展覧会 当日4

 ──青空の下、少女が微笑んでいる。


 そらの間に足を踏み入れた私は、爽快な青の輝きに包まれ瞬きを繰り返した。


 風を感じる。緑の森を駆け、黄金色の麦畑を揺らし、風花舞う冬の海をこえ、少女の髪を揺らす春の風を。


(……これが、ゴルド・アッシュの、本当の乙女……)


 以前のような暗い背景と全く違う、空の色と一体化した背景色に佇む少女。風に遊ばれる柔らかい巻き毛、ほんのり上気した頬はふっくらとまるくて、あどけない瞳がこちらを見つめている。

 どこかで見たことがあるような気がして、私は彼女の元へとゆっくり歩み寄った。


「可愛らしい子ね」


 集まった観客ギャラリーの中からそんなささやき声が聞こえる。


「そうだな、うちの娘に似ていなくもないな」

「あらそうかしら、わたくしは姪に似てると思ったんだけど」

「ははは、不思議だな」

「愛らしい肖像画ね。心穏やかに、いつまでも眺めていられるわ」


 彼らの会話の中に、ゴルド・アッシュのたどり着いた答えを垣間見た気がした。


「ねぇ、こっちの乙女も素敵じゃない? 息子が将来、こんな娘を連れてきてくれたら良いのだけど」

「へぇ、レイ・フローレンスが若い娘を題材に描くなんて初めて見たぞ。これは、どこだろうな、シュインガー城か……はたまた彼のアトリエか?」


 フローレンスの作品についても盛んに語られているようだ。ちょうどゴルド・アッシュの乙女と反対側に、対になるよう展示されている。


 私も観ていない、新作だ。


 人垣がかろうじてあいた隙間にそろりと体を滑り込ませる。あっ、と声が出てしまったけど、周りの人は絵に夢中だ。


(こ、これ、……これ………!)


 またたく間に私は身体中を熱くして、ふらりと後ろに下がった。


 その空いた隙を狙ってほかの観客がまた絵の前にやってくる。みるみるうちに後ろへと追いやられてしまうが、もう一度人波をかき分けてあの絵の前に立つ勇気はなかった。帽子ボンネットのつばを引っ張ってなるべく顔を隠して、そそくさと空の間を後にする。




§




 人のいない裏庭まで早足で歩いて、ようやく息を整えることができた。


(びっ………くりしたぁ……フローレンス様ったら、ブライト伯爵の名作と一緒に、あんな『花と乙女』を……置かなくても……)


 以前、白い花と一緒にスケッチしてもらったあの下絵が完成していただなんて、あまつさえそれを展示するだなんて、だれが思うだろうか。


(ほ、ほかの人にはわからなかったわよね、あれが私だって……いえっ、もしかしたら別の人かもしれないし! そうよね、あんなに綺麗な女性は私ではないかも……下絵に使われてるだけで、別の人を想って描いたのかもしれない、じゃない……)


 それはそれで落ち込むけど。


 ──聞いて良いのだろうか。フローレンスに。


(どうしてあの絵を描いたんですか、って……)


 まだ心臓がどきどきとうるさい。


 頭の中に声が響く。ウェーリを懐かしむ彼との、アトリエでの穏やかなひと時が蘇る。


「そういう意味では、僕も恋をしているのかもしれない」


(──っ、違う、違う違う! 都合よく考えすぎ! フローレンス様はあのとき、ウェーリの景色を愛しているって言ったんだもの)


 土と草の匂いをはらんだ風が背を強く押す。花壇から舞い上がった花びらが青空に吸い込まれてゆく。


「あっ、やだ帽子」


 ひときわ強く吹き上げる悪戯な風が、ぼうっと立ち尽くしていた私の帽子をさらって行ってしまう。ころころ転がるそれを追いかけて、スカートの裾を持ち上げて走る。


 まもなくそこは睡蓮の蕾が浮かぶ鑑賞池だ。


──落ちる、と思ったそれは、他でもない彼の手によって拾われた。

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