Episode03 狼の少女Ⅴ

「ええ、ほかの情報か。あのハゲが、いいや……僧院とか、アースなんとかだっけか? 言ってたよ」

「あーす? あーすなんとか……なんかを聞き間違いじゃないですか」

「いや、分かんねえわ、でも確かそんな意味不明な単語が出てきた気がする」

 悠慧は手を顎に当てて、戦闘時に出てきた言葉を思い出そうとする。目をどう泳がせても、その乏しい記憶力を救うことができなかったようだ。

「この坊さんの件については、一番の気がかりは魔法ですね。今までPKOのデータベースに超能力のデータは数々送り込まれたんですけど、魔法なんて一例もありませんでしたよ」

「魔法使いを装った超能力者だったのかな。超能力で『お前の武器を破壊します』なんて能力があるのか?」

「一応概要は全部目を通したのですが、そんな限定的な能力はなかったはず。うむ……これについてはまた検討します。では、ほかにおかしなことは」

「ほかにか……それくらいだと思うけど……そのあとは天音にタクシーを呼んでもらって、なんとか片付けて帰ろうと思ってたらあの白い布団と出会ったってわけだ。そういえば天谷はなんって言った?」

「ええっと、あかねちゃんは心配してたよ」

「心配? 待て待てお前なんって言った」

 さすがに今朝に起こったことを真面目にあかねに伝えるくらいの馬鹿が天音だとは思えないが、それ以外の心配させられることと言えば悠慧にも分からない。

「あかねちゃんが心配してたよ? って」

「そっちじゃない、お前が天谷になんって送ったって聞いてる」

「ええ、イノシシに出くわして――」

 パッ、と悠慧が手を顔にぶつけるときに高らかな音が響き、その威力も推して知るべし。

「――それかよ」

「ご、ごめんね……まずかったかな?」

 何か大変なことをしてしまったと勘違いして、天音は慌ただしく頭を下げる。

「違う、いいよいいよ、普通ならそれでよかったんだけど、天谷にそう言ったら絶対面白がる。その好奇心鬼に死ぬほど感想聞かれる」

「ごめんなさい」

「ううん……べつにいいけどさ」

 小さく呟いた天音から視線を逸らして、悠慧はゆらゆらと頭を振った。

「悠慧くんが言っている僧と魔法、この事件についてまた調査しておきます。次はこの子についてですね」

「ああ。掴んでる情報はなぜか一人で森に取り残されたこととそいつは人狼であること、彼女は名前すら覚えていないの三つだ。これらで何が起きたかを憶測するのは無理そうだな」

 悠慧の肩はしょんぼりと落ちた。

「PKOには人狼はデータが来ていないってことは、大確率でまだ存在は政府にばれていないということです。となると、人狼に対する狩りなんて起きるはずもありません。にも関わらず、子どもを一人にするなんてことが起きるくらいの激変は、やはり内輪揉めのほうが考えられます……私はそう思ったんです」

「そうであると願うよ。そういえば、補助機関からは何も来てないか?」

 口元からちょっぴりと薄い笑いをこぼし、澪は言う。

「どうなってると思いますか?」

「どうぜまだ匿ってんだろう?」

 悠慧は蔑むように笑い返した。

「よく分かってるんじゃないですか。それなら心配はいらないでしょ?」

「速くこの事件を終わらせて、そいつを送り帰したいわ。そうすれば名前も考えずに済むし、補助機関との摩擦面を増長させなくでいいし」

「ねえ……さっきにも言ったんだけど、もしもの話、この子を保護しなきゃならない状況だったら——」

「——守るよ。俺が。なんとしても。俺と補助機関とも揉め事は最初じゃないし」

 燃え盛る篝火のように輝く悠慧に漆黒の瞳に圧倒された澪は、しばしの沈黙のあと、釈然とした微笑みを滲ませた。

「ですよねぇ」

「言っても……お前もそうなんだろう」

「もちろんです。ずっととは思えませんが、日本支部の誰も補助機関に報告しなければ、しばらくは隠し通せるでしょう。それからはなんとかします」

 話を終え、澪は酷く疲れたかのように大きく背伸びする。

「ああ、ちょうどいい。あいつはお前に任せる。俺の仕事はごり押してきたようだしな」

 悠慧は今朝にできた傷をいじって、痛みは確かに退いたことを確認し、片方の手でもう片方の手首を握って手を回しながらきりっと立ち上がる。

「どこいくの?」

「いつものところですよ……いつもの」

 驚愕のあまりの目を見開いた天音に、滑らかな返答が重なる。

「へぇ?」

「……GPSをオフにしないでくださいよ?」

「ああ、ご心配なく」

 天音と澪の見守る中、飄々とした調子で背を向けたまま手を軽く振って澪の部屋を後にした。

「澪さん、悠慧って……」

「はい、思ってる通りです」

「それならどうして行かせたんですか」

 一瞬の間に天音が持つ温和な感じは、まるで油絵に描き込まれた鋭い幾何的な図形のように鮮烈なものに成り果てた。

 これを感じ取った女の子はビクリと身体を震わせ、身体を竦んでしまった。天音は焦って、落ち着かせようと何度か彼女の身体を撫でた。

 目を白黒させる。見てはいないが、今天音の雰囲気が変わったことを澪には分かった。決して見た目ほど押しが弱くないということは承知の上だが、ここまでの存在感を突き出されるとは一驚した。

「だって、そっちのほうが正しいことなんですから」

 眉間に皺が寄せる、それでも悲しい顔を天音に気付かれないように誤魔化そうとする。

「悠慧くんだけではありませんよ。PKOに入ったみんなそうなんです。みんなは何かを知っているから、本心に突き動かされて命をかけて戦ってるんです。ただ……そうですね。悠慧くんは特に居ても立っても居られないタイプなんですよ。誰よりも、自分がやらなきゃという鎖に縛られているんです」

 なんとか微笑んで見せた、それから澪はキッチンの方に向いていた顔を振り返した。

「正しいこと……ですか」

 四月十六日の夜は間もなく訪れる。

「ええ、無関心に見えたかもしれませんけど、全部はこの子とその種族のためです。これ以上の『法則のろい』が愚か者の手に落ち、ばら撒かれないように悠慧は踏ん張ってるんですよ」

 天の果てから差し込む最後の一筋の夕日もやがて地平線に呑まれ、徐々に町の街灯に取って代わられた。


 悠慧にとってほんの少し重たい装備を背負って、彼はPKO日本支部の本館から出てくる。重いとは言っても、これでも軽い方だ。他の構成員の装備を見れば、それこそ悠慧の装備は子どものおもちゃのようなものだ。

 遠距離戦が起こるかもしれないから、今背負っているのは今朝使っていた刀ともう一振りの近接武器、それら以外に狙撃銃も持っている。

 四月中旬というのに、冷え込みはまだまだ厳しい。さきほど着替えた黒いコートのチャックを締め、悠慧は門番へ向かう。未成年のため車を運転するわけにはいかないし、公共交通機関を使うと、多分途中で警察署まで連れ去られる。だから、警備員に頼んで今朝の駅まだ運ばせてもらうのだ。

 日本支部の働きを維持している人員は三種類いる。警備員はそのうちの一般職員、この類いの人間はPKOの主要部分について何も知らず、ただ便利を提供するために雇われている。正直、彼たちの知っている情報は流出しても大したことはないが、秘密保持契約の締結が要求された。

「おぉ悠慧、身支度は終わったか」

 よく耳にする柔和な声が横から聞こえる。悠慧は目で確かめなくてもすぐ話し手が分かった。きっときれいな群青色の髪と引け目を感じさせる目を持つ少年に違いない。

「おお、みなと

 話しかけてくれたのは同じくPKO日本支部に所属する五十嵐いがらしみなとだ。

「澪からの手先か」

「そういう風評被害はやめてよ、僕は手先なんかじゃないよ」

 なんだか傷付けられたような調子で湊は悠慧に上目遣いをする。

「冗談だって」

 その反応を面白がるように笑って悠慧は手を煽った。

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