ままごと。
「おめでとう」か……。
人からそう言われると、いよいよ実感が湧いてくる。
達也はいわゆる大企業に勤めている。出世欲の塊で、仕事が好きだ。いや、仕事至上主義と言ってもいい。それゆえに結婚に手が回らず、上司に「早く落ち着け」と言われることもあるとこぼしていた。結婚したら、仕事もさらに安泰なのではないか。
私の方は、結婚後は少し自分の仕事を緩めようと考えている。本当にやりたい仕事だけに絞って、本当に書きたいことを書くことに専念していこう。そして、子供ができたら、ワンオペ育児でも何でもいい、私の思うように育てよう、と。
自分なりの未来がくっきりと見えてくる。
そして、気づくと、もう私の頭の中では、婚活の荒海なんてなかったことになっている。ちょっと人生に迷走して、馬鹿みたいに無駄な遠回りをして、自分で勝手にアップアップしていたオンナがいたみたいだけど、誰だっけ!?
いやいや、これはフリーライター北沢真奈絵が、体を張って得た貴重なネタだ。
バード・ウォッチャーのNo.9さん以来、婚活ノートを付けてなかったことを思い出した。記入が途絶えたのが、黒田に全精力を傾けていたせいだったとすれば、再開する気になれなかったのもまた、黒田で受けた痛手のせいだった。
その日、家に帰ると、私は余裕しゃくしゃくでノートを開いて、続きを書いていった。大事なネタとして。
黒田はNo.11だった。
黒田の前に調理師のオトコがいたのだけど、その顛末を思い出して苦笑してしまった。絶対、誰かに話したいってヤツだ。
その後、黒田との結婚はないと思って、まだそれなりに真剣に会っていたオトコたちと、黒田に本気になってから、罰当たりにも半ばアリバイ的に会っていたオトコたちを併せて数えてみると七人だった。
数日にわたり数人ずつ、寝る前にノートを書いた。
No.18までをざっと振り返ってみると、世の中にはこんなにもいろいろなオトコがいるのだとあらためて感慨に耽ってしまう。会えば会うほど、クセモノ率も上がってくる感があった。せっかくなので、いつかきっとこのネタを活かす機会を作りたいと、思い出せる限りのことを記録しておいた。
ついでに、結婚相談所だけでなく、カップリングパーティや婚活サイトの仕組みについてもメモっておくことにした。
その作業と平行して、私は次に達也と会う時のことを考えていた。店ではなく、私の部屋に来ないかと誘うつもりだった。
一人暮らしは、ちょうど黒田と別れるタイミングと重なって、文字通り「一人さびしい暮らし」としてスタートし、この半年の間、部屋を快適に整える気も起きずにいた。賃貸契約を結んだ時は、心のどこかで「もしかしたら、敷金が戻らないくらい早く寿退居しちゃうかも」なんて浮かれていた気持ちが、見事に萎んだ結果だった。
殺風景な中に、まだ開けてない段ボールすらあるってのは、さすがにまずい。達也を呼ぶまであと二日。早めに帰ってきて、部屋をそれらしく整えよう。
落ち込んでるからと言って食べないわけにもいかず、一人暮らしを機に料理だけはするようになっていた。まだ半人前の腕前かもしれないけれど、当日はごくふつうのものを作って、達也に食べさせてやろう。ごはんとお味噌汁と、とり肉と大根の煮物なんかがいいかもしれない。あとは、お酒のつまみになりそうなものを買い足そう。
そんなふうにままごとをすることで、達也と夫婦っぽい気持ちになれそうな気がした。少なくとも、何らかの情は湧きそうな。
達也のことだから、またすぐに寝たがるかもしれない。それも受けて立つつもりでいた。正直なところ、まだ「好き」という気持ちはない。けど、彼に対する気安さはある。トキメキはなくとも、そういうのが案外、居心地よいのかもしれない。
想像すると、まるでもう結婚して何年も経った夫婦みたいなイメージだ。今さら、達也に抱かれて燃えるような悦びを感じたいとも思ってない自分がいる。淡々と生殖行為をするまでだ。
週末の夕方近く、最寄り駅まで来てくれた達也といっしょに食材やおつまみ、お酒などを買った。私の部屋へ向かう道すがら、達也が昔このへんに住んでいたという友人のことを懐かしそうに話し、私は家賃相場などを明かした。
「へぇ、きれいにしてるじゃん」
私の部屋に上がり、リビングに入ると、キョロキョロしながら達也が言った。
「適当に座っててくれる? ごはん作るから」
私がそう言うと、達也はローテーブルに向かってあぐらをかいて座り、買ってきたビールを開けると、勝手にテレビをつけた。
達也は時々キッチンを覗きに来ては、物珍しそうに私の作業を眺めていた。料理をしてるところを誰かに見られるのは初めてで、なんだかちょっと恥ずかしい。そして、それがいい歳をした私を、ちょっと可愛らしいオンナの気持ちにさせてくれた。
「親に話したよ」と、達也が切り出した。
「どうだった?」
「それがさ、実家には『今夜、晩飯食いに行くから』ってだけ言っておいたんだけど、俺が飯の前に『親父、お袋、ちょっといいかな』って言ったら、お袋が『何? 何?』っていそいそとエプロン外して正座したくらいにしてさ。女親って勘が働くんだよな。それで親父もお袋につられて正座しちゃってさ」
達也がおかしそうに続ける。
「結婚しようと思うって言ったら、あらー、よかったって、二人で大喜びだったよ」
達也は、いい歳して未婚なことを除けば、申し分ない息子のはずだ。両親にとっての唯一の心配事も解決するとなれば、その喜びはいかばかりかと想像に難くない。やっと肩の荷が下りたというような安堵も感じてるだろう。
私はまだ親には話していなかった。達也の方の話がついたのなら、明日にでも言った方がいいだろう。うちの場合はどんな反応をされるか、ちょっとこわい気もするけれど。
「それで、何となくのスケジュールだけど、来年の三月くらいまでに式をやるって感じでどう?」
「そうだね、いいよ、それで」と私は答えた。
達也がどんどん話を進め、私はただついて行くだけだった。結婚式と聞けば、ウェディングドレスがどうとか、新婚旅行がどうとか、もっと夢見心地で盛り上がるものだと思っていたのに、達也の会社から大勢招かれるであろう招待客の前で自分が晒し者になる図しか浮かばなかった。まるで、単なる義務であるかのように。
圧力鍋の減圧が済んで煮物の味見をしてると、また達也がキッチンに来た。
「親同士の顔合わせとか、どうする?」
「う〜ん、それより、私がそちらへごあいさつに行くとか、達也くんがうちに来るとか、そういうのが先じゃない?」
「そっか、そうだよね」と言いながら、達也はまたリビングに戻って行った。
だいたい仕上がった。あとはお味噌汁に味噌を溶き入れておいて、しかるべき時間になったら温め直して食べるだけだ。
私もリビングにミネラルウォーターのペットボトルを持って行って、達也の向かいに座った。
あらためて向き合ったせいか、達也が一瞬、照れくさそうに笑った。それを見て、私は自分が何かを背負っているような気持ちになった。
だけど、私だって本当は、海上に最後に残されたブイにしがみついているようなものだ。この手を離したら、また荒波に流されてしまう。
何となくテレビを見て他愛ない話をして、時計の針が十八時半を指したころ。すでにほろ酔いの達也が、お味噌汁を飲みたいと言った。具は私が好きなじゃがいもとわかめにしていた。
軽く温め直してから、湯気の立つ二つのお椀と二膳の箸をローテーブルに並べてキッチンに戻ると、達也が「んまっ」と言ってるのが聞こえた。インスタントのだしは間違いないなと、私はほくそ笑んだ。達也の好みに合わせて、味も濃いめにしておいた。
達也は、まだごはんは要らないと言うので、大皿に二人分の煮物を盛って、ごはんは私の分だけを用意して運んだ。空いたお盆に、達也が食べ散らかしたおつまみ類やビール缶を片付けて、私も腰を落ち着けた。
そして、「いただきます」と私がごはんを一口食べた時、少し改まった様子で達也が言った。
「それでさ、あのことなんだけど」
「あのこと?」と、私は煮物に箸を伸ばしながら訊き返した。
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