マダム・クレールの招待 4
フローレンスを乗せた二頭立ての馬車が、シュインガー宮殿の正門を走り抜けていく。
主人の見送りを済ませた私は、不意に訪れた自由な時間を無駄にしないよう、静まり返った宮殿の廊下を急いだ。冬物のコートにブラシをかけてもいいし、アトリエの窓を拭きあげてもいい。主人が不在の間でもやることはいくらでもある、──あるのだが。
(何も言わずにお見送りしてしまったけど……フローレンス様ったら、大事な時期に自分から進んで妙なことに飛び込んで行っちゃって……お止めした方が良かったんじゃないかしら……)
今さら悩んだところでどうにもならないのに、足取りは自然と重くなる。なんともなしに中庭に目をやったとき、それは目の前にあらわれた。
鋭く長い2つの刃が、植木の間からにょきっと生えた。光る刃にギョッとして立ち止まると、それはしゃきん、しゃきんとリズムよい音とともに枝を切り落としていった。操っているのは庭師のウィリーに違いなかった。
巧みなハサミさばきにそのまましばらく見とれていた私だったが、ふと思い立って窓から身を乗り出した。
「ウィリー、おはよう! よかったら裏庭の木も切ってくれない?」
アトリエ周辺の庭木が近頃、不格好になりつつあるのを思い出したのだ。レイングランドが誇る宮廷画家のアトリエだもの、どんな時も美しくあってほしい。
ウィリーは帽子のつばをあげると、眩しそうに目を細めて笑った。
「おー、いいぞ。たぶんシデの生垣のことだろ? あれは今の季節にょきにょき元気に伸びやがるからなぁ」
「待ってて、今そっちに行くわ」
中庭に降り立った頃には、ウィリーは小さめのハサミに持ち替えて、膝くらいの高さの植木を整えているところだった。
「イチイはこないだ刈り込んだはずだが高さが気にくわねぇと思ってたんだ。宮廷画家様はどういうカタチがお好みかねぇ。今が伸び時だからなぁ、ばっさり切っても後から後から伸びて格好つかんのよ。あいつは? アトリエか? 」
「フローレンス様は、今日は外出されてるの」
「めっずらし。どこへ?」
「ノースウェスト・ウッドだって」
「高級住宅地だな。なんだなんだ、こんな朝っぱらからサロン巡りでもするのか? 芸術家は大変だな」
「フローレンス様にもお付き合いってものがあるのよ。悪く言わないで」
落ちた枝を拾うのを手伝おうと、私はその場にしゃがみこんで言った。
「へぇ? ブライオニー荘のマダム・クレールっていったら若くて美人な未亡人だよな。果たしてどんなお付き合いなのかね」
「なっ、なんで、行き先を知ってるの」
驚いて顔を上げると、ウィリーの得意そうな目が私を見下ろしていた。
「やっぱそうか。簡単さ、御者に話してるところを聞いた。正門の植木の剪定をしてたら、自然に耳に入ったってこと」
「何それ……。庭師って実はものすごく怖いお仕事なのね」
「何をいまさら。シュインガー宮殿の中だってなぁ、どこで、誰が聞いているかわかんないんだぜ。気を付けろよ、エイミー」
彼のいう通り、最近の私だって執事レンブラントとシルバ・ハワードの会話を盗み聞きしてしまったのだった。釘を刺されたような気持になったけれど、私はウィリーと違って誰かに吹聴したりしていない。それでも拭えぬ罪悪感はあって、素直に頷いた。
こうして彼と二人きりで話しているのだって、あまり褒められたものではないのかもしれない。
「気になるんだろ、フローレンスのこと」
ニヤニヤと口の端を持ち上げて、ウィリーが冷やかしてくる。私は気にしないように、つんと前を向いて歩き始めた。
「仕事ですもの」
「ここんとこお前ときたら口を開けばいつもフローレンス様だもんなぁ」
「だから、それは、仕事だからよ」
「へー、へー。そういうことにしといてやるよ」
宮殿をぐるりと回り裏庭を目指す。途中、ランドリー・メイドたちの働く部屋も見えたけれど、今日はやっぱり人が少ないようだった。窓や廊下を掃くメイドたちも見当たらない。皆、貴重な休日の午前中を、ゆったりと休息にあてているのかもしれない。
歩き続けていると、ぽかぽかした日差しが背中をあたためて気持ちがいい。
「いいお天気ね」
「そうだな、雨も降らないだろうし霧もない。出かけるにはもってこいだ」
「え? ちょっと何、どこ行くの、ウィリー」
「こっち、こっち」
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