狂想円舞曲
@Pz5
狂想円舞曲
——しー、静かに。あの人が起きてしまう。
ああ、まただ。また、あの人は——
黒い。
黒い髪。
さらさらと宙を泳いでいる。
白い。
白い腕。
ぶんぶんと振り回される。
白と黒。
白の中に黒い瞳。
はらはらと
こちらに飛んで来る。
まただ。
また、おかしな夢を見た。
戻るはずの無い、あいつの夢を。
天井が見える。
顔の横がすーすーする。
どうやら、涙を流していたらしい。
目の奥が少し締め付けられる感じがする。
上体を起こすと、その感じは眼孔全体に広がり、まるで眼底の神経を何者かに握られた様な頭痛と、自分がミイラになったかの様な口全体の乾きを覚えた。
また、呑み過ぎたか。
枕元に置いてあるスコアノートや歌詞のイメージは、中途半端に描いては、上から黒い線を重ねている。
幾度も線を重ねるので、破れている箇所もある。
酔いが醒めぬうちの寝入りは、悪い夢見は得られるのに、そのイメージはさらさらと指の間や脳の隙間を流れ、結局なにも結ばずに、部屋の中の空き瓶の数を増す事に貢献する。
そんな事が、もう何年も繰返されている。
いや、ここ数ヶ月、加速されている。
あいつが、夢に出るから。
サイドボードにあった、飲み止しのソーダを呑む。
ボタニカルな味。
トニックウォーターだった。
あいつが出て行ったんだ。
「結局あなたは私の話を聞いてくれないじゃない」
「聞いてるさ。聞いた上で、僕は違うと思う事を順序立てて表明しているだけだよ」
「いいえ。いつだってそうじゃない。私が折角あなたを良い方向に向けようとしているのに、あなたはいつだってそこには向き合わずに、難しい言葉で煙に巻こうとするんじゃない。そして自分の才能を無駄にして、ただ逃げてるだけじゃない」
「難しい言葉なんか使っちゃいないさ。ただそれを表すのに丁度良い言葉を当て嵌めているだけだよ。大体、さっきから『いつだって』と何度も言うが、それは一体どの場面での話だ?」
あいつは、スピリチュアルだかカルトだか訳の分からない連中に丸め込まれ、そこらへんの自己啓発本のつぎはぎのような思慮浅薄な言葉に惑わされて、一方的に僕を断罪してきた。
なんでも、連中によると僕は「小賢しい言葉で弾幕をはって自分を大きく見せようとする幼稚なやつ」らしく、その言葉を真に受け、それに基づいた僕のイメージに対し決闘を挑んで来たらしい。
そうやって手垢のついたラベルを簡単に人に張り、それでこの世界の有象無象を断じてしまえるナイーブな浅はかさには恐れ入る。
「あなたはそうやっていつも話をずらす」
「ずらしてなんかいないよ。君が何をもってそんな風に思ったのか、その具体例を訊いただけじゃないか」
「今、怒ってるのは私なのよ?」
「だから何だと言うんだい?その怒りが適切なのかの判断はいったい誰がしているんだ?」
「悪いのはあなたでしょ!?」
「確かに僕の落ち度だよ?でも瑕疵がある事と、君の怒りの表現が正しいものかは別じゃないか。まして君は、僕が一方的に攻撃を受ける事を前提としているが、そもそもそこがおかしいよ」
まるで自分は絶対の正義を持ち、それが善か否か無視をして、この世界の全てをその手に掲げた秤に掛け、気に入らない物は逆の手に持った剣で切り裂くのが当然といった、裁定者のような、身勝手な言動だ。
その「正義」は一体何に担保されているんだ。
「なんで私があなたのペースで話さないといけないの?」
「僕のペース?君から仕掛けておいて?だいたい、僕のどこが『逃げてる』と云うんだ?君の話をきちんと聞く為にも、具体的なケースを聞いて、考えようというのに?」
「そうやって細かくさせて、また私を言いくるめる気なんでしょう?そうじゃないの、あなたの『正体』の話をしているの」
「だから、何故勝手に『僕の正体』なんて決められるんだ?」
「だって、あんな醜い『正体』を見せられて」
「待ってくれ。君が僕を裏切り、その裏切りに対して生じた怒りが僕の『正体』だって?人には様々な貌や仮面があって、その中のどれかが外の刺激に応じて出て来るのに、その中でも特に酷い仕打ちに対して出て来た怒りの仮面が、しかも裏切られた以外の他の場面では一切見せた事も、それ以後出て来た事すらない仮面が、僕の『正体』だって?」
「ほら、そうやって、あの人達の言う通り、あなたは不利になると煙幕を張って、目くらましをしようとするじゃない」
こんな話が延々続く。
最後は「あなたは話を聞いてくれるようで聞いてくれない。神さまを大切にしないから、龍神さまが助けてくれないんだ。さようなら」等といって僕を捨てて出ていき、山だか谷だかに行ったあげく、崩落に巻込まれて行方不明になった。
行方不明といったって、もうそれから数ヶ月も経っているから、そんなのは死体の無い死亡届と変わりない。
そして、ずっと夢に出る様になった。
あいつは出て行っていないんだ。
そうやって指図し、これからずっと僕を嗤って責め続けるんだ。
ずっとずっと。
——ああ、構わないで。
あの人は、私が——
黒い。
黒い影。
ぞろりぞろりと這っている。
壁の向こうで這っている。
白い。
白い貌。
首だけこちらを向いている。
壁の向こうで笑ってる。
「僕に構うな!」
自分の叫び声で目が醒める。
何か取っ掛かりとなる動機でも思い浮かぶかも、と何の当ても無く機械の前に座っていたが、そのままうたた寝をしてしまったらしい。
窓から入る斜めの光が、机上のレターオープナーに反射して僕の目を刺し、今が夕方な事だけ教えてくれた。
首が固まり、肩は重く、額には汗が這っていた。
椅子に座ったまま寝た事で固まってしまった心と体をほぐすため、軽く表に出る。
黄昏の街は、決まった方向から決まった方へ決まった人達が歩き、決まった道が決まったタイミングで決まった車で詰まる。
全てのものが予定調和に動き、予定調和な明日が有る事を疑わない。
そんな中、しよとうしていた明日が無くなり、傍らにいるのが当然の人が亡くなり、過ごす筈だった日常を失った僕は、決まり悪く、壊れた時計の様に歩く。
足元から長い影を引きずって。
頭の中では「4分33秒」が鳴り響いて離れない。
頭上に黒い影が飛んで来る。
声すら出せず、立ちすくむ。
鴉だった。
それは僕を通り過ごし、僕が引きずっている影に溶け込む。
「お兄さん。何か悪いモノが憑いてるね」
少年の声だった。
少年は僕の影から生えていた。
いや、ただ僕の後ろに立っていただけなのだろう。
でも、僕には僕の影から生えている様に見えたのだ。
オレンジの中の黒から白々と生えていた。
「どうやら、相当質の悪いのに付き纏われている様だね」
まだ自分が声変わり等する事すら知らない様な、艶やかなメゾソプラノが続く。
声の出し方を忘れた僕は、この場面の何のパートも担当する事はできなかった。
「声の出し方、忘れちゃったのかな?」
少年は、そのぬめらかな声をアルトに変えて笑った。
「まあいいや。今回は僕が受けてあげるから、次は気をつけなね?」
この言葉を艶やかなスーブレットの声に乗せ、少年は再び影に溶け込んだ。
「ああ、一つ言い忘れてた。刃物を持ったり近づいたらダメだよ?」
今度はコロラトゥーラに上がり、鈴の音の様だ。
「じゃあね」
最後は更に軽く、これで彼のレッジェーロは終わった。
酷く汗が出た。
何だったのだろう?
とにかく、脚に纏わり付く影が重くてしょうがなくなり、部屋に戻る事にした。
部屋に戻り、一息つくと、外が騒がしくなった。
何でも、近くで切り裂き魔が出て、挙句犯人は自分で自分の喉を裂いたらしい。
多くの子供が犠牲になった。
紫になりつつ有る世界に、青い人造布の隙間から白い肢体が除き、紅が滴った。
その中に、あのソプラノの少年の脚もあった。
何故か僕はそれを確信できた。
可哀想に。
多くの将来が犠牲になった。
将来、か。
僕には、有ったのだろうか?
確かに、僕もかつては将来を嘱望された。
新時代の天才として紹介され、楽曲の再生回数や配信数は新しいものを出す度にストップウォッチで計るよりも早く増え続けた。
コラボも複数組まれ、出す曲出す曲、皆話題になり、ライブもフェスも順調だった。
僕は世界に受け容れられていた。
それがある頃からか、僕は自分の創る音楽に飽き足らなくなってきた。
こんな消費されるだけの、記号化されきった、麻薬やジャンクフードの様な音楽にはうんざりしている。
もっと、パトスを越えて、ロゴスも超越し、ミメーシスやエピゴーネンでは無い、もっとイデアに直結した、普遍的な音楽ができる。
そんな、人類史を再編した音楽を。
言葉より太初に近い音楽を。
そう思って、バッハの対位法に現代音楽の無調性や現代のサンプリングを併せ、そこにポップな要素や和楽器を入れる等、様々な趣向を凝らした曲を発表した。
僕は世界を再編したのだ。
文字通り鳴り物入りである。
そして——悉く拒絶された。
凡俗な感性に支配された愚鈍な業界の連中は「カネにならない」という目先しか見ない、世界を知らない蛙の視界と、過去しか見ない案山子の頭でもって、僕の音楽を否定した。
そんな愚鈍で保身しか考えず、固定概念に凝り固まった連中に見切りをつけ、初心に戻り再びネットにアップするも、これも不発に終わる。
「芸術家気取りでのれない」
「売れて勘違いした李徴もどき。虎の鳴き声の方が音楽性が高い」
「結局何がしたいの?」
コメント欄はこういった書き込みで埋まり、評価は散々だった。
世界を壊すのは、いつだって愚者の大群だ。
自分の外側に、更に大きく開こうとしない、鎖に繋がれた愚か者のままでいたいというロートパゴスの様な怠惰な狂人どもは、自分自身を滅ぼすセイレーンの歌に惑わされ、或は豚として飼いならされ、僕の様な真の音楽を滅ぼそうとするのだ。
あいつも、味方だと思って居たあいつも、結局は僕の音楽を否定した。
いや、最初から理解する事を諦めていた。
「そんな事言って、届かない音楽なんか作ってどうするの?」
「届かない」だって!?
冗談じゃない。
カタツムリの様に閉じこもり、受け容れようとしないのはあいつ等じゃないか。
僕は充分理解できる様に創った。
フックも大量に仕込んだ。
なのに、何故、無知蒙昧な連中の理解力の無さの責任を僕が受けねばならないんだ。
紋切り型で俗悪な音楽に慣れきり、少しでも違和感を覚えると飲込む事のできない、租借力の落ち切った精神的幼児や感性的老人の為に、何故真の音楽が妥協しないといけないんだ。
何故、そんな程度の事すら分らない愚か者どもが、宇宙の音を内包した僕の音楽を、そこまで悪し様に言えるのか。
未だかつて触れた事の無いモノに触れる感動を、何故解ろうとしないのか。
僕の内側は、目や口がバラバラについたキュクロプスの様な化物達で満たされていく。
それらは咆哮し、或は僕自身の存在を否定して、僕の体を滅茶苦茶に切り裂いていく。
そして僕の頭はあいつの剣で落とされ、それは秤で幾度も叩き潰される。
何度も。何度も。
銀の皿は僕の頭のミンチでいっぱいになった。
ダメだ。
気が付けばスライスしながら食べていたサラミは無くなり、緑のタンクに納められた開けたばかりのドライジンは、既に半分無くなっていた。
——ダメ!来ないで!
あの人に近づかないで!!——
黒い。
黒い黒。
じっとこちらを嗤ってる。
勝手に僕を決めつける。
白い。
白い白。
剥き出して嗤ってる。
勝手な理屈で僕を嘲る。
また来たか。
黒い黒がするすると僕の脚を絡めとる。
怒りが満ちて来る。
白い白が僕の貌の前に来る。
白い白の中の黒い黒。
するすると僕の瞳孔に流れ込む。
この愚か者どもめ。
何故僕を見ているんだ。
お前に僕の何が解ると云うんだ。
僕がこの世に不要な事など解っている。
この世界そのものが僕には不要なのだから。
それでもなんとかこの世界に与えようとしたんじゃないか。
ドライジンの横に鋭く光る物がある。
吐気。
白い白を包んだ黒い黒が僕を嗤いながら肚の中を掴んでくる。
ひりひりと肚がうねり、愚かな連中の言葉がリフレインされる。
その黒々とした影に気付いてないとでも。
勝手に僕を断罪して。勝手な理由で僕を決めつけて。
何故その程度で僕を理解できた気になっていられるんだ。
何故そんな浅い考えでこの世界をやって行ける気になるんだ。
何故そんな何処かで拾って来た様なラベルで世界が解ると思うんだ。
そんなに世界を壊したいなら壊したが良いさ。どうせ僕もこの世界を見捨てた。
サラミを切った感触は残っている。
胸が詰まる。
僕の胸はパーツがメチャクチャに着いた掃き溜めになる。
ぐにぐにとぬらぬらした感情がロンドを踊る。
何故見ているんだ。
何を見ているんだ。
今迄見なかった癖に。
油を拭う。
——ああ、ダメ。
止められない。止めて。——
僕の事など&)(*)3jkFB:オ「pだろ。
解って慰安いとfrも思っているんdか‥・<MPL”DYG¥∆
——ダメ。これ以上は。
あの人のこんな姿——
ふざけるn@!
僕はwqttえいるんだじぇ1
こんな、こんなぁぁぁxjかhxジアxkなk;んっlfh苦ぉ;あch・尾;名じゃklc;名clkbw;いjrgvがw;いbv和j;kl・あbclvwbvklm・あsbkんw;vぼ’j!!!!!
——あぁ、そんな。
そんな。そんな——
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——私は、私は、
いったい、何の為に、自分を生贄に——
ずぶり。
黒と白に赤が混じる。
酸化鉄の臭い。
温かいぬめり。
朱赤紅丹
黒白白朱朱紅丹紅丹白赤涙叫朱朱紅赤丹丹黒白叫髪朱朱朱朱朱紅赤丹丹丹丹丹指丹丹丹丹眼丹丹丹丹丹丹
茜藍泪叫嗚咽茜星鉄紅潮茜
白白白ずぶり藍茜ずぶり星流れ星朱赤紅丹藍黒黒黒黒黒黒黒黒黒黒
ニュース速報。
今日夕方ころ、元ミュージシャンで現在無職の奥津優(おくつまな:34)容疑者が突然刃物を持ち、自宅周辺の通行人に次々と襲いかかり、死傷者14名を出す通り魔事件が発生しました。容疑者はその場で自分の首に刃物を当て自殺。同居していた女性が行方不明になった後、夜中に何者かと会話する声が聞こえた等の証言もあり、警察では薬物の使用があったのかも含めた調査を行うと発表。遺書や声明文は遺されておらず、動機は不明です。現場付近では事件前日に同様の事件が発生しており、関連も調べております。
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