第3話 どうしても語っておかなくてはならない面倒な話

「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生れたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったかとか、僕が生れる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デヴィッド・カッパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな」

 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)


 さて、この連載ではまず「《デヴィッド・カッパーフィールド》式のくだんないことから」語りはじめようと思います。


 尤も、本家と比べれば、そう長い話ではありません。ちょっとしたルーツというか出自について触れるだけです。


 というのも、この話に触れずして趣味嗜好を語るのが難しいんですよ。そのくらい絶大な影響を受けてます。


 何の話かって言うと、Twitterのフォロワーにはおなじみカルト宗教の話です。カクヨムのプロフィールにも書いてるので、いまさらだったりするんですが、改めてその話をしようと思います。


 わたしはキリスト教異端のカルト宗教の信徒でした。というか、信徒の家庭に生まれました。詳しい教義については触れません。正直、あんまり覚えていませんし。ざっくり、キリスト教系のカルトとだけ認識してもらえばいいです。


 とまあ、そんなわけで子供ながらにいろいろ周囲とのずれを感じながら育ってきたわけですよ。そこで、自分たちの方がおかしいんじゃないかと疑えればよかったのですが、子供にとって親の言うことは絶対ですから、そうもいかない。けっきょく、わたしは周囲とのずれに対して「どうして」と問うことをやめ、「これはそういうものなのだ」と認識するようになりました。


 だから、わたし、いまに至るも何かに対して疑問を持つのが苦手なんですよ。「ああ、そういうことね」ってだいたいのことは受け入れてしまう。「不条理ゆえにわれ信ず」じゃないですけど、突飛なことには突飛なことなりに理由があるんだな、と思ってしまう。


 勉強も同じで、何がどういう理屈でそうなるのかってことを考えないで「これはそういうもの」と覚えてしまう。早い話がオウム返しです。なので応用力がない。「なぜなに坊や」だったエジソンとは正反対です。


 落第生だった彼と違って、成績はずっとよかったですけど、それは余計な疑問を覚えず、授業の内容を丸暗記していたからだと思います。小中学校の勉強にたいした理解力なんて必要ないんです。オウム返しでどうとでもなってしまう。


 かように、信仰は、わたしに思考停止の癖を植えつけました。その成果というべきか、教会で行われるテストでも、わたしは優秀な成績を残したものです。満点を取ったこともありますし、全国1位として会報のようなものに名前が載ったことも何度かあります。成績優秀者は副賞で図書カードがもらえるので、頑張って勉強していた記憶があります。


 わたしが1位になれたのは、きっと、特別頭がよかったからではなく、信徒の中でも飛び抜けて思考停止の癖が強かったからだと思います。本当に頭のいい子供はそもそもこんな胡散臭い宗教に引っかかりませんよ。図書カードがもらえるとはいえ、まじめに勉強する気にはなれないでしょう。それで、優秀なライバルがいなくなった。だから、1位になれた。


 ただまあ、喜劇か悲劇か、そんなわたしでも考える力がまったくないわけでもなかった。


 なので、思春期になるころにはやっぱりこれはおかしいぞと気づきはじめる。


 別に、何かこれといったきっかけがあったわけじゃないんです。


 しかし、ちいさな疑問が積み重なった結果、信仰という大きな岩にひびが入った。


 岩はひび割れ、そして砕けた。


 気づいたときには、信仰心を失っていたんです。


 それまで信じてきた価値体系を足元からひっくり返されてしまったわけです。


 自分が何のために生きているのか、わからなくなりました。


 絶望しましたし、それまで以上に世の中を恨んだものですが、まあ、それはそれとして、重要なのは、そこでフィクションとの出会いがあったことです。


 それが漫画『スパイラル~推理の絆~』でした。


『スパイラル』はいちおうミステリ漫画に分類される作品です。いちおう、としたのはコナンや金田一少年のような事件→推理という構成が物語の早い段階で破棄されてしまうからです。


 それ以降、はじまるのはブレードチルドレンと呼ばれる謎の少年少女たちとの命を賭けた頭脳バトル。さらに、中盤のカノン編では、ゲームではなくガチの肉弾戦に論理で対抗するという意欲的な展開に発展し、終盤に至っては、信仰の論理との戦いになる。そんな型破りな作品が『スパイラル』という漫画でした。


 察しがつくでしょうが、わたしが感銘を受けたのは、終盤の信仰をめぐる戦いです。


「何度でも言えるさ。祝福はない。ありはしないよ。自分をごまかすのはよすんだ」

「わかっている。俺も絶望の現実を受け入れている。……だがそれでも――…俺は願い続けよう。どれだけ迷ってもこの孤独の中で神の祝福を最後まで願い続けよう」

 城平京原作/水野英多作画『スパイラル ~推理の絆~』第39話「フラトレス(兄弟)」(読点引用者)


 信仰に隠された欺瞞と絶望、しかしその先に残る希望というテーマに、どれだけ共感したことでしょう。信仰に裏切られ絶望したわたしの人生にも、まだ希望があるように思えました。


 わたしはたちまち『スパイラル』のとなり、コミックだけではなく小説版も全巻買い揃えました。


 小説版は漫画版と違って本格ミステリの色合いが濃く、これがわたしにとって実質的なミステリデビューとなりました。特に短編「青ひげは死んだ」は素晴らしいです。ネットで無料で読めるので是非読んでほしい。


 ミステリっておもしろいな。


 そう思ったわたしは、一般向けのミステリ小説も読むようになりました。これは、学校に持ち込める娯楽が活字の本以外になかったせいでもありますね。当時、やさぐれて人間不信に陥っていたわたしは休み時間を持て余しており、時間潰しが必要だったのです。


 と、これがわたしの読書歴のはじまりです。それ以降、なんだかんだあっていろんなジャンルの小説を読むようになり、エアミス研に入って、自分で小説を書くようになり、同人誌に寄稿して、そして例の鬱のような何か大スランプがやって来て、いまに至るというわけです。


 長くなりましたね。今回はこのくらいにしておきましょう。実際に宗教からどう影響を受けたかは今後の更新で語っていくことになると思います。それでは、また。



 『スパイラル ~推理の絆~』外伝小説「青ひげは死んだ」

 https://magazine.jp.square-enix.com/gangan/spiral/otherstory/readit/story04.html

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