第17話「ニットラー」

 商売の話と言われても、俺は何から話せばいいのか分からず、言葉が出てこなかった。視線が泳ぐ。何か言わなければと思うほど、頭の中がぐちゃぐちゃになって言葉が遠のいた。


「何かを、買いたいんですか? それとも、何かを、売りたいんですか?」


 ヘビは表情を変えるでもなく、ゆったりとした口調で俺に聞いた。俺が何も言わないので、自分から話を進めようと気を利かせてくれたのだろう。


「その、馬を売りたくて……」


「ああ、外の馬? いいですよ、良い馬だったし、金貨2枚で買いましょう」


「えっ、いいんですか?」


「はい、いいですよ」


 緊張で強張っていた肩から、力が抜けた。あまりに呆気なく商売の話が終わってしまい、拍子抜けだ。


 ヘビはカウンターの下に手を差し入れたかと思うと手前に引いた。どうやら引き出しがあったらしく、そこから金貨を2枚差し出した。


「あ、ど、どうも……」


 俺はそれを手の平で受け取って、まじまじと見つめた。くすんだ橙色、鈍く光を反射させている。銀貨と同じく、領主バンカトラの肖像が刻印されていた。


 金貨なんて物を手にしたのは、生まれて初めてのことだった。そのせいか指先が少し震えていた。


「他には?」


 ヘビの言葉にハッとして、首を左右に振る。だが、金貨をしまおうとバッグの中を覗いて、ツドリから貰ったナイフが目に入った。そこでふと、商人であるヘビならそのナイフがどういう物なのか分かるんじゃないかと思い、取り出した。


「あの、これ……まだ売るかどうかは決めてないんですけど、どんな物か分かりますか?」


 ヘビはそのナイフを見るなり目を見開いて、少し前のめりになった。


「へぇー、キレイなナイフですね。……ちょっといいですか?」


 ヘビが両手を揃えてこちらに向ける。ナイフを渡すと、ヘビはまず、じっくりと鞘を調べた。その後、鞘からナイフを取り出し、またジッと眺めると、急にニヤリとして楽しそうに呟いた。


「ははぁ、ツドリの守り刀ですね」


「ツドリの守り刀?」


 ヘビに手招きされたので、一緒にナイフを見た。鞘はきめ細かい美しい装飾がされているが、その中身は木製の柄が使用された、至って普通のナイフだ。特徴といえば、刃が少し白っぽい、ということぐらいだろうか。すると、ヘビは俺にナイフの柄の側面を見るように指を差した。目を凝らしてみるとそこには直角を組み合わせた記号のような模様が、小さく刻まれていた。全て同じように見えて、それぞれ少しずつ形が違う。


「なんだろう? 文字ですか?」


「そうですそうです、これ、ツドリの文字ですよ。なんて書いてあるのかまでは分かりませんがね」


 ヘビは丁寧にナイフを鞘に戻すと、俺にナイフを手渡して、続けた。


「ツドリの守り刀ってのはですね、持ち主を危険から守ってくれる力があるとされてる刀のことです」


「えっ、神様じゃないのに?」


 レグナが不思議そうに首を傾げると、ヘビはカウンターをノックするみたいに指でコンコンと叩いて小さく笑った。


「いやいや! あくまでおまじないみたいなもんですよ! 気休め程度のね。さすがに神様には敵いません」


「それで、高いの?」


 痺れを切らしたのか、ミツバチがカウンターにへばりつきながら聞いた。すると、ヘビがカウンターから身を乗り出して、ミツバチを見下ろす。


「正直、値段をつけるのは難しいね。市場に出回るもんじゃないし。需要があるのかどうかも分からないからさ」


 ヘビはミツバチから視線を外して、姿勢を正すと、再び俺の方を向き、笑いながら言った。


「まっ、珍しい物には違いないから、欲しがる人はいるとは思いますけどね」


 そう言いながら、引き出しから数枚の銀貨を取り出した。それを手の平の上で押し拡げて、5枚数えると、残りを引き出しに戻した。


「どうします? 銀貨5枚で買い取りますよ」


 そう言われて、守り刀を見る。銀貨5枚あれば、旅にも余裕がでる。売るべきだろうと思った。


「売ろうかな……、俺が持ってても仕方ないし」


 だが、本音を言えば、持っていたかった。俺自身が気に入っているというのもあるが、ツドリの人は多分、お礼の気持ちでこれをくれたはずだ。そう思うと、人の好意を無下にするようで、少し心苦しい。だが、仕方ない。我がままを言っている場合じゃない。


 差し出された銀貨を受け取ろうと手を伸ばすと、ヘビは銀貨を渡す前に、俺に質問した。


「ところで、こんな珍しいもの、どこで手に入れたんですか?」


「ツドリの人から貰ったんです」


 俺がそう答えると、ヘビが俺の顔をじっと見る。少し居心地悪くて視線を泳がせていると、ヘビは持っていた銀貨を手元に戻した。


「あの、こんなこと言うのは、少々差し出がましいかもしれませんが……」


 そう前置いた上で、ヘビは少し背中を丸めると、ふっと微笑んだ。


「人から人へ渡った物には何かしら願いが込められていることがあります。もしも、少しでも迷いがあるのなら君が持っていた方がいいと思いますよ」


 ドキッとして、守り刀を強く握る。


「もちろん、なりふりかまってられないのなら、その限りではないですが」


 ヘビはそう付け加えると、握っていた5枚の銀貨を再び俺に見せた。


 俺はそれを聞いてつい、レグナの顔を見てしまった。レグナはすぐにこちらに気がつき、口角を少し上げる。そして、後ろで手を組むと、尻尾をゆらり、一振りした。


「セトのだから、セトが決めていいんだよ」


 そう言われて、ホッとしている自分がいた。俺は多分、その言葉を期待して、レグナを見たんだろう。子供っぽい所有欲に気づいて、少し恥ずかしくなってしまった。


「いや……でも……」


 そんな気持ちをごまかしたくて、つい思ってもいない否定の言葉を口にすると、カイコが俺のズボンの裾をグイグイ引っ張った。


「せっかくくれたんだし、持ってよーよ」


「う、うーん……」


 頭の中で、合理と非合理が取っ組み合いをしている。俺が言葉を迷っていると、ボソリとミツバチが言った。


「……まぁ、金貨2枚、銀貨7枚あったら十分じゃないの?」


 驚いてミツバチを見ると、いかにも不服そうな顔をしていた。目が合うなり、すぐにそっぽを向いてしまったが、ミツバチの言葉が嬉しくて、その後頭部に向けて話しかける。


「ご、ごめんな。いざとなったらちゃんと売るから。……ありがとう」


 と、俺が言うと、ミツバチは俺をちらりと見て、大きなため息をついた。


 ヘビを見ると、なぜか嬉しそうに笑って言った。


「残念ですねぇ」


 俺はその後、銀貨1枚を銅貨に変えてもらったあと、店でいくつかの買い物をした。色々とおまけしてもらったので思ったよりも高くつかず、かなりありがたかった。


 大きめのリュックサックに水袋一つ、調理道具を数点購入。レグナに弓が欲しいと言われたが、小型のナイフなどがあるだけで、武器などはあまり置いていない。なので別の店に行かなければならなかった。


「なぁ、武器屋はどこ行けばいい? あと食料も買いたいんだけど……」


 と、ミツバチに聞くと、少し驚いたような顔をしたあと、なぜかバツが悪そうに答えた。


「し、知らない。俺らはエラマに来ると、いつもこの店で留守番だったし……」


「あ、そうなのか……」


「ニットラーは小さい子供を人が大勢いるところで連れ歩くのを嫌がるんですよ」


 ヘビの言葉を聞いて、そういえばリトナやラコの子供は見かけたが、ニットラーの子供は一人も見かけていないことに気付く。


「案内させましょうか?」


 俺が返事をする前に、ヘビは後ろを振り返って、カウンターを叩きながら大きな声を出した。


「ニカ! ちょっと来てくれ!」


 ニカ。その言葉を聞いて、看板に書いてあった『ニカの店』という文字を思い出す。人の名前だったらしい。


 間もなく、カウンターの裏の扉から人が出てきた。ヘビとカイコの中間ぐらいの背で、俺の膝上より少し上くらいだ。明るいブラウンの色をした、ふんわりとウェーブのかかった長い髪をしていた。髪は膝裏まである。ヘビと同じような白いシャツにワインレッドのワンピースを着ていた。


「俺の妹なんですよ」


 と、ヘビが言う。ニカが現れるやいなや、カイコが走り寄って、勢いよく抱きついた。


「ニカちゃん! 久しぶり!」


「久しぶり!」


 ニカはカイコの手を取り、その場でしゃがむと、にっこり笑った。ニカとカイコが額を合わせる。


「ニー、元気にしてた?」


 ニカがカイコの両頬を手の平で包み、親指で撫でる。


「元気! それとね、ニーじゃなくて、もうカイコだよ。お父さんが死んじゃってね、お母さんもどこにいるか分からないから」


 それを聞いて、ニカの表情が曇る。


「……じゃあ…、私より早く大人になったの? それは、大変だったね……ククは? 名前なんていうの?」


 ニカがミツバチの方を見る。だが、ミツバチは戸惑っているような表情でニカを見つめたまま何も言わなかった。代わりにカイコが答える。


「ミツバチだよ」


「ミツバチ? 二人とも、あなたたちのお父さんが、よく聞かせてくれた話に出てくる動物の名前をつけたんだね」


 ニカはカイコの頭を優しく撫でていた。


 その後、ニカはヘビに呼ばれて立ち上がった。少し話をしたあと、買い物でも頼まれたのか、銅貨を数十枚受け取っていた。その後、俺を横目に見たあと、店の外に出た。


 すれ違いざまに軽く頭を下げたが、ニカは少し険しい顔をしていた。警戒されているのだろう。それは仕方ないが、警戒されていると思うと声をかけにくい。


 この後、どう声をかけるべきか迷いながらも、とにかく後を追って外に行こうとすると、ヘビに引き止められた。


「あの、すいませんね。ニカは少し警戒心が強くて……」


「大丈夫ですよ。初対面なんですし、当たり前です」


 ニットラーがリトナに警戒心を持つのは、割と普通のことだ。むしろリトナに対してフレンドリーなニットラーの方が珍しいだろう。


 奴隷時代、俺にはニットラーの……同僚がいた。彼は体形から不利を被ることも多く、俺自身、気付かずに足で突き飛ばしてしまったことが数回ある。


 統一連合の兵士に何度もからかわれて、それに悔しそうにしながらも、力では敵わないからと、兵士から酒をくすねてケラケラ笑っていたのが印象に残っている。


 ヘビはこちらに歩いてくると少し屈んでカイコとミツバチに言った。


「二人共、迷子にならないようにね」


「はーい」


 カイコとミツバチがきちんと返事をして店の外に行く。


「あの、色々とありがとうございました」


 俺がヘビにそう声をかけると、レグナが小さな声で言った。


「セト、私、先に外にいる」


 俺が軽く手を上げて答えると、レグナはヘビに軽く頭を下げてそそくさと店を出ていった。改めてヘビの方に視線を移すと、ヘビは気だるげに片手で首元を撫でると、呟くように言った。


「……お礼を言いたいのはこっちの方です」


 そう言われて戸惑ってしまった。どういうことか分からず、困ってしまい、しどろもどろで答えた。


「俺は、別に、何も……」


「両親を失ったククと……、いえ、ミツバチとカイコが二人一緒に生きている姿を見られて本当に良かったです」


 ヘビは、両親を失ったニットラーの子供が無事でいられることは滅多にないと話してくれた。その後、急に眉をひそめて目を伏せたかと思うと、こんなことを言われた。


「それで、少し考えたんですが、もし良かったらこちらであの二人を引き取りましょうか?」


「えっ」


「セトさんはまだ若いし、血の繋がりがない子供の世話は大変じゃないですか?」


 思わず後ろを振り返った。店の外から微かに話し声、笑い声が聞こえてくる。


「こんなことを言ってはあれですが、俺達は幸い、生活には困っていません。蓄えもそれなりにある。不自由はさせません」


 その言葉を聞いて、再びヘビに視線を戻す。少しの沈黙。ヘビは咳払いをすると続けた。


「もしも今、セトさんが困っているというなら、それも選択としては、あり、ではないですか?」


 俺は、こめかみ辺りを親指で掻きながら、足元を見た。ヘビの言葉に動揺していたのだ。不自由のない暮らしが出来るということが、この世界でどれだけの価値があり、稀なことか、俺には痛いほど分かっていた。


 あの二人には、母親探しという目的があるとはいえ、正直、二人の母親がいるとすれば、バンカトラ領内にいる可能性が高いと思っている。でも、俺らは今、逃亡奴隷という身の上だ。ほとぼりが冷めるまではバンカトラ領内で活動するのは難しい。


 かといって、あの二人だけでは情報を集めるどころか、生きていくので精一杯だろう。ならば生活を保証されているここに残り、母親の情報を集める方が現実的だ。 


 それらが分かっていながら、即答できなかったのは、多分、あの二人と離れるのが寂しいと思ったからだろう。


「大変ではないです。むしろ俺の方が助けられてるくらいで……、でも、その方が、あの二人にとっていいのかもしれません」


「二人に聞いてみてください。無理強いはしませんから」


 ヘビは笑っていた。俺は、頭を下げて、店を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る