Episode01 突如、幻影Ⅰ

 世界にあるほとんどの学校の昼休みは騒がしいものである。もちろん、横浜市立横浜中学校もその例外ではない。

 体育館でバスケットボールをやったり、友たちと廊下を走りまくったり、気に食わないやつと口喧嘩したり、その口喧嘩に巻き込まれて身を竦めたり、そして、天谷あまたにあかねのように教室で大人しく新たに手に入れた情報を友だちに共有したりする者も、もちろんいる。

「それでね、私こんなことも聞いたの」

 楽しそうに黒髪の少女が上半身を学校机に預け、二の腕で身体を支えると、そのきれいなポニーテールも動作に動かされて軽く揺れる。

「微笑ましくない話題だなぁ」と、あかねに聞かれないように言ったか、もしくは単なる独り言かは分からないが、机に突っ伏して、顔も腕に埋めた少年は息を吐くように呟いた。

「何があったの? そんなにテンション高まっちゃって」

 腰まであろう桜色の長髪を少し整えるつもりかのように、手で肩の前に落ちてきた髪を後ろへ持っていった。

 騒々しい教室の窓側一列目の四番目の席に座っている少女は、その前の席を借りて座っている少女と、机の距離を縮めて座る少年に話題を振っていたのだ。

「さあね」

 気だるく休んでいた少年はやっとゆらりと頭を上げ、星川ほしかわ天音あまねの桜色の瞳を漆黒な目で覗き込んだ。

「どうせまた都市伝説なんだろう?」

 あかねも天音も目を大きく見開き、神泉かみいずみ悠慧ゆうけいは次に何を言うかを待っていたが、やはり予想は外さなかった。

「はぁああ……」

 盛大にため息のようなものを吐いて、悠慧は場違いな発言を堂々とし始めた。

「んなもん、今時誰が信じてるんだよ。別に宇宙人とか超能力者とかはいそうな気はしなくもなくも、なくもないけど?でもな、人は月に行ったことないとか、地球は球体じゃないとか、ああいう胡散臭い都市伝説はなんの根拠もなくて、ただ金目当てのやつらが利益のために適当な写真を貼って、見てる人を騙くらかすために虚言なんだよ。それなのに、テレビ局までそういうのに足を突っ込んで、ペテン師を有名人扱いして、本当にそういうのを信じるみんなあったま悪いわ! そんなにマネーが欲しいなぁ……ら……あ? うん? あれ?」

 そんな発言を聞いているあかねは、最初は何も意思表示をしなかったが、自己主張がみんなに対する罵りへと変わったところから段々と顔をしかめ、茶色の丸っこい目でぎろりと悠慧を睨んだ。

 それを気圧されたか、悠慧の声は勝手にこもり始めた。

 あんた、今なんて言った? という、柔軟で社交的なあかねでは絶対に口にしないセリフが頭の中で自動的に繰り返して再生された。

 なんとなくだが、この頃のあかねは微妙に悠慧に高圧的な態度をとっているような気がする。悠慧はほかの人とはまったく関わりを持っていないから、ほかの人に対する態度は分からないが、天音はまったくそういう扱いを受けていないそうだ。どうしてか悠慧だけがそう体感した。

「あーれ?おかしいな……」

 なんだか気まずさを感じた悠慧は思わず疑問を漏らしてしまった。

 怒りと無縁のあかねはたった今、何か薄い憤怒のようなオーラを放出している。

「なんつーか、その……」

 仮にも二年間も付き合った相手だ。こんなあからさまな喧嘩を売るような発言をしたのは悠慧にも自覚はある。

「わっ悪かったよ、天谷」

 逃げるように目を逸らして、小さな声で謝った少年であった。

「もう……」

 困った表情で天音は手をぽんと手を悠慧の頭に置いた。

「悠慧ったら、またそんなこというの? いくら空気を読めないといって、思い付きでものを言うのはよくないよ。沈黙は金、だよ」

「はい……」

 できるだけ余裕をぶっこいているように見せかけているが、今の悠慧はやはりどこか萎んでいる。

 彼は別に思い付きでものを言っているわけではない。どちらかというと「本心」がそうさせたのだ。何が正しいのか、何か誤っているのかを測る度量衡はそれぞれの人の心にある。それは必ずしも自分を取り巻く環境と人々と同じわけではない。だから、人々は本心を隠し、歪み、装うことをいやでも学習してしまう。なぜなら環境はそれに挑戦しようとするものすべてを打ちこわし、撥ね除けるのだ。

 しかし、悠慧は違う。本心を隠そうとすればできた彼は痴れ者のごとく本心をぶちまけた。

 そんな悠慧は、最近になって少しはコミュニケーションスキルを学習したようだが、どうやらまだ出来上がっていないようだ。

「気になってたけれど、今日も頭がぼさぼさで来てるじゃない。朝は、ちゃんと寝ぐせを直してって言っておいたのに」

 ほっそりとした指で入念に悠慧の黒髪をいじっていると、悠慧は手をいやらしげに振り除いた。

「こういうもんなんだよ。どうせまたこうなるんだから、俺の髪のことはいいから、話を続けてくれ」

「はいはい」

 天音は微笑んで了承し、話を戻した。

「それで、あかねちゃん。その聞いたこととは?」

「……バカ」

「なんで話を戻す!?」

 あかねは不機嫌そうに頬を小さく膨らませた。

「こどもか」

 悠慧はどうすればいいのかも分からずにきれいになった頭の左半分をまた掻き乱してしまった。

 囂々たる中学生たちは弁当を食べ終わるにつれて、ますます口数を増やす。

 時間が経つとすこしは機嫌を直してくれたか、悠慧に双眸を向ける。悠慧には理解できない光を宿していた。

「……ふむ……実はね、ネットでも結構話題になってたのよ」

「はぁあ……」

 試しに返事をしてみたら、まあまあ普通な目つきを返された。どういう神経でこのようなリアクションができるかは気になるけれど、このままこの話を流してくれれば悠慧もこれ以上考えない。

「目撃者もすくなくない。神奈川県の南あたりに森があるでしょ?」

「……?」

「……?」

 天音は真剣に、悠慧は怠そうに、何か想像を絶する真実を待っていた。

「人狼が出てるって!」

「……はっ、はい?」

「んだ。人狼かよ、よくあるやつじゃねえのか?」

 あまりに衝撃のない事実に天音は呆然としてしまった。

「そうだよ」

 冷静に少女はそう告げた。

「だったらなんでそんなことを言い出すんだ?オカルトマスターのお前がいまさら? いいや、オカルトについてはモンスター級か」

「それは……」

 あかねは眉を力強くひそめた。

 オカルトマスターが深刻な表情になると、思わず隣の二人も事態の深刻さに気付き、緊張感を持ち始めた。

 オカルトのことでオカルトマスターを驚かせるものそうそうない。もしアイザック・ニュートンが今でも生きているなら、おそらくあかねは彼の任職している大学に駆け付けたのだろう。

 最後の魔術師と呼ばれるニュートンも彼女と流暢に対話できるかはともかく、気に入るだろう。彼女はそれくらいに神秘や超自然に興味があるのだ。

「今回は目撃者が多いうえ、はっきり映った写真とたくさんのビデオもその存在を裏付けてるの。それの動画はネットに投稿された間もなくで、再生回数は千万越えなんだよ。それに、専門家もそのビデオの真実性がかなり高いと言っている。今、外国人でもそれを見るために日本に来てるって聞いたよ」

「やっば。マジか。外国にもとんだ暇人がいるもんだな。でも、今回が本物っぽいってことか。そんじゃ、吸血鬼も存在しそうじゃねえ?」

 都市伝説にまったく興味を湧かなくでも、少しだけ悠慧は驚いた。悠慧の立場で考えればそんなリアクションにもなるだろう。

 彼は確かに都市伝説などに興味はない。それは彼はそういうありもしないものに力を割いてやれるほどスタミナが有り余らないからだけではない。悠慧は誰よりもそういうものを確かで、痛切に知っているからだ。

 もしあかねが言っていることが本当だとしたら、この件も悠慧が処理しかねない領域にあるということになる。簡単に言うと、悠慧の仕事は増えるのだ。

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