すべての人に幸せな終わりを
空薇
第1話 Case:0 安楽死法
安楽死法
第一条 これは犯罪行為及び人口増加を抑制するための規律であり、後述されている条件を満たさない場合の安楽死は認められないものとする。
第二条 国民は一年に一度精神状態、身体状態の検査を受けなければならない。
第三条 安楽死を行うための条件は以下の通りである。
1 病気、事故を原因に余命半年以下の宣告を受けた場合。
2 精神異常レベル又は身体異常レベルが百を超えた場合。
第四条 安楽死は第三条で示された条件のどちらかを満たした者のみが指定された機関、方法で行うものとする。
第五条 安楽死の方法は国家資格を持つ医療関係者のみに伝えられるものとし、これを関係者以外に口外することは禁止とする。口外をした者は、五年以上十年以下の懲役に処する
****
その日、少しの賛成と、たくさんの反対を受けて安楽死法は制定された。
そもそもなぜあんな法律が制定されたかって? それを説明するにはまず、一人の科学者の話からしなければならないね。
彼がまだ平凡な科学者だった時、世間では人間の意識のAI移植への期待が高まっていた。
当たり前といえば当たり前のことだ。肉体がなくなるとはいえ、つまりそれは死の克服と言ってもいいのだからね。
だが、もちろん少しばかり反対意見を持つ者はいた。その数少ない反対意見を持つ者の一人が彼さ。
彼はこう考えていたんだ。
「たくさんの人間が生き続けたとして、その先に新しい未来はない」
とね。
なぜ『老害』という言葉がある? どうやって人間は進化してきた? 不変の世界で何のために生きるのか?
彼の言葉は全て正しかった。だが、彼はたった一つ、一番大事なことを見落としてしまっていた。
人間の、死に対する恐怖の心を。
結局、人間は口先で何と言おうと死にたくないというのが本心なのさ。それを克服できるほど強い人間など稀で、理解もされない。
だから彼の意見は受け入れられず、彼自身も奇異の目で見られることになった。
彼にはそれが耐えきれなかったのだよ。自分は正しいのになぜ受け入れられないか、理解できなかった。
それから彼は狂っていったさ。誰にも理解されず独りぼっちになった彼の考えは歪んでいった。
もしあの時、彼を止める人が、歪んでいると教える人がいたら、今の世界はなかったかもしれないね……。
え? 彼を直接知っているのかって?
……その話は、また後で。さて、どこまで話したかな? あぁ、彼が狂ったところまでか。
そこから先は早かったさ。自分の考えを理解できない奴など異常だ。異常な奴など死んでしまえばいい。彼はそう考えて毎日研究に没頭した。
AI移植が始まる前に形にしなければならなかったからね。
そうして完成したのが今安楽死に使われている薬と、人を正常か正常じゃないか判断するという悪魔の機械、『ディサイダー』さ。まったく、こんなそのまんまな名前を誰がつけたのか……。
まぁいい、話を戻すとしよう。彼にとっても、政府にとっても、それらが完成した後が問題だったのさ。これは今でも有名な事件だね。
彼は自分の考えを認めさせるため、常会中の国会に押し入って安楽死の法律化を迫ったのさ。
彼は狂っていたといってもあんな薬と機械を開発できるぐらいには頭が働いてね。
国会に乗り込む前に自分の考えに賛同していたり、意識のAI移植に反対していた政治家を取り込んで事前に法案を作っていたのさ。
結論から言うと、その法案は可決されたさ。君たちの世代にとってはわかりきったことか。
え? 一番大事なところを飛ばすな?
あぁ、理由が知りたくて君はここに来たんだったね。ごめんごめん。
彼はね、その薬を、自分を信じてやまない人間に飲ませてこう言ったんだよ。
「彼は私のことをとても支持してくれていた。私も彼のことが好きだったさ。でもな、彼女がこう言うんだよ。『彼は異常な考えの持ち主です』とね。肉体の異常レベルを測るのは理論的に簡単だったが、精神の異常レベルを測ることは困難でね。だから私は彼女を作った。彼女は、今この国で常識とされている行動、考えを基にしてその者の異常レベルを割り出してくれるAIさ。私は彼女に彼以上の信頼を置いていてね。だから、彼には死んでもらった。これは彼も事前に同意してくれたよ」
彼がそう言い終わると同時に、図ったかのように安らかに倒れた男性と微笑み続ける彼を見て、その場にいた全員が絶句したよ。
それと同時にこう思った。次に殺されるのは誰だ、とね。
彼はその薬を軽く十人分は持っていた。そんな彼に逆らえる人間が何人いただろう?
そうして、安楽死法は国民の大反対と、国会議員の形ばかりの賛成を受けて制定されたのさ。
それを見届けた彼はどうしたと思う?死んだんだよ、自ら。
「彼女によると私も異常者らしい。あとは彼女に託した。この法律の運用は私についていてくれた方と彼女に全てを任せるよ」
そう言って、一切躊躇いなく薬の入った瓶に口をつけて一息で呑み込んだ。
彼の死に顔は、とても幸せそうなものだったと言うよ。
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