一話 ファーストコンタクト その二

 伊藤の案内で押水が所属するクラス二年C組のクラスに来たが、押水はもう下校していた。

 放課後になってから、時間がたっていたので仕方ないか。廊下にも人影は見当たらない。残っているのは部活動をしている生徒くらいだ。

 窓の外から部活動にいそしむ部員の掛け声と、バットでボールを打つ音が聞こえてくる。


「あの……どうします? 一応、彼のバイト先知ってますけど?」

「明日にしよう。現段階でバイト先までおしかけるつもりはない」


 伊藤は嬉しそうにうなずく。予定では、まず押水の顔を覚え、どんな人物か見極めてから、対策を練り、接触するつもりだった。

 どんな問題児か分からないうちに接触するのは危険だと感じたからだ。

 相手の情報を知り、対策を考えていれば、危ないヤツでも対処できる。今回の件は慎重になりすぎるくらいがちょうどいいかもしれない。


「ですよね~。それでは、明日の8時20分にこの廊下で待ち合わせってことで」

「廊下?」

「はい。運がよければ、一発で彼のこと、分かりますよ」


 運がよければとはどういうことだろう? 問題ある行動に運が関係しているのだろうか?

 左近といい、伊藤といい、変に情報を隠しているな。何か意味があるのか?


「そろそろ教えてくれないか? 押水はどんな人物なんだ?」


 こうなったら、ストレートに確認した方がいい。押水一郎とは何者なのか。

 俺の問いに、伊藤は首をかしげている。どう説明したらいいのか迷っているようにみえた。


「んん……それはじかに確認したほうがいいですよ。私、橘先輩が言ってたこと分かっちゃいました。彼は先輩とは真逆の人種ですよ。だから、言葉だとうまく説明できないかも」

「そうなのか?」

「はい」


 伊藤はもったいぶっているわけではなさそうだ。

 明日になれば押水のことが分かるものの、すっきりとしない。


「それでは、今日はここで解散ってことで」


 俺の返事を待たず、伊藤は携帯を取り出し、どこかに連絡しようとしている。

 携帯についているストラップの数の多さ、薄っぺらいカバンについているぬいぐるみを見て、顔をしかめてしまう。

 やはり、言っておくべきだろう。


「待て。話がある」

「知り合ってすぐナンパですか~? 先輩って顔に似合わず軟派なんぱですね、なんちって」

「伊藤の服装についてだ」

「ああ~」


 伊藤は眉をひそめる。人なつっこい態度から面倒臭めんどうくさそうな態度に変わり、俺を見つめている。


「別にいいじゃないですか~? 制服を着ている子、みんな着崩きくずしてますよ。制服をどれだけ着こなして可愛くみせるか、やってますし」

「この学校の服装はある程度自由だ。伊藤の格好も少しだらしないが問題はない。風紀委員ではなければな」

「私、臨時ですよ? この件が終われば解放されますし、いいじゃないですか~?」


 伊藤は不満げに頬を膨らませ、抗議してくる。俺はため息をついた。

 一人の生徒を見極めるだけで、臨時を連れてくる左近は何を考えているのだろう。そこまで手に負えない問題児なのだろうか。

 不安になるが顔に出さず、伊藤にちゃんとしてもらえるよう、言い含める。


「臨時であろうがなかろうが風紀委員の腕章をつけている以上、スカートは膝下、ボタンは第二ボタンまでしっかりめろ。ネックレスは外せ」

「先輩ってパパみたい。ちょっとうざい」


 伊藤は先ほどまでの笑顔が消え、睨みつけてくるが、逆に睨み返してやるとさっと目をそらした。

 ちわわのような目で睨まれても、全く怖くないぞ、伊藤。


「我慢しろ。一日も早く解決できるよう努力するから、それまではちゃんとしてくれ」

「ガチガチだよね、先輩って。そんなにルールにしばられて楽しいですか? 私は嫌だな~息苦しいですよ、そんな人と一緒にいても楽しくない」


 コイツは自分の立場を自覚しているのか? 楽しい楽しくないは関係だろうが。例え仮でも、どんな理由があったとしても、風紀委員である以上、もっと自覚してほしい。

 あまりにも無責任な発言に、俺はため息をつきながらも伊藤に説得をこころみる。


「ルールは社会で生活していく為の基本だ。勝手なことばかりしていると、必ずツケがまわってくるぞ」


 俺の指摘に伊藤は顔をしかめ、食って掛かる。


「大丈夫ですよ。分別はあるつもりですから」

「分別があるのなら、ちゃんとしてこい。いいな?」


 伊藤はため息をつき、嫌々ながらも頷いてみせた。


「はぁ、分かりましたよ~。先輩、女の子にモテないでしょ?」

「モテないぞ。それが何か?」


 俺の発言に伊藤は呆れていた。


「これは忠告ですけど、少しは融通ゆうづうをきかせたほうがいいですよ。先輩の言い方って命令口調だから反感買いますよ? 嫌々従うのってお互い楽しくないじゃないですか。せめて橘先輩くらい、うまくやりとりしないと」

「これでも融通を利かせたつもりだ。ちゃんと直しておけ。明日、遅れるなよ」

「分かってま~す」


 伊藤は投げやりな態度で去っていった。あれは絶対に分かっていないな。

 俺はまた、ため息をついてしまう。

 伊藤とのファーストコンタクトは最悪だが、問題ない。彼女が臨時だというのなら、解決すれば赤の他人だ。仲良くなる必要もない。

 気持ちの整理をしたところで、明日に備え、俺も帰ることにした。




 次の日の朝。

 待ち合わせ場所、二年の教室前の廊下に向かうと、伊藤が先に来ていた。


「おはようございます、先輩」

「おはよう、伊藤」

「どうです、先輩? 制服、ちゃんとしてきましたよ」

「……」


 気のせいだろうか、全然変わっていないように見える。

 スカートは裾は下がったが、ふとももは丸出しのまま。

 ボタンは言いつけどおり二つまでになったが、ネックレスは首元に少し見えている。


「そんな目で見ないでくださいよ。スカート、3センチ下げましたし、ニットで胸元は見えないし、髪はすぐには無理」

「……」


 伊藤の発言に頭痛がしてきた。これから問題児であろう人物に会うのに、その前から疲れるとは。

 この件は後で話すことを決め、伊藤に尋ねる。


「押水は?」

「まだみたいです。大体この時間帯に登校してくるはずですけど……あっ! いました! 隠れて!」


 伊藤に押されて、廊下のすみに隠れる。

 伊藤との距離が近いせいか、甘い香りがする。香水をつけてくるのは校則違反だったかなと考えていると、一人の生徒が目に入った。

 中肉中背、前髪が長めで目が隠れている。問題児には全く見えない、普通の生徒だ。

 押水が廊下を歩いていると、事件が起きた。



 

 ***


「おはよう、押水」

「……うっす……ふぁあああ~」


 挨拶するのがだるいなぁ……夜中までゲームしたせいで寝不足だ。

 目をこすりながら今日の一時間目はなんだったかな、眠ることができるかな……。

 教室に着いたら、寝よう……。


「どいてどいてー!」

「ん?」


 悲鳴にも似た声に顔を向けると、廊下から女の子が飛び込んできた!

 ドン!


「痛ッ!」

「あいたぁ~」


 女の子とぶつかった拍子に背中を地面に思いっきり打ちつけ、息が止まりそうになる。な、なにが起こったんだ?

 右手に何かやわらかいものが……なんだ?

 ふにゅ。


「ちょ……」


 ふにゅふにゅ。


「あ、あん……」


 ふにゅふにゅふにゅ……。


「い、いや……」


 ふにゅふにゅふにゅふにゅ……。


「い、いつまで揉んでるの、このヘンタイ!」


 バシュ!


「ぶべら!」

「きゃ!」


 いたたたた……あのアマ、本気で蹴りやがって……。

 な、なんだ? 今度は目の前が真っ黒だ。

 蹴られた先にまた女の子とぶつかったような気がするけど……何か押し当たっている。これは。

 もぞもぞ。


「ひぅ!」


 もぞもぞもぞ。


「やっ……」


 もぞもぞもぞもぞ。


「だ、だめ……」

「いつまでスカートに顔突っ込んでるのよ!」


 バシュ!


「ぐほっ!」


 腹部に痛みがはしる。


「いたたたた! な、なにしや……」


 な、なんだ、この殺気は!

 殺気を放ち、仁王立におうだちしている女の子と涙目で座り込んでいる女の子に見覚えがある。俺の幼馴染の大島さとみと桜井みなみだ。

 ヤベ! さとみが怒っている!


「ねえ、一郎。わざとなの? 毎回毎回、わざとなの?」

「ち、違う! 落ち着け! 話し合おうじゃないか! 話せば分かる!」

「問答無用!」

「ほぱぁ!」


 顔面を蹴り飛ばされ、廊下とキスしてしまう。顔を上にあげるとさとみと目があった。


「反省した?」

「ピンク……」


 倒れた位置から見えた光景をつい口にしてしまった。

 さとみはスカートを押さえ、羞恥しゅうちと怒りで真っ赤になっている。


「……ねえ、死にたいの? 殺されたいの?」

「ふ、不可抗力ふかこうりょくだ!」

「そう……死ね!」

「ぎゃぁああああああ!」


 さとみの上段回し蹴りが僕の顔面に炸裂さくれつする。短いスカートのせいでパンツが丸見えだ。

 パンツを思い浮かべながら、意識が薄れていくのを感じていた。



 ***




「……」

「先輩! 先輩!」


 伊藤の声で我に返る。

 今の光景はなんなんだ。つい、言葉が漏れる。


「……なんて茶番ちゃばんだ」

「いえいえ、アカデミー賞にノミネートされますよ。ベタすぎ」

「全然健全な発展はなさそうだがな」


 アカデミー賞とは健全な発展を目的に、キャストやスタッフを表彰して、該当者に栄誉を讃えるための映画賞だ。この茶番劇に健全も栄誉も全くない。ある意味、全米を震撼させそうだ。

 軽く深呼吸し、落ち着く。


 さて、どうするべきか?

 予想していたものとは全く違う、想像もしていなかった展開にどう対応すればいい?

 さきほどの一件を見る限り、押水だけが悪いとは思えない。見方を変えれば、彼も被害者といってもいいだろう。

 判断に悩んでいると、伊藤がすそを引っ張ってきた。


「先輩、勘違かんちがいしているみたいですけど、あれは氷山の一角ですよ?」

「どういうことだ?」


 伊藤は腰に手を当て、人差し指を立てて説明する。


「出会いがしらのラッキースケベだけでも、複数のパターンがあるってことです。今日は女の子からぶつかってきたパターンですけど、廊下の曲がり角で女の子とぶつかるパターン、遅刻しない為に廊下を走って女の子とぶつかるパターン、女の子が階段から落ちてきてぶつかるパターン、彼が転んだ拍子に女の子のスカートをずりおろすパターン……まだ聞きたいですか?」


 伊藤の奇想天外きそうてんがいな説明に頭痛がしてきた。女の子だけか、押水がぶつかる相手は。


「……結構だ。それより、ラッキースケベってなんだ?」

「偶然起きてしまったエッチなシチュです。彼の自動スキルの一つです」

「じ、自動スキル」


 聞きなれない単語にいぶかしむ俺に、伊藤が自慢げに答える。


「自動的に発動、再現する特技です。彼のラッキースケベは、幸運をエッチのみに関して補正が100%はいることです」


 とんでもなことをさらりと言う伊藤にどう反応していいのかわからなかった。

 それにしても、ラッキースケベだったか……全然ありがたくない能力だな。

 巻き込まれるほうはとんだ迷惑だ。女子に同情してしまう。


「それと、あれを見てください」


 伊藤が指差した場所には複数の生徒が見える。

 耳を澄まして彼らの会話を聞いてみると。


「おい、見えたか?」

「ああ、白とピンクだ」

「朝からいいモノ、おがませていただきました」

「また、あいつかよ」

「最低」


 押水の行動を覗き見して笑う者、非難する者がささやき合っている。

 まずいな、押水の行動に悪影響がでてきている。先程の風紀を乱す行為を名目めいもくに一度、押水と話してみるか。


「先輩、これからどうします?」

「押水に話をつける」

「え? ちょ、ちょっと先輩!」


 伊藤が俺を止めようとする声を振り切り、押水が入っていった教室、二年C組に向かった。

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