紹介という方法

二股。

 婚活という名の大海において、達也はキング・オブ・珍魚と呼んでいいだろう。一番わかっていたはずが、一番わからない、わかり合えないオトコだった。

 本来は圏外だったところから突然参戦して来て、場外乱闘の末に、勝手に消えて行ったという感じだ。



 それから季節はまた少し進み、そろそろ桜のつぼみも膨らんできた。

 気持ちのよい朝の空気の中、私はのんびりとしたペースでジョギングをしている。風が、瑞々しい自然の息吹をのせて、鼻先をやさしく撫でて行く。この匂いが、私は好きだ。


 一人で生きていくと決めたオンナは、犬を飼うかマンションを買う——などと世間では言うらしいけど、私はねこ派だし、財政の都合でそんな大それた買い物はできない。

 ましてや、一人で……と決めたわけでもない。ただ、たとえば日々のスタイルをちょっと変えれば、運気が変わるとか、自分自身が変わるとか、何らかの変化を起こせるのではないかという考えが漠然と浮かび、朝、少しだけ早起きをして三、四十分ほどのジョギングをすることにしたのだ。


 走ってると「こんなふうにストイックな領域に入っちゃったら、ますます ”一生一人感” が濃くなってくるな〜」なんて多少の不安が湧き上がって来なくもないけれど、それさえ気にしなければ、ジョギングはいい気分転換くらいにはなる。


 そして、私にはそうすることが必要、もっと言うと、そうすることで無理矢理にでも昇華させてしまいたい案件があった。朝に限らず、休日には昼間でも走る。一人で部屋にこもってると、その案件があっという間に心を暗く覆い尽くしてしまうからだ。


 途中の神社で、いつものように手を合わせてお願いする。

「笠井さんが幸せになりますように」

 そして、ついでに「私も幸せになれますように」と。



「笠井さん」とは、由佳子が紹介してくれた彼女の同級生だ。

 まったく期待していなかったどころか、忘れてさえいたのに、本当に由佳子は同窓会で独身オトコを捕まえて来た。


「笠井くん、まだ独身だったのぉ!? って驚いちゃった。けっこういいヤツだし」と、由佳子は興奮して言った。


 そんな「絶対おすすめ」というようなオトコが、なんでアラフォーで独身なの? と、私は尤もな疑問を持った。

 由佳子は笑って答えた。

「笠井くん、昔から見た目がオッさんくさかったの。でもね、実年齢がやっと見た目に追いついて、今はけっこういいオトコになってたのよ。エリートだし、仕事もメーカー勤めで安定してるよ」


 笠井は県内の出身で実家はこちらにあるが、今は勤務先の関係で隣の県に住んでいた。私たちの初顔合わせの際は実家に泊まりがけで来てくれ、昔からの馴染みだという小料理屋に案内してくれた。


 見た目は、想像以上にど真ん中のオッさんだった。「ホントのオッさんじゃん……」と少し戸惑いを覚えたほどに。

 シャープなメタルフレームの眼鏡をかけているが、その向こうの風貌は二時間ドラマに時々出てる俳優に似ている。


 そんなふうに第一印象はパッとしなかったのに、食事が終わるころには、私は彼にメロメロになっていた。


「どうぞどうぞ、何でも好きなもの食べて」

 私の左側に座った笠井がメニューを手渡してくれながら言った、その最初の一言で、私は全身が蕩けそうになるのを感じて驚いた。そこからは、すっかり魔法にかかったような状態だった。


 思えば、ちょっとしたことなのだ。カウンターに横並びに座った、それが良かったのだと思う。顔はあまり見ずに、彼のすばらしくよく響く深みのある声だけが、私の体の芯にじんじんと浸透し続けた。


 好きな食べ物は? トマトとチーズ?

 運動はするの? へぇ、球技は苦手なんだ……。


 笠井は他愛のない質問をしては、私の答えになぜか「ふふふ」と笑いを含んだような反応を返してくる。それが、いちいちという安心感を与えてくれた。おっちょこちょいな面ですら、歓迎すべき長所であるかのように笑って受け止めてくれる。


 私は彼の放つ気持ちのよい温かいオーラにスッポリと包まれて、心が丸く柔らかくなっていくのを感じていた。


 最後は駅まで送ってくれて、自分は来た道を戻りながら振り返って笑顔で手を振ってくれた。その時には、オッさんくさい見た目もすっかり好ましいものになっていた。


 翌日、すぐに由佳子に電話した。

「もう一度会いたい。大人っぽくて、やさしくて、声がゾクゾクするほどよくて、蕩けそうだった!」


 ハマれば、本当に惚れっぽいよね、真奈絵は——。


 そう言って笑った由佳子の声も満足そうだった。


 その後、由佳子が再度連絡を取ってくれて、めでたく笠井も同じ意向だったため、もう一度私たちは会った。県内で近場の観光地を彼の車で回りながら、数軒の人気店に立ち寄ってはおいしいものを食べたり飲んだりした。


 さらに次のデートでは、私が彼の住む県へ遊びに行った。

 カラオケ、ラーメン、公園の散策……。

 いずれも楽しい時間を過ごし、笠井といると言葉はなくともわかり合える恋人同士のように居心地がよかった。散策路の少し足元が悪いところでは、黙ってサッと手を出してくれたのも頼もしかった。


 波長が合うってこういうことを言うんだなぁと、しみじみと思った。笠井の前では何も飾らずにのびのびと過ごせる。楽なのに、トキメキもある。何もかも理想的だった。


 その三回めのデートで私を駅の改札口まで見送ってくれた笠井は、「またね」というように笑顔で手を振ってくれた。

 次は美術館に行きたいと言ったら、「了解」と笑顔を返してくれてもいた。


 なのに、それきり連絡が来なくなってしまった。


 こういう時、自分からなかなか連絡できない私は、再び由佳子を頼って探りを入れてもらうことにした。


「なんか仕事が忙しかったみたいで。ちゃんと連絡するように言っておいたから」

 そう由佳子から言われてほどなく、笠井から電話がかかって来た。


「連絡してなくてすみません」


 その次に、笠井がためらいがちに言った言葉——。


「実はこっちに、別の人がいて……」


 私はくうを見つめたまま、「はぁ」と情けない声を出した。しびれた頭から何かが抜けて上っていく軌跡が見えるようだった。


「その人と、ちゃんとつき合ってみようかなと思って」

 笠井はそう言った。


「あ、そうだったんですね。よかったじゃないですか、いい人がいて。近い方がいいですもんね。うん。わかりました。じゃあ、私の方は、うん、これで……」

 私の口からペラペラと言葉が流れ出た。


「すみません、本当に。それじゃあ、元気で」

 それが笠井の最後の言葉だった。


「はい、ありがとうございました」と、私が言い終わらないうちに電話は切れた。



 かかって来た電話で、期待していたのと正反対の宣告をされるってのは、かなりつらい。心の準備が何もないのだから。しかも、一分にも満たない、あっという間のエンディングだった。


 さっきまで、隣の県へ引っ越すことになるだろう自分を想像していた。名字が変わることも。

 結婚式は実家があるこっちでやるんだろうな、とも。

 たった一、二カ月の間に、いろいろ夢が膨らんでいたことに、今さら気づいた。


 メチャクチャ悲しかったけれど、これもしかたのないことだ。私だって、平行して何人かとやり取りしたり、こっちの人との結果が出ないうちに、あっちの人と会ったりもしてきた。


 婚活は、抜きつ抜かれつのレースなのだ。一人に正式にロックオンする前なら、二股三股何でもありだ。

 今回は、たまたま私の方が、それをされたというだけの話だ。


 もちろん、だからと言って傷つかないというわけでもなく、私もこうやって朝に走ったりしながら、相手の幸せを願うことで悲しさを昇華しようと努力してるわけなのだ。


 久しぶりにちゃんと惚れることができた。

 この荒海にそういうオトコがいたことが、せめてもの救いだった。

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