イ-19)配剤 or 采配/旧約・権力⑵

【ナザレのイエス】


(記2021/4/7)

最後の晩餐の伝説をお聞きになったかたは多いと思います。12人の弟子とイエスが食事を共にとったのでしょうね。中心にイエスを置いて、信頼されていた順に高弟たちが坐っている情景があぶく(泡)のなかに浮かびます。末席はイエスの声が聴こえづらいのでしょうか。それは仕方ありません。弟子たちがイエスの声に耳を傾けるのも当然ですし、聴こえなければ隣に坐った者に尋ねることになります。イエスはナニをお話しくださるのだろうと誰もが耳を澄まします。耳学問が浮んできます。


ナザレのイエスの言葉に集中するのは良いのですけれど、イエスはそれを望んだでしょうか?日本では親の背中を見て育つと申します。イエスは親の背中に学びつつ育ったと認識している泡なの。弟子たちはイエスの背中に学ばず、イエスの言葉を聞き洩らさないようにして見えるのです。ほかの言葉を混ぜてはならないと想えば、主人の言葉に集中するのが隷従する態度であって、それを奴隷と言うのでないかしら。イエス亡きあとは高弟たちの声に耳を澄ますしかないマグダラのマリアたち。


イエスの声を聞き漏らしたことを12人の高弟たちは誰も否定しないのでしょうか。そのような過ちはドコで訂正されるのでしょうか?イエスの弟子たちが哲学することはあったのでしょうか?真摯に上級者の声に耳を澄ますだけの信徒たち。随うだけの信仰をナザレのイエスは信徒たちに要求したのでしょうか?イエス自身は幼い時の過ぎ越し祭で多くのユダヤ教のラビたちと問答したのでなかったかしら?最後の晩餐のイエスはナザレのイエスの偽者でない証明は必要ないのでしょうか?


質疑応答を出来ない宗教をナザレのイエスが求めたと泡には思えないのです。

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