俺の思ってた異世界と違う

夜野

第一章「運命の日」

奴隷同士で

第1話「前世の記憶」

 もうずっと歩いている。せっかく惨めな奴隷生活から抜け出せたって、このままじゃ死んでしまう。脱走したことを後悔しそうだった。


 空を睨みつけ、歯を食いしばる。悔しさや情けなさ、色々な感情が込み上げてきて鼻がツンと痛んだ。


 寒い。喉も乾いた。腹も減った。だが、見渡す限り、岩と枯れたような草木ばかりで、役に立ちそうなものは何一つない。


 ……俺の人生は、どうしてこんな事になったのだろう。


 いつ死んでもおかしくない状況のせいか、ふと、そんなことを考えてしまう。


 前世の俺が平凡でパッとしない生活を疎んだからか? 俺は、たったそれだけでこんな目に遭わなきゃいけないのか? じゃあこれは、前世の俺が身の程も弁えずに、恥もなく、ただ楽に生きたいと願った天罰なのか?


 俺は思わず首を横に振って、目を、ぎゅっと閉じた。


 俺が望んだんじゃない。前世の俺が勝手に決めたことだ。それなのに、なぜ俺が。


「うわっ!!」


 何かに躓き、驚いて目を見開く。咄嗟に足が前に出たので、転倒は回避できた。


「なんだよ……もう……」


 振り返ると、地面から出っ張った石に躓いたようだった。俺は膝に手をつき、大きく息を吐く。すると、俺の体は、待ってましたとばかりに、疲労感という圧力をかけながら休憩を迫ってきた。動かなければ、そう思い、足を出そうとするのだが、まるで自分の足ではないみたいに重く鈍い。


 仕方なく来た道を振り返り、追手の気配がないのを確認した。


 少し休もう。


 その場にちょうどよく出っ張っていた石に腰を下ろし、再び空を見る。少し雲の多い晴れ空。流れる雲を見つめて、疲れを吐き出すように息を吐いた。


 今頃、俺をこの世界に転生させた神様は、この空のどこかから俺を見下ろして、笑っていることだろう。


 前世の俺は、遊びに誘ってくれるような友人もいなければ彼女なんかいたこともない、パッとしないフリーターで、その毎日といえばバイトして、家に帰って、半額になったスーパーの弁当を食って、ゲームして、スマホ見て、パソコンを眺めて、寝て、またバイトに行くの繰り返し……。


 楽だが惨めなその日々は、何も与えてくれないと分かり切っていたくせに、その生活を変える勇気も根性もない。


 就職や結婚の話をされるのが嫌で、両親にはろくに連絡もしなかったし、帰省もしない、そんな奴だったらしい。


 そんな奴のいわゆる『希望』だった俺は、前世の俺が望んでいたはずの特別な力なんてなかったし、その上、七歳で両親を殺されてしまい、その後、奴隷として売り飛ばされたあげくそのまま十年も奴隷で過ごしたのだ。これじゃあ、良くなるどころか悪化しているとバカでも分かるだろう。


 前世の俺からすればこれは詐欺も同然で、現世の俺からすれば、とばっちり以外の何物でもない。前世の俺の気持ちも分からないでもないし、同情はするが、日本よりも遥かに暮らしにくいこの世界で、俺にどうしろというんだ。


 そう思えば、青空は少し嫌味っぽくも感じた。


 そもそもだ。前世の俺と、現世の俺が、全くの別人格であるのはなぜだ? 本当に嫌がらせなのか、それとも手違いか?


 いわゆる異世界に転生するかしないかを決めている時の会話は、はっきりと記憶にある。


 前世の俺は、車に轢かれて死んだ。一応、轢かれた時はまだ生きていたのだが、轢いた車がそのまま逃走してしまい、救急車も呼ばれずに放置されたあげく、後続の車にさらに轢かれて死んだ。


 その後、気がつくと前世の俺は天井も壁も床も全てが白い部屋に立っていた。あまり広くないその部屋の中央には向かい合った二脚の椅子と、木製机があり、机の上には鉛筆と白い紙が置いてあった。


 その紙にはかなり事務的な文書で、長々と、俺が死んだこと、天国行きであることが書いてあった。この時、やっと自身があの事故で死んだのだと分かったが、不思議と納得していた。


 他にも、天国にいられるのは二年だけであるとか、それが嫌ならすぐに転生しろ。といったことが書いてあり、文章の最後には大きめの文字で『天国』『転生』『その他』好きな方を丸で囲めと書いてあった。『その他』のすぐ下には四角い枠があり、『その他を選んだ方のみご記入ください。望みはなんですか?』という文が書かれていた。


 それを見て、前世の俺は迷ったものの、『その他』に丸をつけ、記入欄にこう書いた。『他人よりも優れた力があって、楽しく笑って過ごせる、そんな人生がいい。アニメや漫画、小説の主人公のような華やかな日々を過ごしてみたい。例えば最近読んだ小説にあった、事故で死んだ奴が、神様から特別な力を貰って異世界に行って女の子にモテモテ、みたいな』


 書き終わってから前世の俺は多少、恥ずかしさを感じたようだった。恥ずかしさをごまかすように白い紙から視線を外した俺は、いつの間にか、向かいの椅子に座っていた少女を見て小さく悲鳴をあげた。


 年は六歳くらい。白いワンピースを着ていて、色白の肌に長く白い髪、くりくりと大きな灰色の瞳をしていた。


 状況を考えれば、その言動からして神様、あるいはその眷属であると分かるのだが、不思議なことにその時の俺は、その少女が神様の類だとは思っていなかった。


 少女はにっこり笑ったかと思うと、可愛らしい軽やかな声で俺に挨拶をした。


「こんにちは」


「えっ……こっ、こんにちは……?」


 前世の俺が驚きつつも挨拶を返すと、少女は腕を組んで、それをテーブルに乗せた。それから少し首を傾げて、問いかけてきた。


「異世界に行きたいの?」


「えっ、い、行けるの?」


「行きたいなら」


「そりゃあ、行きたいよ」


 と、俺がすぐに答えると、少女はじっと俺を見た。


「でも、どうして行きたいの?」


「魔法とか、あったら生きていくの楽かなって」


 それを聞くなり、少女はクスクスと笑って言った。


「どこだって、生きていくのは大変では?」


 その時の少女の表情と声色は、とても優しげだったことを覚えている。それが逆に不安を誘い、少しうろたえてしまったことも。


 気を取り直そうと、わざとらしく咳払いしてから、前世の俺は答える。


「特別な能力とかあったら俺だって……」


 確かに、何もないよりはマシだろう。俺だって奴隷なんて立場で生きてきたので、それは思う。


「そう……じゃあ、例えばどんな力が欲しい?」


 少女は腕組みをやめると、気だるげに背もたれによりかかった。


「最強になれる力とか、凄腕の魔法使いになれるとか……?」


 と、俺が言うなり、少女は楽しそうな笑い声をあげた。それを見て、羞恥から俯くと、囁くような声で少女は言った。


「……それがあれば楽に生きていける?」


 恐る恐る顔を上げると、まっすぐにこちらを見つめる少女と目が合う。俺はゆっくりと頷いた。


「そう、分かったよ」


「えっ、くれるの?」


「あげるよ。君が望むなら」


「どっ、どんな魔法が使える……っ?」


 ずっと萎縮していた前世の俺は、その言葉を聞くなり、前のめりになって声を大きくした。自分も物語の主人公のようになれると舞い上がってしまったのだろう。


「それは君次第かな」


「本当に最強になれるのか?」


「なれるよ」


「えっと、じゃあ、生前の記憶って、なくなる?」


「なくなるよ。君は、あった方がいい?」


「そりゃあ、だってそうじゃないと意味が……」 


「分かった。なら残しておいてあげる」


 少しの沈黙。少女は微笑んだままじっと前世の俺を見つめた。だんだんその少女の視線が気まずく思えてきて、俺はまた俯いていた。


「日本に戻ってもいいんだよ」


 生まれ故郷の名前を聞くと、俺はかなり動揺していた。日本にいたいという気持ちも多少はあったのだろう。


「日本に戻っても力は貰えるのか?」


「特別な力が使えるのは異世界でだけ」


「なんで日本だと力を貰えないんだ?」


「魔法がない世界だからね。どうする? 日本に戻る?」


「……異世界は、やめた方がいいのか?」


「どうしてそう思うの?」


 わざわざ日本に戻ることを提案されるのには、何か理由があるはずだと思った。


「なんか、やめておけ、みたいな雰囲気が……」


「なら、やめる?」


「いやそうじゃなくて……異世界に行ったらなんか不都合なことがあるのか?」


「あるとも言えるし、ないとも言える。でも、あの世界もちゃんと楽しいよ」


 前世の俺は、誤魔化されているような曖昧な答えを聞いて、苛立ってきていた。


「毎日、楽しく生きられるのか?」


 それを聞いた少女があははと声を出して笑うと、前世の俺はカチンときて、ついに椅子から立ち上がって怒鳴り声をだした。


「笑うなよ! 俺の人生なんだぞ!? ちゃんとしてくれ!」


 少女はすぐに笑うのをやめて、またじっとこちらを見た。それを見て、ハッとした俺は、慌てて座り直す。


「……ごめん。なあ、悪い事にならないか? 嘘ついてんじゃないだろうな」


「嘘はつかない。でも悪い事になるか、ならないかは、君次第だよ、としか言えない」


 少女は確かにそう言った。もう少し詳しく聞こうとして、前世の俺が口を開こうとすると、少女は片手を前に突き出して、俺が声を発するのを遮った。


「悪いけど、もう時間だね。どうする?」


 前世の俺は多少迷いを見せたものの、嘘ではないという少女の言葉を信じて、答えた。


「異世界だ。俺は異世界で自分の人生をやり直す。今度こそ上手くやる」


「……うん。頑張って」


 最後に見た少女は、少し寂しそうに笑っていた。きっと、詐欺のような話に引っかかった俺を哀れんでいたのだろう。


 こうやって思い出してみても、そうとしか考えられない。こんな裸足で荒野を歩いている奴が人生のやり直しに成功しているとは到底思えない。


 俺はため息とともに、うす汚れた足元に視線を移した。すると、足首の肌の色が、足枷のついていた部分だけ白いことに気付いた。思わず足首をさすってから、不意に怖くなって後ろを振り返った。


 人の気配はない。だが、ずっとこの場にいるわけにもいかない。力を振り絞って立ち上がると、突然、風が強くなった。砂埃が酷くなり、目を開けているのが辛くなる。辺りを見渡すと少し先に大きな岩があったので、その岩陰に逃げ込んだ。


 ただでさえ挫けそうだったのに、追い打ちをかけられ、心が折れてしまった。もう今日はここで夜を明かそう。膝を抱え、細く長く息を吐く。


 日が落ちてくるにつれて、寒くて体がブルブルと震えた。寒い季節が過ぎ、最近は温かくなってきたとはいえ、夕方から朝方にかけてはまだ冷える。こんな下着も同然の格好では寒くて当たり前なのだが、計画的な脱走ではなかったので、仕方がなかった。


 ……脱走できたのは、本当にラッキーだった。偶然に偶然が重なってのことだったと思う。


 十年間、いつ殺されてもおかしくない日々を送ってきた。食事も大抵は毎日同じ。それも大して美味しくもない。


 逃げ出したいと思わなかったわけじゃない。


 脱走しようと企む奴隷は少なくなかったが、大抵はすぐに兵士に見つかり、その場で動かなくなるまで叩きのめされた。時には殺されてしまう奴隷もいた。


 俺は何度かその死体を処理しろと命令されたことがある。兵士に見張られながら、死体を背中に担いで町の外れまで歩き、穴を掘って埋めるのだ。俺は、その死体側になるのが怖くて怖くて仕方がなかった。


 変えたいとは思いながらも、前世の俺と同様、俺にも勇気がなかった。


 だが俺は、今日、脱走した。


 今日は朝からずっと建物の修繕作業をしていた。作業にはノルマがあり、それが終わるまでは休憩も食事も出来ないので、俺はいつも通り、言われた通りに黙々と作業していた。その時、急に、作業を見張っていた兵士から水汲みを頼まれた。水汲み自体は珍しい仕事じゃない。だが、他の仕事をしている時に違う仕事を頼まれることはあまりなかったので、少し不思議に思った。


 俺は、その兵士とは顔見知りだった。まだ若い兵士で、年が近かったからか、何度か話をしたことがある。仕事中、腹を空かせていた俺に、自分の食事をこっそり分けてくれた事もあった。恐らく、元々、根の悪い奴ではなかったのだと思う。だからなのか、その時、いつもならつけられていた足枷をつけられなかった。ただ単に忘れたのか、それとも俺なら大丈夫だと判断したのか分からないが、どちらにせよ、拘束されていない状態で俺は桶だけ持って、井戸に向かわされた。


 それでも、まだ逃げようとは考えていなかった。足枷がないと軽くていいな。ぐらいにしか思っていなかった。だが、井戸で水を汲み終わり、一息ついて門の方を見た時に、いつもより人の出入りが激しかったからか、門が開いたままになっていた。それを見て、ふと、今なら逃げられるかもと思ったのだ。


 こういうのを出来心というのだろう。俺は、『きっとすぐに声をかけられる。そしたら、適当にごまかして、自分の作業場に戻ればいい』と考えていた。そう思いながら、ゆっくりと門に近づいた。


 門には見張りの兵士が二人いた。兵士はこちらに気付く様子もなく、門を通ろうとしている商人らしき男と楽しげに話をしていた。


 そのまま近くで観察していると、見張りの兵士は馬車などは引き止めてあれこれと確認しているようだったが、門を通る人には大した確認を行っていないことに気づいた。


 そこで俺は人混みに紛れて、門を通ってみることにした。緊張で足が震えたが、怪しくないように胸を張って歩いた。すると、すんなり外に出ることができたのだ。


 あまりに簡単だったので、外に出たあと、何度も門を振り返ってしまった。でもそれでも、声をかけられることはなかった。


 そして、今に至る。誰かが手引きしてくれたとしか思えないくらい、呆気ない脱走だった。俺がした事といえば、見張りの兵士に気をつけた事くらいだ。


 俺は少し顔を上げて、辺りを警戒したが、やはり誰もいない。空を見れば、日がもうすぐ見えなくなりそうだった。


 明日、目を覚ますことができるだろうか。夜の寒さを凌げるだろうか。それを乗り越えて、このまま自由になることができたら、俺は幸せになれるだろうか。


 そこまで考えて、いつもの嫌な感覚に襲われる。幸せになりたい。それは、何も前世の俺だけが抱く願いじゃない。この幸せになりたいという願いは、本当に俺の意志だろうか。そう考えると不安になる。心の中がざわついて、気持ち悪くなる。


 この『記憶』は強烈だ。


 俺が六歳の時に、突然、蘇ってきたこの記憶は、俺が十七歳になる今の今まで、俺を侵食せんといつまでも頭に残り続けている。


 どれが自分の記憶で、どれが前世の記憶なのか、分からなくなる時がある。それは俺が年を取れば取るほど多くなっていって、無意識に前世の記憶を元に考えていることも。そうすると、俺自身の思いが分からなくなる。


 そのたびに、まるで俺のこの人生が、他人の願いを叶えるための人生だと言われているように思えて、それが嫌な感覚となって俺の気分を沈ませる。


「いや、違う……」


 俺はその気持ち悪さを振り払いたくて声をだした。


 以前なら、そのまま落ち込んでいただろう。いくら希望を持とうと、寝て起きれば強制労働、自由のない日々が待っているのだから、前向きになりようがなかった。


 だが今は、少し違った。てっきり俺の人生は、どん底のままで決まっているものだとばかり思っていたが、そうなら脱走なんて成功するはずがない。そう思えば、まだ抗う余地があるのだと感じていた。


 前世の俺のリスタートがこの世界で生まれた俺だったのなら、それは失敗だ。ならば、俺にとっての人生のリスタートはここではないだろうか。いや、ここにしよう。


 俺は、特別まで望まない。ただ、幸せになれればそれでいい。……状況が状況なので、すぐに終わってしまうかもしれないが、それでも、ちょっとでもいいから、逆らってみたい。そう思ったのだった。

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