第14話「スプーン」
「知ってる? スプーンってね。シクルの人達が考えたんだよ」
ある程度の予行練習も終わって、いよいよ明日は出発の日という時。その前の晩、湖のそばで焚き火を囲って、5人で食事をしている時だった。カイコは自前の小さな木製スプーンで山菜のスープをすくいながら、得意気に言った。
「よく知ってるわね」
イーラがクスクスと笑う。
「昔は細い貝殻を使っていたのよ」
と、イーラが冷えたスープを飲みながら呟いた。
聞けば、魚の骨を加工したフォークなども使っていたらしい。俺らが普段使っているカトラリー類は元をたどれば、シクルが使っていた道具からヒントを得て作られたものなのだそうだ。
「知らなかった……」
自分で手作りした木製スプーンをまじまじと見つめる。でも、どうしてシクルなのだろう。リトナが作り出した道具でもおかしくないのに。
シクルの食事は、生食が基本らしいので調理した熱さを避けるためとは思えない。手掴みではなく、道具を使う理由とは。
「道具を使って食事をしたのには、何か理由があるんですか?」
「私達シクルは不器用なの。ほら見て」
イーラがこちらに右手を突き出し手を開く。すると、何か違和感を覚えた。指が短いような気がする。
「水かきがあるの」
そう言って、指と指の間にある皮膚を伸ばして見せた。指の第二関節辺りからその隣の指の第二関節を繋ぐように、皮膚が張っている。
「この手だと、色々掴みにくいのよ。スプーンもフォークも握るだけで使えるから楽よ」
イーラの話を聞いて、自分の手を見つめる。
そうだよな。ラコやニットラー、シクルと、生活様態、姿形の全く違う種族がいる以上、道具の成り立ちだって違うのだろう。
魔法があるのだから、俺の想像できないような道具があったりしてもおかしくない。
忙しくてあまり考えている暇はなかったが、あの風の魔法を使っていた男、ワナキが身につけていた耳飾りもそうではないだろうか。魔法を使っている間は、青く光っていたことを考えると魔法と何か関係のあるものに違いない。
今後、あの男のような魔法使いと対峙することになる可能性はある。周りで魔法の話をしている奴らがいて、レグナやイーラも驚く様子がないところを見るに、やはり魔法はこの世界では常識なのだろうと思う。
こうして自身の身を持って魔法の効果を体験した以上は「今更、魔法について何も知らないと言うのは恥ずかしい」などと思っている場合でもないだろう。ちゃんと知らなければならない。
*****
いよいよ出発当日。俺は早朝、目を覚ますと、荷馬車の準備をした。昨日から水に浸して柔らかくしていた藁を荷馬車の中に敷き詰めたあと、同じように水に浸していた、レグナと共に採取してきた苔のような草を上に敷き詰める。その後、幌を張った。
馬のカナに餌と水をやり、ブラシがけをしたあと、湖の近くに荷馬車を用意した。
「おはようセトくん!」
目を覚ましたカイコが駆け寄ってきて、俺の足にしがみつく。
「おはよう。早いな」
「うん! 今日出発でしょ? 何か手伝うことある?」
「そうだな、じゃあ、みんなの荷物をまとめておいてくれるか?」
「分かった!」
他の二人もよく手伝ってくれるが、カイコは特に手伝ってくれていた。なんでも率先してやってくれるし、俺の指示をちゃんと理解して、自分なりに効率的な方法を探して俺が思った以上に働いてくれる。まだ小さいのに、しっかりした子だと思う。
俺は桶と水袋に湖の水を入れると、荷馬車の脇に置いた。
その後、ミツバチが目を覚ました。ミツバチは俺らの中で一番寝起きが悪くて、朝はより一層機嫌が悪い。イーラを起こすように頼んだら、物凄く文句を言われたが、それでもイーラを起こしに行ってくれた。(渋々だったが)
俺はそれを見送ったあと、丸まってぐっすり寝ているレグナの肩を揺すった。すると、レグナはすぐに起きて大きなあくびをした。
「おはよ」
レグナがにっこりと笑う。
「おはよう。疲れてない?」
と、俺が声をかけると、レグナはすぐに立ち上がって尻尾を振った。
「全然! 顔洗ってくる」
この数日間、レグナはずっと笑顔でいてくれた。それを見ると頑張ろうと思えたし、俺自身も、例え疲れていても笑顔でいられたように思う。
それぞれが身支度を整えると、カイコがキレイにまとめた荷物を各自に持たせていた。カイコが整頓してくれた荷物は、要らないもの、要るもの、とキレイに分けられており、確認してくれと言うので確認したがほとんど言うこともなかった。
カイコもミツバチもよくできた子供だなぁと感心する。きっとこの二人の親は自慢に思っていたに違いない。
俺が毛布を持って湖の近くに行くと、ミツバチとイーラが話をしていた。
「おはよう」
と、イーラに声をかけてミツバチの横に立つと、ミツバチは何も言わずにその場を離れていった。
「嫌われてるんですよね、なんか」
「そんなことないわ。男の子だもん。素直じゃないだけよ、きっと」
「そうですかね。そうだといいけど」
と、俺が苦笑するとイーラは小さく笑った。
「それじゃあ、早速ですけど行きますか」
「そうね。……楽しみ、だけど、ちょっと怖いわ」
下手をすれば命に関わる。当たり前だ。
「……正直、絶対安全だとは言えません」
「そうよね。分かってる」
イーラは目を伏せると、寂しそうに微笑みながら続けた。
「でも、死んでも恨んだりしないわ。ここでずっと一人でいるよりずっとマシだもの」
イーラはぱっと顔を上げて俺を見た。そして、笑いながら言った。
「もしも私が死んじゃったら、死体は海に還してね。約束!」
そう言って、イーラが右手を差し出す。俺も右手を差し出し、握った。
「……すいません、絶対死なせない、と言えなくて」
情けない気持ちに俯くと、繋いでいた手に力が込められた。
「あなたとは長い時間一緒にいたわけじゃないけど、あなたが優しい人だって分かるわ。その言葉があなたらしいともね」
イーラは俺の右手を軽く引くと、真っすぐに俺を見つめた。
「誰かのために一生懸命になれる人って素敵よ。だから、胸を張っていいのよ。……ホント、レグナちゃんが羨ましい」
イーラはそう言うと右手を離し、ニヤリとした。
「ねぇ、私、考えておいてって言ったけど、あなた、ちゃんとあの時に答えは出していたんでしょ?」
イーラの言葉に、少しホッとした。そして、あの時、レグナに邪魔されて言えなかった言葉をもう一度口にした。
「……はい。俺は、レグナやカイコ、ミツバチと一緒にいたいです。離れたくない。……その、あなたのことは、魅力的だと思ってはいるんですけど……」
「目を見てたら分かったわよ。あなた顔に出るタイプね、きっと」
イーラは、いたずらっぽくそう言うと、腕を組んで更に言った。
「それで? 私はどうすればいいの? 早く行きましょ!」
俺は、その後、湖岸に毛布を敷いて、レグナと共にイーラを陸に引っ張り上げた。その後、荷馬車にイーラを乗せ、仰向けにしたあと、水で濡らした毛布を体にかける。
「変な感じ」
と、イーラはクスクス笑っていた。
「何かあればすぐ言ってください」
俺は、イーラを乗せたあと、荷馬車にはカイコ、ミツバチに乗ってもらい、イーラに付き添ってもらう。レグナには少し先を歩いてもらって先導を頼んだ。
「よし、じゃあ行こうか」
手綱を引くと、カナは鼻をブルルと鳴らして歩きだした。
いよいよだ。少し緊張する。いくら入念に準備をしたとはいえ、何が起こるか分からない。
「大丈夫ですか?」
出発して間もなく、イーラに声をかけると、イーラは片手を上げて応えた。
「具合悪くない?」
カイコは毛布の上からイーラの体にゆっくり水をかけながら聞いた。イーラの皮膚が乾燥しないように、定期的に水をかけてくれているのだ。
「平気よ、今のところ」
イーラは荷馬車が動き出して、しばらくは不安そうだった。辺りをしきりに見渡して、居心地悪そうに体を捩ってはカイコやミツバチに声をかけられていた。
レグナも時折、心配そうにこちらを振り返っていたが、すぐに辺りの警戒に戻った。
荷馬車や馬は高級品だ。山賊などに見つかれば目をつけられる可能性は高い。銀貨を取られるだけで済めば運がいいが、大抵はここにいる全員が奴隷として売り飛ばされるだろう。
シクルの奴隷としての価値がどの程度かは知らないが、水中という活動制限がある以上は、あまり良い値はつかないはず。下手をすれば値がつかないからと、殺される可能性まである。
ある程度、辺りの索敵ができるのは強みだ。少なくとも不意打ちは受けにくくなる。
「少し苦しくなってきたわ」
イーラに言われて、一旦荷馬車を止めた。レグナを呼び寄せて、一緒にイーラの体勢を変えてやる。
湖でも何度か試してみて、体勢を変えれば何もしないより負担が少ないと分かった。これでまた少しの間は持つだろう。
何度目かに体勢を変えた時、イーラは顔色が悪いように見えた。
「……大丈夫ですか? 顔色が……」
「……ちょっと、気持ち悪いかも」
どうやら横になってガタガタ揺れる荷馬車に乗っていたからか、酔ってしまったようだ。
イーラは大きくため息をついたりしながらしきりに「気持ち悪い」と弱々しい声を出していた。
「あと……どのくらい?」
イーラが泣きそうな声で呟く。辺りを見渡して場所を確かめると、もう半分ほどは来ていた。
「半分は来てます。あと少しですから」
「吐きそう……」
カナの方は問題なさそうなので、少し歩くスピードを早めたい。俺は心配そうにこちらを見ているレグナに声をかけた。
「レグナ、少し急ごう」
「うん」
レグナは小走りで前に走っていくと、耳を動かしながら再び辺りを警戒した。
水をかけ、体勢を変え、イーラの様子を見ながらの運搬は、予想よりも大分時間がかかっていた。
荷馬車の中を覗くと、彼女はかなりぐったりとしていた。カイコが心配そうに背中を擦っている。
「吐きそうなんだって」
「水も切れた」
空の桶をミツバチが見せる。
「もう少しだから、頑張って」
そう言うしかない。もう一度イーラの体勢を変えて、さらに歩くスピードを早める。スピードが出れば出るほど酔いやすくなるのかもしれないが、水も切れているし、時間がない。
イーラが途中で吐くなどのアクシデントもあったが、俺らはなんとか川まで辿り着くことができた。
俺が声をかけると、イーラは恨めしそうに俺を見て、呟く。
「全然……ダメ。もう二度と馬車なんか乗らないわ……乗るもんですか……」
「すいません……」
俺自身があまり乗り物酔いをしないので、イーラが荷馬車に酔うことは想定外だった。あれだけ準備をしても、穴はあるものだと猛省する。実際にやってみないと分からない問題もあるから、その時はその時で適切に対応できるようになりたい、そう思った。
「でもほら、川にはつきましたから。元気出して」
俺がそう言うと、イーラは川の方を見て、少し体を起こした。
「うー……そうね……」
俺は、イーラの体が傷つかないように地面に毛布を敷いたあと、レグナと一緒にイーラを慎重に荷馬車から下ろした。
冷たい川の岸辺にイーラを運び、体を下ろすとイーラは少し体を引きずって進み、川の中に体を沈めた。
「冷たくて、気持ち良いわね。少し気分が良くなったみたいに感じるわ」
そう言って、イーラは頭から水の中に潜った。少し待っていると、突然目の前にイーラが飛び出してきて、ヒレで水を叩くと、大きな水しぶきがあがり、俺らはそれを頭から被った。
驚いて川から離れると、イーラはこちらを指さして、ケラケラと笑った。
「びっくりした? 凄いでしょ? ね……」
水を払いながら、少し文句を言おう思い近づくと、イーラは突然両手で顔を覆った。どうしたのかと思い、立ち止まると、彼女は震えた声で言った。
「ありがと、嬉しい……」
イーラはその後、しばらく泣いていた。
俺らは川辺に座って彼女が泣き終わるのを待った。
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