クレール家の不思議な絵 2

 マダム・クレール──キャメル・クレールは、風変わりな女性だと噂されていた。


 かつてはその美しさで社交界の噂の的であった少女が、中流階級の男と駆け落ちたことで周囲から奇異の目で見られていたことは、社交に疎いレイですら耳にしている。


 彼女はトープ・クレールと一緒になったその日から、女主人として家を切り盛りし、夫を支えた。くすぶっていた事業が軌道に乗ったかと思えばたちまち政界へも進出を果たし、 トープは成功者として認知された。その影に妻キャメルの存在があったのは言うまでもない。


 彼らとレイの出会いは中心街シティの商工会主催のパーティだった。


 彼らの支援する学校の中には外国講師を招いた美術の専門校があり、レイも師に連れられて見学に行ったことがある。絵画収集は、クレール夫妻にとって実益を兼ねた趣味だったようだ。夫妻に依頼された絵も1枚2枚ではない。良い依頼主だった。


 トープ・クレールの訃報を受けたのは昨年の秋ごろだったか。


 降り止まない雨の中、純黒のドレスに痩身を包み、涙に濡れた頬をボンネットで隠し、墓前で静かに立ち尽くすクレール夫人の姿は、参列した芸術家たちを改めて魅了する儚さ、健気さであったと伝え聞いている。


 趣味の良い暖炉の上に、ずらりと並ぶ2人の肖像画。依頼主の関係にすぎないレイにとっても、二人は理想的な夫婦に見えた。


 喪に服しているクレール家は午前のうちに親しい友人の訪問もなく、使用人達の気配も薄い。


 レイのため息がやけに大きく響く。


「──これは、良いものです」


 こぼれたつぶやきをどう解釈するしたものかと、マダムは小さく首を傾げた。


「この油彩画……仮にタイトルを『花と乙女』としましょう。この良し悪しについて論じるとすれば、間違いなく良いものです。花の健気さ、麗しの乙女の気配は観客の目を引き、心を奪う」


 では、と色めき立った夫人を制して、向かいの椅子に腰を下ろす。鑑賞に使った白手袋を傍に置いて、いつの間にかメイドが置いていったらしい紅茶に手を伸ばした。まだ熱い。


「……僕の話の前にもう一度、どのようにこの絵を手に入れたかお聞きしても? たしか貴女からの手紙では、亡くなったご主人からの贈り物、と書かれていましたが。あれはどういった意味の」


「言葉の通り、贈り物よ。あの人がいなくなってから届いたの。まるで死者の国から、わたくしを見守っているとでも言うように……なにもかも終わって呆然としていたわたくしに、この絵が届けられたのよ。あの人の文字で、『愛する貴女にこの花を贈る』って」


 レイは応接室の椅子に浅く腰掛け、マダムの話を聞きながら膝の上で手を組んで目を閉じた。


 こうすると、この部屋に入ったときから感じていた違和感の正体がはっきりしてくる。


 この絵が訴えてくる不和は、目に入る色でも、構図でもない。


(問題は、……この、香りか……?)


 なにかを掴みかけたその時。


 しんと静まり返っていた廊下から騒がしい物音がして、レイの集中は霧散してしまった。


「……何かしら」


 マダムも応接室の扉に目を向ける。

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