馬車に揺られて二人きり 2

 やがて宮殿前の大通りにさしかかると、馬車の揺れは滑らかになった。


「降りよう」


 フローレンスは御者に声をかけると、あえて宮殿の裏手に馬車を誘導した。


「正面から戻るのは、まずいのだろう」


 私の格好を見て、彼は言った。


「僕から言わせればどこをどう見てもメイドなのだが、騙せるものなのだな」

「い、いえ……リリーさんには──ブライオニー荘のメイドには、思いっきり怪しまれていました。でも、ウィリーが強引に」

「ウィリー? 彼と一緒だったのか?」

「あっ!」


 しまった、と私は口を押さえた。


「……どうしよう。ウィリーのこと、置いてきちゃった……」

「自業自得だろ。まったく、今ごろ何をしてるんだか」


 鞄を自分で持ち、先に座席から降り立ったフローレンスは、御者を制して私の方に手を差し出した。


 レディのようにエスコートされて、恐縮しながらも彼の手を取り、高い踏み台を降りる。スカートの裾を少し持ちあげると、使い古した靴の爪先が目に入った。ドレスアップしたレディには程遠いけれど、気持ちだけは負けていなかった。


 けれど、せっかく触れた指先は、私の方からすぐに離してしまう。どきどきして顔が熱くて、たまらなかったから。


「……あの、私は、城の裏手から戻ります。アトリエの奥の庭に抜け道があるんです。そこから」

「なるほど。今日でずいぶん君のことを見直したよ。こんなにお転婆なお嬢さんだとは思っていなかった」

「も、もう、フローレンス様……」


 フローレンスは、正規の通路を通って帰城しなければならない。まだ警察からの疑惑が晴れていないのだ。怪しまれそうなことは、極力避けなければいけない。


「アトリエに戻ったら、さっきの絵を再現してみようと思う。君はアッシュ家に連絡をつけてくれ。先生には、早めに話をつけたい」

「かしこまりました。……あの、もし、あの絵が、本物の『乙女』ではないとわかったら、マダム・クレールは、競売におかけになるのでしょうか」

「どうだろう。気になる?」

「なんだか、物寂しいお屋敷でしたから。あの花たちが、マダムの心を癒してくれるといいのですが」

「それこそ、絵画の役目というものだ。亡くなったご主人から届いたという謎は残っているけど、たしかに今の彼女に必要な一枚なのだろうね」

「故人からの、プレゼントなのですか?……それは……あり得ないのでは。だとしたら、どなたかが、マダムを哀れんで……?」

「だろうね。さすがに、幽霊が絵を描くこともないだろうし」


 つまり、あの絵をどこからか入手して、マダムに送り届けた人物がいるというわけだ。


「リリーに、お付き合いのある方々のお名刺をこっそり見せて貰えばよかったでしょうか。……って、なんだか、今日の私たち、探偵の真似事みたいですね」

「まったくだ。僕はただの絵描きなんだがな」


「ではあとで」と道を別れた私は、何度か彼の後ろ姿を振り返りつつ、城の裏手へ回った。


 花曇りの空であっても、まるで世界が急に色づいてように私には見えた。穏やかな風に揺れる新緑の輝き。飛び立つ小鳥のさえずりすら、愛しくて。


 あたりに人の気配がないことを確認して、行きと同じように小さな用水路を飛び越え、柵をくぐり、木の枝をひっかけつつも、やっと城内に戻ってきた。


(エプロン……キャップも、シワになっちゃった。着替えなくちゃ……)


 遅いランチの時間だ。キッチンは戦いの跡を残しているが、休日だけあって人はまばらである。美味しそうなグレイビーソースの香りにお腹が切なく鳴るけれど、今日は我慢できる。お茶の時間まで、部屋に隠し持っているお菓子でなんとかしのごう。


 私は足音を忍ばせて使用人通路を通りすぎ、メイドたちにあてがわれた個室へと向かった。狭くて急な階段も、苦にならない。


「ちょっと、エイミー! どこ行ってたの!?」


 隣室のジェーンが、物音を聞きつけて飛び出してきた。丸い目をさらに丸くして、私に詰め寄って来る。私は緩んだ頬をかいて、のんびりと答えた。


「あ、えーっと……ちょっと、外出っていうか……」

「大変よ、もう! ハンナが! メイド長様が、カンカンなんだから!」


 私は、「げっ」と眉を寄せた。浮かれていた気分が急降下して、一気に現実に戻って来た気持ちがする。


「……ハンナは、女王陛下の休日のお世話にご同行されたっていう話じゃ……」

「そうよ、そして仕事熱心なあの人は、昼前に戻って来られたのよ! エイミーがどこにもいなかったの、バレてるんだから……!」


 

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