八章

八話 藤堂正道の罪 橘左近の思惑 伊藤ほのかの希望 その一

 ◎◎◎



「こんにちは~」

「いらっしゃい、伊藤さん」


 橘先輩に呼び出された私は、風紀委員室を訪れていた。

 どんな理由で呼び出しを受けたのかな? ちょっと、不安。


「橘先輩の呼び出しなんて不吉な予感しかしないんですけど、何ですか?」

「ひどいな、相変わらず。僕の依頼の達成したから腕章を返してもらおうと思ってさ」

「ああ、そうでしたね。うっかり忘れていました」


 これでようやく、解放されるんだ。

 腕章を外し、橘先輩に渡そうとするけど、途中で手が止まる。


「どうしたの?」

「……いえ、なんでもないです」


 私は名残なごりしそうに腕章を見つめていたけど、振り切るように橘先輩に渡す。


「これで御役目御免おやくめごめんだね。お疲れさん」

「……」

「どうしたの? 嬉しくないの?」

「これでよかったんですかね」


 押水先輩が起こしたハーレム事件を思い出し、つい口にしてしまう。


「僕はよかったと思っているよ。風紀委員長の椅子を取り戻したからね」


 橘先輩は満足そうにひじ掛けを叩いて笑っているけど、この一件で不幸になった人の方が多いよね。それなのに喜んでいるなんて。


「橘先輩、ゲスですね」

「そうかい? 正直、問題が解決してほっとしているよ」


 それは禿同はげどう。私もほっとしてる。でも……。


「私はまだ納得いきません。なんで、先輩だけおとがめを受けるのですか?」


 屋上での出来事の翌日、丸坊主になった先輩は全校集会でハーレム宣言について説明と謝罪をした。自分が押水一郎をそそのかしたこと、放送室を無断で使用したことについて話した。

 この突然の発表に全校生徒が戸惑った。それでもアンチ一郎を叫ぶ生徒がいたが、教師がこれ以上騒ぎ立てないよう念を押したことで鎮静化していった。


 元々、騒いでいたのは橘先輩が用意したサクラだったので、サクラがいなくなれば表だって叫ぶ生徒はいなくなる。

 先輩への処分は反省文の提出、一か月間の中庭掃除と社会奉仕活動が学園から言い渡された。その間、風紀委員の活動は自粛じしゅく


 黙々もくもくと奉仕活動をする先輩に、最初は先輩に恨みをもつ不良がこの騒ぎに便乗びんじょうしてからんできたけど、先輩の謝罪の言葉を繰り返す真摯しんしな態度と、風紀委員の介入により、不良がからんでくることはなくなった。

 押水先輩をしたっていた後輩、くるみは先輩に恨み言をぶつけていたけど、先輩は頭を下げ謝罪するだけだった。

 先輩は何も言い訳をしなかった。私はそんな先輩を遠巻きに見ていることしかできなかった。


「くるみ、今でも元気がなくて……私と話をしなくなっちゃいました」

「いや~、その子の名前を聞くと、くるみさんの親友のタマさんを思い出すよ。あの子が押水君をストーカーしてくれたおかげでラブレターのこと分かったんだから、お手柄てがらだよ」


 橘先輩の発言にちょっとイラっとしちゃう。人を利用してばかりなの、この人は。

 くるみの親友のタマさんは女性関係のだらしない押水先輩に不信感を持っていた。なんとかして親友を悪の手から守りたかったタマさんは押水先輩を尾行し、探っていた。

 その時、タマさんは偶然ラブレターの一件を見てしまった。

 タマさんはそのことをくるみに話したけど、信じてもらえなかった。その愚痴ぐちを橘先輩は聞き出したのだ。

 タマさんの件は先輩に教えてもらった。


「橘先輩、マジ、ゲスい。先輩一人に罪をかぶせてよかったんですか? 心が痛みませんか?」


 私の苦言くげんに橘先輩は悪びれた様子もなく答える。


「痛まないよ。そういう約束だったし、正道も納得してたでしょ?」

「そうですけど……先輩は卑怯ひきょうです。私達だって関わったのに一人で罪を背負い込むなんて……」

「そのほうが楽なんだよ、正道にとってはね」


 私は押水先輩をめたときのことを思い出した。押水先輩は右京と吉永の二人にそそのかされたと叫んでいた。その二人とは私達のことだ。

 ハニートラップをしかけた吉永こと、私。押水先輩の親友役で放送室を使ってハーレム発言を放送した右京こと、橘先輩。

 変装した私達は結局誰にも見つかることなく、正体を隠し通せた。先輩の告白で、吉永と右京は架空の存在となり、先輩が押水先輩をたぶらかしたことになっている。


「本当にこれでよかったんでしょうか? 誰も幸せにならないし、不幸になった人が沢山いますよ」


 この事件を通して知り合った顔ぶれを思い出す。

 くるみ、近藤先輩、ユーノ……みんないい人達だ。不幸になるような悪いことなんてしていない人達だ。恋愛を楽しみたかっただけの人達だ。

 そんな人達が不幸になったことに、私はやりきれない気持ちになってしまい、胸が痛む。


「ベストじゃないけど最前は尽くしたつもりだよ。それに最悪のシナリオは回避できたでしょ?」

「妊娠ですか?」

「そう。桜井さんが薬局で妊娠検査薬買ったのを目撃した時は血の気が引いたね」


 それは偶然だったらしい。橘先輩が薬局で胃薬を買おうとしたとき、桜井先輩と遭遇そうぐうした。そのとき、桜井先輩が妊娠検査薬を購入したのを目撃したとのこと。

 橘先輩は桜井先輩から事情をき出した。誰の子供をはらんだのか、その可能性があるのかを。押水先輩のハーレム問題に妊娠の可能性が出てきたことで、私達は早急に押水先輩を孤立させる計画をたてた。


「桜井さんが妊娠してなかったことは本当よかった。神に感謝したくらいだ」

「でも、それって押水先輩が父親とは限りませんよね?」

「確認したよ。もし、隠すなら、今見たこと押水君にバラすって。そしたらすぐに答えてくれたよ。押水君と肉体的関係があったことをね」


 橘先輩のやり方に私は顔をしかめてしまう。本当に酷い。悪魔だ。


「橘先輩、心底クズですね」

「三秒前の自分の発言を思い出してからそう言ってほしいな」


 今だから笑い話だけど、本当に妊娠していたらどうする気だったのかな、橘先輩は?

 妊娠騒動が結局、事態の幕引きの要因となった。桜井先輩の妊娠騒動で局面きょくめんが一変したからだ。

 もし桜井先輩が妊娠していたら……父親が押水先輩なら……他の女性も妊娠していたら……これから誰かを妊娠させようとしていたら……事態は思っていたよりも深刻なことが分かり、時間との勝負となる。

 私達は行動に移したけど、実際は綱渡りだったよね。


 ハーレム発言をさせるだけでもひと苦労だったよ。

 それに、ハーレム発言の前のユーノとのやりとりもドキドキしっぱなしだった。あそこで男子生徒を敵に回す発言を引き出した橘先輩はマジですごいって思ったんだよね。

 ハーレム発言の後、共感してくれそうな男子生徒がもし、押水先輩を認めていたら……押水先輩のエゴを受け入れて、それでも、ついていくなんて言われていたら……作戦は失敗していた。


 そうなると、もうお手上げ。押水先輩は本当にハーレムを作っちゃって、手出しができなくなる。先輩も風紀委員をクビになって、私達はもう何も出来なくなる。

 ハーレム発言騒動は私達にとって最後の賭けだった。

 結果は知っての通り、私達の勝ちで幕を閉じた。橘先輩は大喜びで、ストレスから解放され、腹痛も治ったとはしゃいでいる。

 でも、やっぱり、納得いかない。


「まだ、不満そうだね」


 橘先輩に、私は自分の想いを告白する。


「……私、女の子なのに男の子向けの恋愛ゲーム、好きなんです。だって、物語の主人公はヒロインの悩みを解決してくれて、彼氏になってくれて、幸せになるじゃないですか。メインヒロインだけじゃなく、別の女の子にもそんなチャンスがあって……それがうらやましくて。いつか私の悩みも解決してくれる男の子がいてくれたら、その人のこと本気で好きになれると思ったんです。それに私みたいなモブでも攻略してくれる男の子がいてくれたらって思いますしね」


 自分がメインヒロインになれないことぐらい知っている。モブだってことぐらい分かってる。

 でも、諦めきれない。本やアニメのような展開が私にも体験できること。キラキラな学園生活を送れることを心のどこかで信じて、願っている。


「それで、解決できたの?」


 橘先輩の問いに、私は肩をすくめてみせた。


「そうですね……答えは見えた気はします。先輩のおかげです」

「なら、正道と恋人同士になるの?」


 橘先輩の問いに、私はそっと首を振る。


「なりません。あの人と恋人なんてありえないしょ。でも……先輩後輩の関係ならありかなって。先輩も何かかかえているようですし、今度は私が先輩の力になる番です。先輩は信念っていうか愚直ぐちょくというんですかね、あの性格。きっと損することが多いと思うので、私がフォローしようと思います。後期の委員会は風紀委員になりますから」


 少し言い訳っぽかったかな? でも、決めたことだ、うん。

 私は風紀委員になる!

 ぎゅっと手を握り締め、意志表示する私に、橘先輩は笑顔でとんでもないことを言ってきた。


「そう。なら、警告。正道の信念は暴走するよ」

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