6—3

 *



 食堂は混雑していた。

 昼時には少し遅いが、一万人以上の兵士のための食堂だ。いつ来ても、たいていは混んでいる。


 とくに日勤の兵士の昼食と、夜勤の兵士の朝食がかさなるこの時間は、まるで戦場だ。


 頑丈な木のテーブルが百ほどならんでいても、ぜんぜん足りない。廊下にまで人があふれている。


 ワレスはこれが嫌いで、以前は時間をずらしていた。が、このごろはエミールに剣を教えなければならないので、それができない。


「あ、隊長。来た。来た。こっち、こっち。たったいま席があいたんだ」


 とうのエミールは、遠くからワレスを見つけて無邪気に手をふってくる。人ごみをかきわけて近づいてきた。


「こんな大人数のなかでも目立つんだもんねえ。あんた。こんなときは便利。どんなに離れててもわかるよ」と言って、ワレスの腕をつかもうとする。


 ワレスはその手を押さえた。


「なんのつもりだ——と聞くまでもないが。へたな気のひきかたをするな。これ以上、ヤツにベタベタするなら、ゆるさない」

「へえ。妬いてるんだ。あんたって見かけによらず、ヤキモチ妬きなんだね」


「おれを怒らせたいのか?」

「別に。でも、おれ、班長をおとす自信はあるよ。おれってさ。まだ女みたいだろ? おれのこと悪魔だって言ってた村の連中も、ああいうこと、よくさせたしね。そりゃ、顔の造りじゃ、あんたには負けるよ。でも、そのぶん、おれのほうが気軽に抱ける感じだろ?」


 ぶってやろうかと思った。

 が、よした。

 もっと残酷な仕返しを思いついたのだ。


「おれの弱みをにぎった気でいるようだがな。いい気になるな。おれもおまえの弱みをにぎったぞ」

「なんだよ。それ」


「おまえの母親の名は、エリーヌだろう?」

「そうだけど、おれ、言ったっけ……って、まさか!」


 エミールの顔色が変わる。

「おれの父さんがわかったの? ねえ、そうだろ? 教えてよ。どこの誰なの?」


 ワレスは笑った。

「さあな。おまえがおれを怒らせたからだ」


 どうせ、ワレスが言わなくても、決心がつけば、コリガン中隊長が言うだろう。それまでのあいだの意趣返しのつもりで、ワレスは意地悪を言った。


「待ってよ。悪かったよ。ねえ、もうしないからさ。教えてよ」

「さあ?」

「だって、おれはあんたが欲しいんだよ。身代わりなんで悔しいじゃないか」

「それ以上、言うな。やつに聞こえる」


 ハシェドの待っている長卓に近づいてきた。用心して、ワレスは口をつぐむ。


「隊長のぶんも用意しておきました。どうぞ」と言うハシェドは一人ではない。


 ハシェドのとなりで食事をしてるのは、部下のケルンだ。まだ自分の料理に手もつけずに待ってるハシェドと対照的に、ケルンはなにやら口いっぱいに頬ばっている。


「ケルンがいたので、早く席をとれたんです。冷める前にどうぞ」


 そう言うハシェドの向かいの席があいていた。

 となりでなかったので、少しガッカリしたが、ハシェドが白い歯を見せて食べるのを見ると、そんなことも忘れてしまう。


「おまえはなんでも美味うまそうに食うな。ハシェド」

「おれだって、よっぽどマズけりゃゴメンですよ。けど、生きて物が食えるってだけで、ここじゃ、ありがたいんで。隊長こそ、品のいい食べかたをなさるんですね。おれたちとは人種が違うっていうか。なあ、ケルン?」


 ハシェドは同意を求めて、ケルンを見る。

 が、そのケルンは、さっきから、豚のようにドカドカと皿のなかみをかきこんでいる。


 あまりに見苦しい。

 見てるだけで、ワレスは胸やけがした。


「だから、おれは気どり屋だって嫌われるんだろう。なあ、ケルン?」


 ワレスが皮肉を言っても、ケルンはまったくようすがない。うめくような声を短くあげて、ひたすら食い続ける。


 傭兵に来るような連中は、どうせ、育ちはよろしくない。それにしても、ケルンのは人間というより動物なみの食いっぷりだ。


 ケルンが手を休めるときは、カラになった皿を手に、おかわりをもらいに行くときだけだ。

 ワレスたちが一人前を食べるあいだに、ケルンはいったい何度、おかわりに立っただろう。


 四度めくらいにケルンが立ったとき、ハシェドはピシャリと自分の頬を平手で打った。


「まいったなあ。いくら、おかわり自由でも、見てるほうの気分がいっぱいになりますね。あいつ、前からあんなだったっけ?」

「今度から、ヤツを見かけても同席しようなどと思うな」

「はい。すいません。気をつけます」


 それでも、食べることも仕事のうちだ。食欲のなくなった胃袋に、むりやり食物をつめこんだ。ワレスたち三人が去るときにも、ケルンはまだ食べ続けていた。


「あいつは仕事はサボるくせに、食うことだけは人並み以上だ」


 ワレスが言うと、

「そんなにサボりますか?」

 ハシェドがたずねる。


「任務中に二度、用をたすと言って、おそらくサボっていたんだろうな。たまたま、大事なときだったからわかったが。こっちが知らないときには、もっとサボっているのかもしれない。もし、この前、前庭で聞いた悲鳴があいつのものだったなら、まちがいなく殺されていた。おれはまた小隊長にイヤミを言われてるところだ」


「ケルンを心配してくださるんですね」


 ハシェドの言葉に、ワレスは度肝をぬかれた。


「なんで、そうなる? おれはただ、また、あいつのイヤガラセを受けると思うと……」


 くすりと、ハシェドは笑う。

「知ってました。隊長は自分より弱い者に優しいですよね」


 気味悪いのを通りこして、ワレスはあきれた。


「人を勝手に善人にするな」

「おれの見たとこ、そうですけど?」


 このおれが優しい?

 弱者に優しいだって?

 女には泣かしていた、このおれがか。

 しかし、ハシェドが言うなら、そうなってもいい……。


 ニコニコしてるハシェドを、よこ目にながめる。


「調教がうまいな。おまえ」

「そうですか?」

「ああ。じつに、うまい。騎士学校の教官になるべきだ」

「また、そんなお世辞、言わないでくださいよ」


 一人でふくれっつらをしてるエミールと目があった。


 あとで教えてやろう。

 おまえの父は、誰もが敬い慕う、あのコリガン中隊長だと。


 きっと、エミールは泣いて喜ぶだろう。どんなクズみたいな男だって喜んだであろうから。ワレスにぶたれて、初めて人間あつかいされたと泣いたくらいだ。


 そう思うと、さっきは、いささか大人げないことをした。いかに嫉妬にかられていたとはいえ。


 エミールはエミールなりに、命がけで父を探しにきた。その父をナイショにするのは残酷なことだった。


(おれの心を洗ってくれ。一枚一枚、薄皮をむくように。少しずつ、おれを変えてくれ。ハシェド。おまえには、その力がある)


 そうすれば、もう一度、人に愛をぶつけてみる勇気が持てるかもしれない。

 おまえから逃げないですむかもしれない。

 たとえ片思いでも、そのほうが、ずっといい。


 はたして、ぐうぜんだったのだろうか?

 その夜に、あんなことが起こったのは。

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