第4話 異変
中庭を挟んで向かい側の校舎には、教室の窓から漏れる明かりが闇に浮かんで並んでいて、夜の電車のように見えた。
廊下を歩きながら隣のクラスを覗くと、メイド喫茶の準備が着々と進んでいて、教室はほぼピンク色になっていた。その隣のクラスではお化け屋敷をやるらしく、長い黒髪で白装束を着たやつや、フランケンシュタインの格好をしたやつもいて、和洋折衷の魑魅魍魎がうろついていた。
学校にいるはずなのに、とてもそうとは思えない光景があちこちにあって、まるで現実ではない別世界に入り込んでしまったかのようだった。
ところが、食堂付近まで来ると、さっきの世界から切り離されたような真っ暗闇の世界が広がっていた。
俺はその真っ暗な廊下を、遠くに見える自動販売機の明かりを頼りに歩いた。文化祭の準備をしている人達の話し声や、虫の音がだんだんと聞こえなくなっていった。
真っ暗で足元はほとんど見えない。
一歩歩くごとに暗闇に沈み込んでいくような、そんな気さえした。
ふいに、さっきの美咲のことが思い出された。
話って何なんだろう。なんか深刻そうだったな。もしかして、こないだの失恋したとかいう話だろうか。でもなんで俺にそのことを話す必要があるんだろう。ひょっとしたら噂が広まっている事を俺に確認するつもりなんじゃないだろうか。「直孝は知ってるの?」とか言ってきたりして……。もしくは、失恋の噂は実はデタラメで、美咲が好きだったのは俺だったりして、そしてそれを伝えてきたり……。て、そんなわけないか。バカな妄想だよな。
そんな、考えてもどうしようもないことが頭の中をぐるぐると回った。
ふと我に帰ると白い蛍光灯の光を目の前にしていて、自動販売機の前についていることに気付いた。四角い紙パックのジュースが並んでいて、人気のやつはいくつか売り切れの赤いランプが点いていた。
美咲に頼まれていたオレンジジュースと自分用のヨーグルト飲料を買い、自動販売機を後にしようとした時。
「よう、準備頑張ってるか」
「どぅわー!」
闇の中からいきなり話しかけられてめちゃくちゃびっくりした俺は、うっかり手に持ったジュースを落としかけた。
「あっはっはっは、びっくりしたかー?」
自動販売機の後ろから男子生徒が出てきた。
日焼けした肌や丸刈りの頭が野球部っぽかった。ところが、俺はそいつが何年何組の誰であるかは全くわからなかった。入学してからもう半年が経つが、別のクラスの別の部活のやつの名前までは覚えていなかったし、野球部のやつらは皆色黒でスポーツ刈りか丸刈りなので区別がつきにくいからよく分からない。
「お前、テニス部だろ。いつも壁打ちしてる」
「あ、はい、そうです」
「まぁ俺も1年なんだけどな」
そう言ってそいつはにやりと笑った。
「なんだよ」
先輩みたいな雰囲気を出すから、勘違いしてしまった。
「同級生の顔を覚えてないお前の方が悪いだろー」
「確かにな。でも、何でこんなところにいんの?」
いつもなら初対面のやつにこんなことを聞くことなんてしないのだけど、今夜は特別俺も気分が高まっていたらしい。
「サボり」
俺はいろんな意味も含めて「大丈夫なのか?」と尋ねた。
「んー? ああ、いいのいいの」
そいつは軽く笑いながら手をひらひら振った。
なんだか胡散臭い雰囲気の奴だと思った。
「ま、俺は教室に戻るよ、準備が残ってるから」
「おう、気をつけてな」
そいつはこちらに手を上げて言った。
なんで「気をつけて」なのか、不思議に思ったけど細かいことは気にしないでおいた。
さっきの真っ暗な廊下を通る。今度は闇に目が慣れていたからか、うっすらと廊下が見え、あっという間に校舎に戻ってきていた。
異変に気付いたのはその時だ。
音がしないのだ。全く。
さっきまであんなに聞こえていた生徒の話し声も、作業の物音も、虫たちの鳴きごえさえも。
まるで自分だけがここにいるかのように、自分の足音だけが校舎の中を反響する。
何かあったのかと1番近くの2年生の教室の中覗いてみる。
「何だこれ……」
色が無い。
廊下も、教室の壁や天井、椅子や机、人物に至るまで。一面がモノクロの世界。目がおかしくなったのではないかと思ったけど、自分の手足や服は色が付いていた。
それから、人が止まっていた。石像みたいに全く動かない。試しに触ってみても温度は感じられず、関節も固まったままで、マネキンのようだった。
なんだこれは、何なんだ。何が起きているんだ。
自分だけ時間が止まった世界に取り残されてしまったようだった。
わけが分からず、とにかくケータイを確認する。特に何か異変を知らせる通知は入っていなかった。よく見ると圏外になっていた。
そのときだった。すぐ後ろで教室の扉がガタッと音を立てた。
心臓が飛び跳ねた。
「……直孝?」
振り返ると、美咲がドア越しにこちらを見ていた。
美咲には色がちゃんと付いていた。
「びっくりした……」
情けなくも、俺は腰が抜けそうになった。
「ねぇこれ、どうなってるの?」
「こっちが聞きたいよ」
とりあえず、美咲と俺はそれぞれさっき別れてから今までのことを伝え合った。
美咲はクラスで撮った画像をケータイで見ていたら、ふっと音が消えて目を上げた時にはもう皆がこういう状態になっていたらしい。
「最初は変な夢だなって思ってて……でも、全然さめないし。それで、他のクラスとか、直孝のことが気になって教室を出たの」
お互いの状況は把握できたけれど、結局なんの手がかりも得られなかった。
これから俺達はどうなってしまうんだろう。
美咲が言ったみたいに変な夢を見ているだけなんだろうか。
誰かが助けに来てくれるのだろうか。あるいは、ずっとこのままこの世界に取り残されてしまうのだろうか。
まるで見通しの立たない状況の中で、途方に暮れるしかなかった。
隣に立つ美咲は、不安そうな顔でこちらを見上げて言った。
「きっとこれ、夢だよね? 目が覚めたら、元通りだよね」
美咲声は少し震えていた。
「きっと夢だよ、こんなメチャクチャなことあるもんか」
そう軽く笑ってみせた俺は、ポケットに入れた手で太ももを抓ってみた。痛いだけだった。
「なぁ美咲、学校から出てみないか? もしかしたら変になってるのはここだけかもしれないし」
夜の学校、という環境がよけいに怖さを増しているような気もして、俺は言った。
「そうだよね、ケータイの電波も入るかもしれないし」
俺達は教室から出て正面玄関から校庭に出ようとした。が、鍵はかかっていないはずなのに閉まったドアは動かなかった。どうやら時間が止まったものは固まっていて動かせないようだ。
仕方なく、開いていた窓から校舎の外に出た。
そういえば、体育館の横には確か公衆電話がある。ケータイは無理でも有線の電話なら繋がっているかもしれない。
外の景色も色が抜けていた。それに運動場の砂も固まってしまっていて、アスファルトのような感覚が足裏から伝わってきた。空には黒い画用紙に穴を開けたように月が浮かんでいた
俺たちは校門に向かう途中に一縷の望みをかけて公衆電話の受話器を取ろうとしたが、さっきの扉と一緒で固まったままで動かなかった。
公衆電話の前で落胆していると、裾を引っ張られた。
「ねえ、直孝……あれ、何?」
「ん?」
美咲が指をさしたあたりを見ると、月明かりに照らされて動く物があるのが見えた。
よく目を凝らしてみると、校庭の真ん中を、1メートルぐらいの紫色のスライムのようなものがうぞうぞと動いている。
俺達は何もできずに、そのスライムの様子を遠くから眺めていた。
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