60 持続可能な想像力としての物語は色褪せない。
去年から僕は半年はエッセイを毎週更新して、あとの半年は小説を書く、というスケジュールで動いています。今年も五月から小説を書く半年に入ります。
なので、このエッセイもあと7回です。
よろしくお願い致します。
さて、小説トリッパーという雑誌の2020年冬季号の中で、倉本さおりが「サステナブルな〈物語〉のかたち ――江國香織『去年の雪』論」を書いており、その中で「情報は紙幣のように古くなって役に立たなくなるときがくるけれど、物語はいつまでもその価値は変わらない。」という江國香織の言葉を引用しています。
そして、倉本さおりは「私はそれ(江國の言う「物語」)を、持続可能な想像力、という言葉で捉えてみたいと思う。」と書きます。
持続可能な想像力が物語であることに僕はまったく異論がありません。むしろ、僕はその持続可能な想像力の世界に入りたくて小説を書いています。
ちなみに倉本さおりの評論のタイトルにある「サステナブル」とはどういう意味か調べてみました。
すると、「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」を意味している、とのことでした。
ここで引っかかるのは「発展」という単語です。
江國香織の言葉でも、倉本さおりの解釈でも、この「発展」という点については触れられていません。
持続可能な想像力である物語は「発展」を求めていない。
少なくとも江國香織と倉本さおりは、そう考えているように思えます。
「発展」の意味は「物事の勢いなどが伸び広がって盛んになること。物事が、より進んだ段階に移っていくこと。」ですから、当然と言えば、当然です。
最初の江國香織の言葉に戻れは、物語の価値はいつまでも変わらない、のですから。
とはいえ、物語にも種類はあって、ものによっては「紙幣のように古くなって」しまうものはあるのではないか、と僕は考えています。
それが、まったく役に立たなくなるかと言えば、そうではないでしょうが、登場した当初ほどの力を持たなくなってしまう物語というのはあります。
そういったものを、僕はシェア可能な想像力と呼べないか、と考えます。
大山顕の「新写真論 スマホと顔」の中で『シェアする美術――森美術館のSNSマーケティング戦略』なる本に触れていました。
――(本書の中に)「『感動』が人を動かす」という表現もあり、自己啓発書と見分けがつかない。そして同展の人気は「視覚的なわかりやすさ」「写真を撮りたくなってしまう」「SNSでシェアしたくなってしまう」ことと、作品の写真撮影とSNSへの投稿を許可したところにあったと自ら分析する。
小説の帯に「三回泣けます」や「ラストに涙」と言った、感動を誘導する言葉が並んで久しいですが、そういう小説は読みやすく、シェアしやすいように作られている印象を持ちます。
もちろん、それが悪いと言う訳ではありません。
ただ、倉本さおりの評論で書いた江國香織の『去年の雪』みたいな登場人物が「実に百あまり。およそ二百七十ページのあいだに確認できる名前の総数は百七十以上にのぼ」り、「時間軸はSNSの全盛期の現在からオイルショックの時代、そして平安期や江戸期とおぼしき時代まで多岐にわたる」物語は決して、シェアしやすいとは言い難いでしょう。
ちなみに、『去年の雪』の帯は「この本を読んでいる時、あなたはひとりじゃない。」で、発売された当初は書評家たちの評価が高く、読書好きの中では話題となった印象がはありますが、それは爆発的な人気では決してありませんでした。
とはいえ、帯に「三回泣けます」や「ラストに涙」と書かれている小説の流れがあるからこそ、「ルビンの壺が割れた(2017年)」と言った、その時期だから売れて「先の読めない展開、待ち受ける驚きのラスト。」をみんなでシェアする、という感動はあったんだと思います。
僕が言いたいのは『去年の雪』と言った評論文が文芸誌に載って、おそらく十年後も江國香織論を書く際に触れられるだろう作品と、話題作として本屋で平積みされて「ラストに涙」や「驚きのラスト」を誰かとシェアする作品を同じ土壌で語るのは難しい、ということです。
そんなことは当たり前だろ、と言われれば、おっしゃる通りなのですが、ここを間違えると意見が食い違って平行線のまま話が進まない、という事態に陥ってしまいます。
僕が語っているのは持続可能な想像力についてなのだけれど、相手が返してくる言葉は常にシェア可能な想像力のことで、地盤がそもそも違うので話が噛み合うはずがないんです。
そういう戸惑いに気づいたのは、ここ数年のことでした。
僕はこれまで、本当に噛み合わない不毛な話を色んな人と数えきれないほど、して来たんだなぁと感慨深くなります。
今なら、もっと相手のスタンスを理解して、話をすることができたのになぁ、と。
本当に日々勉強です。
さて、本当はこの流れで、シン・エヴァの話に持って行こうと思っていたんですが、なんとなく面白くない気がする上に、話題の映画に乗っかって何か言って悦に浸ろうとしていないか、と疑っている自分がいたので、やめておきます。
三十歳になっても、ぐるぐる同じ悩みを繰り返すんだなぁ。
日々精進していきます。
ちなみに、今回引用した小説トリッパー2020年冬季号なのですが、まだ売っているのかな? こちらに島本理生の「憐憫」という原稿用紙換算で150枚くらいの中編? 短編?が載っていて、これが面白いのでお勧めです。
昔は子役として、そこそこ売れたが二十歳を超えてから「唯一無二」の容姿ではなくなった女性の物語で、文學界の3月号の「私の身体を生きる」というエッセイを踏まえて読むと、非常に面白いんです。
ここ最近の島本理生は何か吹っ切れたような、自分が書くべきものを見つけたような感じがあって目が離せません。
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