イ-9)哲学 - 創ⓐはじめ

あぶく(泡)には「ツイッター」と「インターネット掲示板」の役割が似て見えます。持ち味は一長一短ですけれど、お手軽度はツイッターが抜出ているかも知れません。インターネットの利用目的はそれぞれですし、役立てなければ勿体ないと思います。あぶく(泡)の此処での利用目的を達成するために哲学は必須条件になっております。そして個々の日本人にとっての哲学の意味は色いろあるように思われます。それで先ずは他人のことは置いといて、あぶくの感覚だけは公開しなければなりません。


泡が拾ったツイッター情報は「偏っている」のを承知のうえで活用いたします。例えば「自分がそう思うことが哲学」というフレーズがあります。この考えは「猫も魚も花も樹も哲学すると捉えていることになります。もっと言えば「有機物は哲学する」という考えを否定しない泡です。それにしても「この思考で問題ない?」と泡は悩むのです。悩んでいないからこの思考で済ましてらっしゃるのです。原爆を発明するレベルの者の遊びで弱い生命体は滅びてしまうことを知らなければならない。


人間が暴威を振るったことで世界は荒れて滅びた種(しゅ)は多い。「そんなこと知ったことか」という偏った考えが蔓延って平気で済ませる感覚・能力は人類にも世界にも牙を剥いている。そうであれば「邪悪な哲学」を楽しんでいるということになります。仮に「見聞の狭さ・盲信・頑迷・軽率」に用心しながら学ばなければならないとするならば、この用心が出来ていない者は出来損ないでしょうか?あぶくはそう思わない。学び損なっただけであって、学び直せば済むのでないかしら?


幼児は世界に関わることが勉強です。世界に関わることで世界に必ず迷惑を及ぼす。これは幼児であればこそ許される迷惑行為なのです。迷惑をかけながら成長して肉牛になるか・養殖魚になるか・美味しいトマトになるか・それぞれの能力に応じた明日が待っている。この方程式をそのまま人間に当てはめて善いでしょうか?つまり「弱い者がどうなろうが知ったことじゃない」でしょうか?「人間は尊極」とする哲学を広めるべきでないでしょうか?そしてその道筋を考えるべきだと思います。


あぶく(泡)なりに尊極の哲学へ至る道を模索・哲学しております。

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