二人の誓い
「あれは……」
ルリが指さしている先を見つめ、ラオインは呆然としたように小さくつぶやいた。
あのステンドグラス自体は、特別に変わったところはない。
まずは一番上には、少し離れてまあるいステンドグラス。薔薇の花びらのように、あるいは蜘蛛の巣のように複雑に中心から放射状に伸びていく模様をした、円形だ。
それと、大きなステンドグラスを取り巻く小さめの四角いステンドグラスが、左右と上下に配置されている。図案は、青い花びらをもつ花と、それを持つ羽の生えた子供たちや妖精のような女の人。皆、嬉しそうに歌い踊り、中心に配置されたステンドグラスに視線が向いている。
そして、中央の大きなステンドグラス。
これに描かれているのは、穏やかな笑みを浮かべた女性と、そのいかにも柔らかそうな腕に抱かれている、生まれたばかりなのだろうとわかる可愛らしい赤子。
それらのステンドグラスが、外からの光を受けてきらきらきらきらと、揺らめきながら輝いていた。
「あれは……あれが、本当に硝子で出来ているのか……?」
金色の瞳を大きく見開き、見つめ続けていたラオインが、信じられないと言ったように独り言らしきものをぽつぽつと呟き続けていた。
「あれは……あれは、ただの絵だとも思えない。あのように、人の心を打つものを、俺は見たことが無い」
彼の見開かれた金色の瞳には、じわりと涙が浮かび始めている。
「ラオイン」
「……なぜだろうか、あのステンドグラスの女性とはまったく、どこも、似ていないのに、なのに……自分の母のことを思い出してしまった。母も、あのような優しい笑みの時があったのだろうか。……あって、ほしい」
「ラオイン」
彼の母親が苦労してきたことは、ルリもいくらかは聞いている。だが、彼の母親の人となりはきちんとは知らない。彼女が何を思っていたかなど、もうわからない。だからこそ、言いたかった。
「……きっと、きっと、あんな風に優しく笑っていたと、思いますよ」
そんな自分の一方的な願望を告げてから、ルリはラオインにぎゅうっと抱きついて、そのたくましい胸に顔を埋める。
ラオインのような優しい男性を育てた人なのだ。であればその人はきっと、とても優しい人だろう。そういうことでいい。
「……ルリ、ここは神様の前だぞ」
「大丈夫です。ここは聖堂なんていう建物名で呼ばれてはいますが、それはあくまでも昔の名残でしかありません。この伏籠家には――いえ、この世界には、どんな神様だってもう見てなんていないでしょうし、どこにもいらっしゃいません。だから、私はここでラオインにぎゅーってしても……いいんですもの」
甘えるように、ひどいわがままを呟くと、彼はルリの背中をぽんぽんぽふ、とごく軽く叩いて、顔を上げるように促した。
「神様やそれに類するような存在がいないとしても――この聖堂では、あのステンドグラスが見守ってくれている」
そっと顔を上げれば、ステンドグラスの中にいる赤子と目が合った。
……本当はただの美術品であるはずのそれは、神聖な雰囲気を漂わせていて、なぜかとても愛おしくて、心の奥底から温かいものがふんわりと優しく登ってくるような、そんな感覚を覚えてしまう。
世界がずっともっと広かった頃には、あちらこちらにいろんな信仰があって、いろんな芸術があって、いろんな宗教画も描かれたという。
ルリももちろん、そういったものの画集やデータ画像、あるいは立体映像や模造品といったものならばいくらでも見たことがある。
けれど、この目の前にあるステンドグラス。これだけは、何かが『違う』と、体が、魂が、心が、血が、訴えていた。うまく言葉には出来ない。だが、でも、違うのだ、これだけは、絶対に、他とは違う、何か、特別なものなのだ。
「……たしかに……あの優しい微笑みに見守られてたら、不埒な事なんてのは出来そうにないですけど」
「ふふ、たしかに不埒なことはできそうにないな。…………でも、逆に神聖な行い――お互いに誓いを立てる、というのはどうだろうか?」
綺麗に編まれたルリの髪の毛先を優しく撫でながら、ラオインは口元に笑みを浮かべいた。
「誓いを?」
「あぁ。……いつかここで……誓いの言葉を。二人で」
二人で誓いの言葉。
つまり、それは。
「ルリが結婚可能年齢になったら、その時はこの聖堂で結婚式をしよう」
ルリは思わず、ぱちぱちと音がしそうなほどにゆっくりとした瞬きを何度も繰り返した。
私が結婚できる年齢に達したら。
この聖堂で。
……結婚式を。
「……素敵です」
ぎゅ、とまた彼の背中を抱きしめて、彼の体温を感じながら、彼の瞳を見つめて。
「えぇ、そうですね……結婚式を。その時は――居もしない『誰かさん』に誓うでもなくて、あのステンドグラスに見守ってもらいながら自分自身とお互いに誓い合いましょう。それは私達二人のための結婚式なんですから」
「あぁ、そうだな。この世界で誓いを立てる相手は、自分自身と他にはもうひとりだけだ」
……そして、結婚式と言えば――欠かせないものがある。
「その時は、やっぱり指輪の交換も……してみたいですね」
「指輪……か」
「えぇ。左手の薬指につけるための結婚指輪を、お互いに贈り合うんです」
「ふむ。であれば、指輪の交換もその時には」
「はい……約束ですよ、ラオイン」
ルリは彼を見つめて、微笑む。
自分でも頬が紅潮しているのがわかる。きっと今はとろーんととろけきったしまりのない笑顔になってしまっていることだろう。でもいいのだ、こんな約束を貰ってしまっては、仕方がない。
さて、しかし指輪はどうやって手に入れよう。
大昔の世界では、人がたくさんいたから、宝飾品を作る人も販売する人もそこらにいて金銭なりで購えたのだろうが、今となってはそんなことはできない。
マザーコンピューターに言えば、それこそどんなものでもなんでも用意してくれるのかもしれないが――――それでは何か、違う。
お花の指輪……いや、ロマンティックだけどすぐにしおれて枯れてしまう。
糸を編むとか、木彫りとか……。
なんにせよ、ルリが結婚可能年齢の十八歳を迎えるまでにはまだ四年もある。だから、じっくり考えて良いものを用意しようと、決意した。
「では、その時のために予行練習をしてみないか」
「予行……ですか?」
あぁ。とラオインは言いながら頷いて、ルリからほんのわずかに離れた。
そして、その右手でルリの右手をとる。
「伏籠ルリ。私の大切な人」
優しく手を包み込まれ、心地良い温もりを共有し合う。
「自分は――ラオイン・サイード・ホークショウは、あなたをいつまでも大切にし、どこまでもともに、二人で幸せになることを誓います」
それは確かに誓いの言葉。
けれど。
周りに人は、誰もいない。
神すらも見守っては、いない。
ただ、ステンドグラスからの光が投げかけられているだけの、がらんどうの空間。
だけどそこは、とても清浄で、神聖で、美しくて、素敵な場所。
「ラオイン・サイード・ホークショウ。私の大切な人」
ルリもまた、誓いの言葉を口にする。
「私はあなたを大切にし、あなたに大切にされ、そしていつまでも、どこまでも、この世界が果てるとも、二人で幸せを築くことを、誓います」
ごく自然に、その言葉は紡ぎ出された。
そして。
伏籠ルリは、そうするのがあたりまえのように、瞳を閉じて……待っていた。
彼の温もりが感じ取れる。
彼の香りがわかる。
彼の心音や、息づかいが聞こえる。
やがて。
「ルリ、愛している」
少しだけかさついた彼の唇の感触。それを、ゆっくりと受け入れる。
……ラオイン。私も、愛してます。
心の中で、そう返事をしながら。
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