Episode03 狼の少女Ⅱ

「ほーら、悠慧くん怖がられてるんじゃないですか。何かしたのですか?」

 なんとなくだが、尋問者の態度にわざとらしさを感じ取れないわけでもなかった。

「してねえよ、あいつ、見つけられたときから気を失っていたし。てか、何をするもなにも、俺らに何もできないだろう」

 悠慧はまるで侮るように視線を澪の足元に送りながら目を細めた。もし彼が何かをしたというのなら、それは件の子を助けたことだけだ。

「私もその現場にいたので、多分悠慧は何もしていないと思います……見てないところはわかりませんけれど……」

「そうだそうだ……っておいっ!」

 まさかここでこんなふうに嵌められるとは、相槌を打っていた悠慧は思わず怒鳴り声を上げたが、澪は特に畳み掛ける様子もなく軽くこの話を流した。

「なんかあっさり裏切られたな」

「わかりました。とにかく話を聞いてください」

「うっ、なんか弄ばれた気が……」

「準備はいいですか」

「はぁ? 準備?」

 ポリポリとこめかみあたりを人差し指で掻き、気を取り直した悠慧は少し頭を横に倒した。

「本当に悠慧くんたちは何も気づいてないんですか?」

 不信な眼差しを向けられた悠慧は微かに苛立ちを感じる。

「なんの話だよ。俺なんかしたのか? なんでそんな怪しまれなくちゃいけないんだ」

「何かあったんですか? 私たちはただ倒れているその子を拾っただけなんですけれど。何かまずかったんですか?」

 ため息のあと、澪は深刻な顔になる。悠慧にはわかる、その表情は本当に大きな事件が起こったときだけ彼女の顔に現れる。作戦時だって、戦局を逆転するほどの突発事件がないかぎり眉間に皺を寄せない。

「見てもらった方がわかりやすいかもしれませんね。心の準備はいいですか?」

「案ずるな。多分今日、俺らは最上級の摩訶不可思議と会ったから、これ以上驚かせるものはないと思うんだよ」

「そうですか」

 しばし目を閉じて、気持ちを整理した澪は、その後ろで悠慧を怖がるように極力肩を縮める女の子の頭を、正確にはかぶっているフードを優しくなでた。

 フードですっぽりと覆い隠した顔は見られないようにじっと下を向き、小さな手はやはり澪を掴んで離さない。

「うっ……」

「ほら、怖くないよ?このお兄ちゃんが助けてくれたんだよ?」

 澪は女の子の顔を見える高さまで体勢を低くし、優しく手を動かしながらその緊張をほぐそうとする。

「お兄ちゃんは悪い人じゃないよ、あとで美味しい物もたくさん作ってくれる」

「美味しいもの」というキーワードが聞こえたとたん、女の子は小さく、しかし確実に頭を起伏させた。今までにない、ほんのちょっとポジティブなリアクションだ。

 俺、まともに料理できないよなあ。じゃないと天音の世話にもなってないだろう。

 女の子のたどたどしい態度と動作を見つつも心の中で息を漏らす。

「だから、顔をみせてあげて、ね?」

 遠ざけられることは悠慧にとって、悪いことといえばそうでもない。敬語を使わない澪を見るのが珍しいし、子供の対応に手を焼けずに済むことに幸運を感じる。その反面に、こんなに怖がられる気まずさを堪えていないといけないのはしんどいけれど。

 そういえば、なんだ? 怖いの俺だけ?

 横目できょとんとした顔をする天音をちらっと覗いた。さすがに彼女も今の澪の対応に大きな疑問を持ち、好奇心に注意力を奪われている。

 澪が確認を取るように目線を悠慧に合わせる。悠慧も頷く。

「……うぅ」

 この時、神泉悠慧には全くもって知らない、でもどこか親しみのあるような「空気」に気圧された。

 いつこんな幻覚ファントムに取り憑かれたのだろう。遥か昔のような、それともついさっきか。

 瞳を仄かに収縮する。

 フードと柔らかい髪がこすり合う些細な音が悠慧の目をズームさせた。

 そして、息が詰まった。

 耳?

 しかし、それは然るべき場所にない。

 頭の上に可愛らしい何か。

 映画やアニメなどにしか出てこないふわふわな空色の髪から突き出ている見れば触り心地の良さそうなもの。

「けっ、もの……みみ?」

 神泉悠慧はいまだ今自分自身に憑依している幻覚ファントムは何なのかを掴んでいない。しかし彼はもう一つを知った。

 未知というものを……

 わずかに自分の首が勝手に横倒しをしたことを知らぬふりして、そうさせられた訳はただの出鱈目の証拠を見つけようとするが、目を丸くした星川天音がそのことが白昼夢や幻想ではないことを証明してしまった。


 特別寮の三〇二号室はPKO日本支部に加入した二番目の構成員である村上澪の所持部屋だ。

 ほどよく色差をずらした白い床面と調度品は部屋全体を見渡した瞬間にスッキリとしたインパクトを与えつつも、所々に飾り付けられる淡色の小物はその単調感を拭う。

 インテリアや電気製品などはきれいに整っており、リモコンやマグカップもそれぞれの定位置で使われることを待機する。ソファーに無造作に放り投げられたように見えるクッションでさえ「家」というものが持つ心地いい感覚を醸し出している。

 今し方、ソファーに腰を下ろそうとした澪はクッションを懐に抱き込んだ。二つでワンセットのはずだが、もう一つは小さな女の子が掴んでいた。

 このリピングルームにいる頭数を数えると四人になるのだけれど、三人はここの住人ではないようだ。

 適当なところから引っ張ってきた椅子に座る神泉悠慧はちょこちょこ天音の膝の上に載っている女の子と彼女が持っているキャラクターのクッションをチラ見する。それ以外のときは冷たい床を眺めている顔からやや不機嫌が覗ける。

 なんで俺だけ怖いんだよ! ってかそのクッション、ここのデザインスタイルと合ってねぇだろう……

 なんとなく注意をクッションに引っ張られるのは、それにあるキャラクターとこの部屋の清らな雰囲気のギャップだ。似合わないといえば決してそういうわけではないが、ただ悠慧は、この部屋を装飾した澪はもっとこだわりのある人だと思っていた。

 白い布地になんの関連性もなさそうな布切れを組み合わさって、羊を象ったその色とりどりのキャラクターはまさに混沌の象徴そのものに見える。最近では、どの年齢層にもとても大人気で、悠慧でさえそのグッズを持っているくらいだ。彼は名前までは覚えていないものの、もし名付けるとしたら高確率で「jeb」とネーミングされるだろう。

「お前、その服を手に入れるのに相当苦労しただろ?」

 狼娘は一度悠慧に獣耳を見せたものの、不信感ゆえかまたすぐにかぶり直していた。

 ちなみに、寝室にいるときは驚きで気づかなかったが、狼娘の後ろにふかふかな尻尾はまるで女の子にその異常さを上乗せるようとするようにぶら下がっていた。

 今は少々大きめのパーカーを着用していて、その下は学校制服に指定されそうなプリーツスカートを穿いている。元々不手際な物か、それとも先代の持ち主のほうが遥かに背が高かったかは分からないが、微妙に長いスカートとその私服と制服の組み合わせに悠慧はなんだか言葉にし難い違和感を覚える。

 しかし、それはあくまで主観的感想であった。なんといっても、彼が三日前に学校から帰ってきて、制服のズボンも脱ぐずに、上だけを私服のトレーナーを着替えてことを忘れ去り、当たり前の格好をしているように研究所をうろちょろしていていた。

「でも、あいつが服を貸してくれるとはね」

 澪の身長はどう見ても十歳ほどの子供と同じに見えない。着ている服も狼娘に合うわけがない。

 日本支部には確かに女子は何人もいるが、その中で身長が低い方の天音ですらも狼娘よりは大分高い。

 こんな短時間で瀕死直前の人を死の淵から引きずりあげて、なおショッピングセンターを一周回れるとは思えない。そう消去法で可能性を絞っていけば、一人の顔が頭の中に浮かび上がった。

「違いますよ。確かに最初はあいさんに頼んでみましたが、あっさり拒絶されましたぁ」

「うわぁ、さすがだなぁ。防備心強いわ」

 悠慧は自分がこの件に関わっていないことを感嘆するように腕を組んでふんふんと頷く。

「なんであいさんは貸してくれなかったんですか? 悠慧みたいに潔癖とか? あっ、でもいつも白衣を着てたから、あまり持ってなかったり……」

 天音はローテーブルに置いてある菓子の束からチョコレートを開封し、それを女の子に食べさせてあげようとした。

 まだ幼いとは言っても、しっかりとした意識が形成していないわけではない。さっきからずっと、ちらほらと菓子の束と悠慧の方へ視線を寄越していたのだ。澪が言っていた「美味しいもの」が気になっていただろう。

「俺の潔癖はそんなに酷くねぇよ……」

 いじけた子どものように、悠慧は呟いた。

「服を貸すと身長がバレてしまうでしょう?」

「なるほど、確かにあいさんらしいですね」

 あの人の姿を思い出し、天音は苦笑しながらも、彼女が安易に服を貸さないことを納得した。

 成人したにも関わらず、身長が140センチメートルも超えていなければ、誰だってコンプレックスを持ち始めるに違いない。月見あいも当然その一員である。

 どこか強いエリート意識を持つ彼女にとっての一番の泣き所はその体型なのだろう。よりにもよって、身長は特に隠し難いもので、誰でもただ一目すればその人はどれくらい高いかは簡単に知れる。

 研究者だからか、あるいは少しでもこのコンプレックスに対抗するためかは分からないが、あいは常に身体の特徴を匿うことのできる白衣で身を包むことにしている。自分の身長をばらしてしまうような行動ももちろん許されてない。

 ちなみに、この前に一度悠慧は遊び半分の調子でスマートフォンの距離測定アプリケーションで密かにあいを測定しようとしたら、あいにテレパシーでもできるような速さで早速ばれてボコボコにされたことはあった。それ以来はあいの身長に関わりうることはすべてごめんだ。

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