リスクヘッジ。

「で、それっきり!?」


「うん、それっきり」


 あれからすぐの金曜日の夕方、また由佳子が飛んできた。この前と同じ店の違う席で、今度は別の意味での報告会となった。

 メールでは「決着がついた」とだけ知らせたので、うまく行ったのだと思っていた由佳子は、今、顛末を聞いて驚いている。


 あれきり達也から連絡は来ていない。

 達也が再開しようと言った二人の関係を、達也が勝手に終わらせていたことを、私はもう受け入れていた。


「何だったんだろ? 成長しないにも、ほどがあるわ」

 由佳子はさっきから何度も繰り返し「あり得ない、あり得ない」と呟きながら、まるで西洋人のように首を振り続けている。


「なんかね、もうどうでもいいわ。今となっては、狐につままれた気分だよ」

 私は自嘲気味に言って笑った。

「達也くんと卒業後に初めて再会した時に、頭の中で鐘が鳴ったって言ったでしょ? そういうの、けっこう信じてたんだけど、こういう変な縁があるって警告の意味だったのかもね」


 由佳子は自分のことにようにムスッとして、お酒も全然進まない様子だ。ついにはジョッキから手を離して、水滴で濡れた指を拭きながら言った。


「ちなみにごめん、前にも聞いたと思うんだけど、達也くんの ”子供要らない” 理由って何だっけ?」


 最初につき合った時、達也はこんなことを言った。


 子供はうるさいし、話が通じないのに生意気なことだけは言ってくるから嫌いだ、親の立場を想像してみても、小さいうちは扱いがわからない、大きくなるとグレたりする、そのたびに尻拭いとか、自分だったらやってられないと、昔から思っていた、と。


 さらに、一つのニュースによって、その思いは揺るぎないものになった。

 プロ野球のある監督が記者会見で、自分の子供が宗教に入信してしまい、その子を脱退させることに集中するために監督を辞任すると発表したのだ。それを見て、子供は親が半生をかけて築き上げたキャリアを、こんなにも簡単に奪う存在なんだと刷り込まれた。


 達也は、「つまり子供って、親にとってはお荷物、邪魔な存在でしかないんだよ」と言い切っていた——。


 ざっと説明すると、由佳子は「あぁ、そうだったね、思い出したわ」と頷いた。


「あの人、野球も好きでしょ? だから、その監督の会見がかなりインパクト強かったんじゃないかな」

 私がそう結論づけると、由佳子が解せないという表情で訊いてきた。

「そうなのかなぁ。本当は、自分の親と何か問題あるとかじゃないの?」


「えっ? なんで??」

「いや、子供嫌いなオトコって時々いるけどさ、達也くんの拒絶の激しさ見てると、どこかふつうじゃない気がするから、もしかして……と思って」


「いやいや、親子関係は至極良好だよ。私とのデートより親を優先して、ドタキャンしてきたこともあったし。マザコンじゃないかって疑ってたくらいだもん」


 そう言いながら、私はすでに懐かしく感じるほどの遠い日々を思い出していた。


 親からは、頭も運動神経もそこそこいいものをもらって、なに不自由なく育ててもらって、感謝してるんだ——。

 達也はそう言っていた。親に対するそういう面は、むしろ好ましく映ったもんだった。


 一方で、こんなことも言っていた。


 自分はとにかく仕事が一番大事。社会的責任は何にも勝る。だから、もしも親とか奥さんが危篤という時に大事な仕事があったら、病院に駆けつけないと思う、と。


「たぶんね、 ”情” が絡むことっていうか、ウエットなことが苦手なんだと思う。前にね、病気しないでよって言われたこと、あったんだ。人の生死に関わるようなことで自分が何かを判断するとかできないし、そういうの絶対に嫌だ、苦手だからって言ってた」


「それって、子供と関係ある?」と由佳子が怪訝な顔をした。


「う〜ん、なんて言うか、子供ってこれから生まれてくるものだから、どういう子かわからないでしょ。グレなくても体弱いかもしれないし。達也って何でも完璧にリスクヘッジしておきたい人だからね。きっと子供は人生最大のリスクだとでも思ってるんでしょ」


「なによ、それ。ひどい。自分だって、いつどうなるかわからないのに!」

 本気で怒り出した由佳子は、ジョッキを引っ掴むと半分ほどを一気に飲んだ。そして、ドンとテーブルに置くと鼻息荒くこう言った。

「真奈絵、それ、駄目になってよかったよ。私がうまくやりなって言ったばっかりに、ほんとに結婚することになってたら大変だったよ、きっと。私も責任感じてたと思う」


 それを合図に、私たちはやけっぱち気味に、さんざん管を巻いた。


 しょーもない自己チュウ野郎めっ!


 何が誓約書だっ、バーカ!


 悪口大会でひとしきり盛り上がって、珍しく派手に酔っぱらって、お代わりにソフトドリンクを注文すると、ため息が漏れた。

「なんかさぁ、今回のことで、私の人生って、やっぱり子供は持てなかったっていう結末になるのかなぁって、つくづく思っちゃった」


「私もいないよ、子供」と、由佳子は急に真剣な目つきで私を見た。


「そうだけど、由佳子は幸せじゃん、大好きな旦那さんといっしょになれて、しかも……」

 すると、由佳子は私を遮って強い口調で言った。

「真奈絵もしなよ、幸せな結婚。まず、そこだよ。前に、夫は要らないから子供だけでもほしいとか言ってたけどさ、、子供のパパを確保してから産んだ方がいいに決まってるからね。子供にはパパが必要。きっと、ママにもだよ」


「由佳子は、シングルマザーに反対なの? そんなわけないよね?」

 由佳子の勢いに気圧されながら、訊いた。

「全然。反対なんかしてないよ。ただ、最初からそれを目指すのはどうなの? って話。何かの拍子にできちゃうとか、よっぽどの事情があれば別だけどね」


——何かの拍子に、か。


 こんな歳では、この先そんなこともなければ、結婚もないような気がしていた。年齢とともに、ますますそうなっていくのだ。

 なのに、私はまた婚活の荒海にドボンと戻されて、冷たい水の中を泳いでいかねばならない。この海から上がれるのは、結婚する時か、諦める時なのだ。


 気づけばシュンとして下を向いていた私の頭を、由佳子がポンポンとやさしく叩いた。

「真奈絵がものすごく子供がほしいことは知ってるよ。なのに今回、そこを多少妥協してでも達也くんと結婚しようとしてたってことなんだよね。大変な決心だったんだよね」


 うんうん、と頷きながら、いつの間にか私は泣いていた。


 私にとって、子供はそれくらい大事なことだったのに、そこを譲歩してまでも達也にすがりたかったのかと思うと、馬鹿さ加減に涙が出る。


 よっぽど荒海に戻りたくなかったんだな、と思った。




「よし、わかった!」


 しばらくすると突然、由佳子が言った。


「年末か年始に同窓会やるって話があるの。そこでまだ独身のオトコを、絶対に捕まえて来るから!」



 その勢いに驚いて、「う、うん……期待しないで待ってる」と私は言った。

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