするヤツだったか? 違うだろう? いつからだ?」


 ハシェドは面食らいながらも答える。


「そう言われれば、以前は違ってたような。前は気にならなかったから、つい最近……。そうそう。ホライが死ぬ少し前に、三人で食ったことがあったなあ。あのときは普通だったと思います」


 ホライが死んですぐ、ケルンの身に異変が起きた。


 いや、そうではない。

 ホライが死んですぐではなく、ホライが死んだなのだとしたら……。


(おれが初めに見た影は、たしかに、もっと手足が長かった。長いように見えたのだ。人の体から皮と脂肪をのぞけば、どうなる?)


 骨と内臓、筋肉。

 ケルンの死体が残したものと反対のものだけなら……。


「伯爵はまだ、お見えでないか?」


 コリガン中隊長の声がした。

 考えこんでいたワレスは顔をあげた。


 そして——

 はっきり見えた。

 コリガン中隊長の皮膚を透かして、その下の……。


 誰にも止めようがなかった。

 わずか一瞬のできごと。

 ワレスは稲妻のように剣をぬき、コリガン中隊長の胸をつらぬいた。


 誰もが凍りついた。

 ハシェドも、エミールも、ギデオンも。

 ワレスの手の血にぬれた剣を、ただ見つめる。

 ワレスの正気を疑って。


 どのくらい経ってからだろう。

 我に返ったギデオンが、ワレスをはがいじめにした。


「血迷ったかッ?」

「ちがう! あれが見えないのか?」


 ワレスは床にくずれた中隊長を指さした。

 コリガン中隊長は即死だったのか。

 その体はピクリとも動かない。


 倒れた中隊長の体を見つめると、いよいよ、はっきりしてくる。

 生命を失い、すべての活動を停止したかに見える、その体。その内で、何かがうごめいている。


 そして、それは現れた。

 ワレスの刺した胸の傷を指さきで押しひろげ……。


「見ろ! あれを——」


 コリガン中隊長の胸が裂け、赤いものが盛りあがってくる。

 血に染まった傷口から、五本の指が虫のように這いだす。それは見るまに腕となり、足となり、次々、中隊長の胸から生えてくる。


 ワレスのまわりで、わッと悲鳴があがった。


「化け物だ!」


 ワレスを押さえるギデオンの手もゆるむ。


 は傷ついていた。

 ワレスの剣で胸を刺しつらぬかれ、血を流しながら、宿主のコリガン中隊長の体をぬけだしてきた。


 長いつめ。するどい牙。

 むきだしの眼球をギョロギョロさせて、ワレスにとびかかってくる。


 ワレスは剣をふりかざした。渾身の太刀筋があざやかに舞う。

 からたけに割られ、今度こそ魔物は動かなくなった。

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