超能力探偵K
@con
1話 密室殺人事件との戦い
Kは高校生探偵である。これまでに解決した事件の数は両手でも足らない。自室には警察ならびに検察関係の機関からもらった感謝状が丁寧に陳列されている。Kの母がそういうのにマメな人間だからである。
Kは地元の、みもふたもない表現をするならあんまりかしこくはなさそうな高校に通っている。名探偵ともあろうものがそんな高校に通う理由とは何か。実はKは地頭はいいのだけれども我が国の教育カリキュラムと相性が悪いとか、実家に近い高校を無造作に選んだとか、中学校の教師に情をにらまれて内申点を低くつけられたとか、世を忍ぶ仮の姿だとか、そんなたいそうな理由はなく、率直にいってKはあんまりかしこくはなさそうだったからである。
国語は文章を読むことはもちろんできるのだが、文字や単語を拾えるというだけで内容や論理構成はなかなか頭に入ってこなかった。数学は担当の教師が掃除の時間におもむろに天井を見上げるとうつろな表情で「円の内外は自明ではないんだねやっぱり」とつぶやくのを目の当たりにして「この人は何をいっているのだろうか」と教師の正気を疑い、数学からやや距離(ユークリッド距離)を取ることにした。理科と社会は暗記でどうにかできる範囲ならそこそこ当たったが、しかし物事の因果関係や前後関係は要領よく説明できなかった。たとえばあるときの試験は口頭試問だったのだが、年かさの教師に「太平洋戦争の遠因を三百年前までさかのぼるなら何を挙げるか」と問われ、Kは首をかしげながら「油小路のぶらこうじ」とつぶやいて愛想笑いを浮かべるのが精いっぱいだった。英語は中学一年生のころはまだそれなりだったのだが、二年生のときの教師が「授業中のFワード発言回数世界一」でギネス記録をねらったせいで、そのへんからちょっとよくわからなくなった。くだんの英語教師というのは、下記のごときセンテンスを授業中になんの前触れもなく叫ぶようなやつであった。
"Fucking fucking fuck fuck Fucking fucking fuck fuck Fucking fucking fuck.''
これが英文法として正しいかどうか筆者は存じ上げないし、そもそもが「Buffalo buffalo」のまねっこであるし、しかしまあ、そんなことはこの話の本筋とは関係のないことであるから、金輪際わすれておこう。つまるところ、Kはろくでもない教師にばかり出会って今日まで生きてきた。
かようなKが、なにゆえ名探偵などとご立派な看板を掲げて、あまつさえ管轄の警察関係者に顔が利くのかといえば、祖父が刑事であったことに加えて、ほかでもない、Kは超能力者だからである。
Kが有する超自然的、超人的、超能力とは何か。遺留品に秘められた残留思念を読み取ることができるのか。はたまた、取調べ対象たる容疑者の思考を読み取ることができるのか。いいや、Kはもっとダイレクトに、なんの脈絡もなく任意の事件の真犯人をいきなり突き止めることができるのである。
なぜそんなことができるのか。Kは精神の極限に達すると自らの灰色の脳細胞が生体の限界まで活性化してIQが一時的に六百に上昇するとか、なんだかんだいって実は頭がいいとか、ああいう与太者に限って逆に物事の本質をついたりするのだろうか。全然違う。まるで見当外れである。予断と偏見にもとづいてKをあまり買いかぶらないでいただきたい。それはKがもっとも心苦しく感じることの一つなのだから。
とにかく、K自身ですら理由は全くわからないし、したがって他人にもうまく説明できないのだが(第一、Kは説明ベタなのだ)、「犯った」やつを見ると「あ、犯ったな」とわかるというのである。
Kの超能力は物心ついたときにはもう発現していた。幼稚園児時代、壁にクレヨンで落書きをしたやつがすぐにわかったし、小学生時代、中庭の観察池に図工で作って家に持って帰るのがめんどくさくなった粘土細工を捨てたやつもすぐにわかった。中学生時代、理科室で飼育していたハムスターを掃除の時間にうっかり逃がしたやつを挙げた。
ただまあ、少年少女時代のそういう事件というのは、現場を見たやつじゃなくてもなんとなくわかるものである。そもそも素行が悪いやつとか、お調子者とか、犯人自らが犯行をほのめかす気配をふんぷんと漂わせているのが常である。良心の呵責に耐え切れずとか、冗談めかして口にすることでたいした罪ではないと自他に認めさせるとか目論見で、勝手に自白したりもする。
しかしながら、Kの能力というのは紛れもなく本物であり、人智と物理法則をはるか超越したものであった。
Kが自らの能力が「ただならぬもの」であると確信したのは、地元で起こったとある空き巣事件がきっかけである。そのとき、Kは中学三年生で、受験を控えていた。志望校の過去問とその解答を交互に眺めてはあくびをして、
「まんざらでもない」
とうそぶき、実態なく自分を安心させようとする不毛な行為を繰り返していた師走の時期である。
昼食時に母が「駅前の本屋の裏手にあるアパートに空き巣が入っていろいろ持っていったらしい」という話をした。二階の窓から侵入したらしい、被害額は数万円らしい、犯人の指紋は検出されなかったらしい、ということまで興奮気味にまくしたてた。身近で発生した、警察が動くような事件によって非日常的な感覚を引き起こされて気分が高揚しているのか、Kの母は屈託なくはしゃいでいるようでもあった。
その血を引いたKも当然のことながら未曾有の事態に浮き足立ち、母譲りの野次馬根性を惜しげもなく発揮した。昼飯を平らげると矢も盾もたまらずいそいそとくだんのアパートとやらを眺めに、向かい風の木枯しなどものともせず、自転車を走らせた。
アパートは男子大学生か、社会人一桁年目の独身男性が住んでいそうな築うん十年ぐらいの物件で、特に目を引くようなものはなかった。警察がキープアウトの黄色いテープを張り巡らして捜査でもしているものとばかり思っていたが、とっくにそんなことは終わって(あるいはそんなことはハナからやらなかったのかもしれないが)、いまはもうアパートの住民も平常運転に戻っているらしく、洗濯物が素知らぬ顔でベランダで揺れていたりした。扉側とベランダ側からアパートをじろじろ眺めてみたが、どの部屋がやられたのかすらよくわからなかった。
「帰ろう、寒いし」
そう思ってアパートの敷地から出た矢先である。すれ違ったビリジアン色のジャンパーを着たおっさんに異様な注意が向いた。
これまで、自分の付近で起きた事件に対して「犯ったのはたぶんあいつだろう」と顔と名前が電撃的に浮かぶことがあったが、それは単なる根拠のないあてずっぽうの一種だと解釈していた。犯人と思ったやつがなんとなくあやしいとか、日ごろからそいつの言動がどことなく気に入っていなかったとか、そういう深層心理が入り乱れた末の思いつきだととらえていた。
ところがいますれ違った見ず知らずのおっさんからそんな感覚が沸き起こったというのだから尋常ではない。Kはきびすを返して(自転車でもそういう表現をするのだろうか)、おっさんを追い抜きざま顔を確認してみることにした。歳は五十かそこらだろうか。カップ酒が好きそうに感じられるが、それはKが知るおっさんぐらいの年頃の成人男性というものが、ほんのわずかの親戚や教師を除けば、グロテスクにカリカチュアライズされたフィクションの世界の架空の人間ばかりだからである。実に失礼なことだ。
したがって、このおっさんも別にカップ酒片手に競馬競艇に通ってばかりというわけではなく、家に帰れば素面でご飯を炊いてしゃもじで茶碗によそって食べるといったおもしろくもおかしくもない日常を送っているはずなのである。
しかしKはまだたかだか中学生のガキであった。自分自身が全く介在しないところに偏在する特筆するところもない景色というものに現実的な想像が及ぶことはなく、おっさんの素性になどさらさら興味はなかった。ともあれ、このおっさんがくだんの空き巣の犯人であるという全くの無根拠な確信を抱いて驚愕と困惑と使命感とで大変に忙しいところであった。受験勉強だって控えているというのに、だ。
Kはおっさんのあとをつけて、どうにかこやつが空き巣犯であることを白日の下にさらす方法はないかと考えをめぐらせた。おっさんはKの尾行になど気づくこともなく、アパートを通り過ぎて商店街の方へずんずんと歩みを続けた。
せめて何かおっさんの犯行を示す根拠があれば……。KはKなりに一生懸命がんばって考えた。けれどもぜんぜん全くこれっぽっちもいい案が浮かばなかった。
「この人、泥棒ですよ」
しかたなく、おっさんがドラッグストアの前を通り過ぎようとしているタイミングに合わせて、店先でスナック菓子の陳列をしていた店員におっさんの罪をいきなり告発することにした。
店員は怪訝そうな顔をした。もっともな話である。だいたい、中学生なんていうのは無責任で無軌道でしゃくに障る徒花を咲かせたがる生き物なのだ。はるかむかしに中学生を経験したその中年の店員も果たして世間一般的な大人と同様に、Kの奇行に触発されて自らの中学生時代を省みれば、羞恥と悔悟で軽い苛立ちを抑えられないのであった。
ましてや年末商戦で多忙を極める店員にとっては、Kの不規則発言など、
「あれが親戚のガキであれば今後のこともあるので社交辞令の範疇で遊びに付き合ってやってもいいが、知らんガキだし、あいつの一時の享楽のだしとして慰みものにされるいわれもあるまい」
と無視するのが妥当な出来事であった。
ところが空き巣のおっさんは違った。おっさんも中学生のガキなんて相手にせずに無視してすたすた家路を急いでいれば、紅白歌合戦とゆく年くる年あたりを、慣れ親しんだ自室で炬燵にもぐりながらほろ酔いで眺めていられるはずだった。
おっさんは血相を変えて振り返ると「なんだこら証拠でもあんのかうらやんのかおらこいこいおれは逃げも隠れもしねえぞ!」と大声ですごんだ。
勇ましい発言とは裏腹に、これははなはだ悪手であった。結果論を語って恐縮だが、おっさんはなるべく衆目を引かずに無難にやり過ごすべきだった。
道行く人々が一斉にKとおっさんに注意を向けた。
成人男性にすごまれてKは半ば恐れおののいたが、半ばは未成年特有の非現実的かつ自分は死なないし最終的には大人が出てきてうまいこと収めてくれるだろう感でおっさんに対峙していた。
「ままま、そう大声出さないでも」
店先で剣呑なやりとりをされては商売に差し障ることもあり、ドラッグストアの店員が場を収めようと間に入ってきた。店員は、こんなガキのたわごとに付き合うなんて損ですよ、といった視線をおっさんに送った。Kとおっさんを部外者な間合いで遠巻きに眺めている市井の人々も同様な面持ちでいた。
しかしそれでもおっさんの激昂はやむ気配を見せず、おれはあのアパートの近くをたまたま通っただけであり、それだけで空き巣扱いとは人を虚仮にするにもほどがある、と大憤慨していた。
Kは第三者に恫喝されておだやかな気持ちになれるような特異的精神様式は持ち合わせていなかったので、やはりかかる状況をよしとは思っていなかった。あたりの空気を震撼させている大声を耳で風切りながら、この場から遁走すべく細い路地や突っ切る私有地などの算段をしていた。
「はい、そんなに大きな声出さないで。落ち着きましょ。一旦、落ち着いて話し合いましょ。ほら、みなさんの迷惑にもなるから。ええ、ええ、どうしたんですか」
そうこうしているとだれかが通報したのか近くを警邏中だったのか、世に安寧をもたらすべく警察官がおっさんに諭すように話しかけてきた。事態を眺めていた人々の大多数は「これで決着はついた」とそれ以上の観察にはたいした興味を得られないと見限ったのか、再びめいめい思うがままの方角へと立ち去っていった。
おっさんは警察官の姿を認めると突如としてしおらしく態度を豹変させた。
「いえ、あのね、なんでもないんですよ……。このガキ……子が大人をからかうもんだから、そりゃおれもちょっとは大声出したりしたけど……。空き巣だなんてそんな……そんなわけないじゃないですか、ね、お巡りさん」
おっさんはしどろもどろに公権力に対して弁解をがんばったが、顔は警察官からそっぽを向いており、それがいかにも不自然に映った。
「空き巣……ですか。それは確かに失礼な話で……」
警察官は空き巣というキーワードに何事かひっかかるものがあったらしく、おっさんの身なりを遠慮なくじろじろと点検した。
「ところで話は変わるけど、あなたのそのジャンパー、いつごろどこで買ったかおぼえてる?」
「いや、これね、うん、どこだったかなあ……けっこうむかしでよくおぼえてませんわ、ハハ……。いや、なんですか、これはちゃんと買ったものなんですよ。ホントに。あっ、ちょっと、触らないでください。すみません勘弁してください。違うんです違うんです」
警察官はおっさんの腰のベルトを片手でしっかり握ったまま、無線でどこかに連絡した。早口と符丁で何を伝えているのかはよくわからなったが、なんちゃらかんちゃら確保、という発言はKにも聞き取れた。
結局、おっさんは空き巣の犯人で、間もなくやってきたパトカーに収容されていった。なぜ盗んだばかりのジャンパーを堂々と着ていたのかといえば、いつもは現金にしか手をつけないのだがその日は特別寒くてついつい手が伸びてしまった、堂々としている方がかえってバレないと思った、という理由だそうで、盗人の考えというのは度し難いものである。
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