刹那主義。

 薄暗い部屋のベッドの上で、羽布団に包まって、私は天井を見ていた。

 レースのカーテン越しに差し込む街灯の淡い光が、歪な窓枠の形をそこに投影している。



 まさか自分が、婚活サイトでただの恋愛相手を見つけることになるとは——。


 寄り道や遠回りをしたくないと思っているのに、どうしても抗えなかった。


 台所で水を飲んでいた黒田が、腰にバスタオルだけを巻いた格好でベッドに戻ってきた。無造作に寝転がると、肘をついて手のひらに頭を載せた格好でこちらを向いた。


「あのね、実は僕、この三年くらい勃たなかったの。わかる? EDってヤツ」


 私は驚きを隠して、「はぁ、わかります」と言った。


「でも、あなたに会った時ね、なんかイケそうな気がしたんだよ。うん、久しぶりにできてよかった。ありがとう」


 そんなことを言われて、ふつうなら腹が立つのだろうか。

 でも私は、それどころか、自分も救われたような気持ちだった。パッと見ステータスのありそうなオトコに、オンナとして認められたのだ。


 それがうれしかったのだと思う。

 婚活に疲れ果て、さびしくもあったのだろうと思う。


 そして何より、体の感覚を通して恋愛というものを思い出したかったんだ、とも思う。


 それからは、会うたびに黒田に抱かれた。

 抱かれて褒められ、文字通り慰められ、頭のてっぺんまで満たされた。


 遊び人の遊び人たる所以か、黒田はオンナの扱いに慣れているのがわかる。


 私も遊ばれてるのかもしれなかった。

 でも、それでもよかった。


 ここは南国の海だ。助けを求めていた私に手が差し伸べられ、導かれてきたのだ。


 いま私は、青い空の下、澄んだ水にぷかりぷかりと浮いて、気持ちよく漂っている。どっちに流されているのか、方向はさっぱりわからない。


 楽な方へ?


 そうかもしれない。

 婚活の海は、暗い色をして荒れ狂っていた。今はそこへ戻りたくない。



「僕もね、歳を取ったんだね。ギラギラした気持ちはすっかりなくなったよ。若い娘を相手にしてると疲れちゃうし」


 いつものようにベッドだけが置かれた部屋で抱き合ったあと、黒田が言った。コトが終わると、時々、黒田は髪や体をそっと撫でてくれる。

 その心地よさに蕩けそうになりながら、「浮き名を流すような遊び方はもうできなくなってるけど、便利な相手は密かに確保しておきたいってことなのね」と、頭だけが冷静に彼の本音を分析していた。


 結局、今の私だって彼と同じだ。お互い様だ。

 ついにアラフォーのど真ん中になったとは言え、まだまだ現役のオンナのつもりだし、刹那の慰めを得たっていいじゃないか。私はまだ——いまだに?——フリーなのだ。


 それにしても、結婚を考えなくていい関係ってのが、こんなにも楽だったとは。


 いっそ、このままでもいいくらいだ。さびしくなければ、生きていけるんじゃないか。


 冬にバイオリズムが下がる私は、投げやりな思いに捕われるようになった。


 そんな私を、折りに触れて堅実な道へ引き戻そうとしていたのは、ほかでもない黒田だった。

 彼はもちろん、私が婚活していて、それで出会いドットコムに登録したことを知っている。明らかにそういう意味で、「ちゃんと、誰かと会ってる?」と時々訊いてきた。


 そう言われると、いつもチクッと胸が疼くのを感じる。


 ある時、「それって、二股にならないの?」と冗談っぽく訊き返した。

 すると、ダイレクトには答えずに、「いい人が見つかったら、まあ残念だけどね、あなたを手放す覚悟は常にできてるから。だから、ちゃんと活動は続けなさいよ」と言われた。


 彼はずっと、私を「あなた」と呼んでいる。大事に扱われているのか、一定の距離を保っているということなのか、よくわからない。


 私は彼の言いつけ通り、惰性ながら婚活サイトの活動を続けた。

 黒田との関係は束の間のバカンスみたいなものだから——。そう自分に言い訳して、本当の気持ちには蓋をして。


 けれど、幸か不幸か、その間に会ったオトコの中に、私を元の場所に引き戻してくれる人はいなかった。



「黒田さんって、誰とってことじゃないけど、ほんとに再婚する気はまったくないんですか?」


 寒さが緩みかけてきたころ、思い切って訊いた。


 その時、黒田が言ったのだ。

「よっぽどその気になれば、ゼロではないんだろうけどねぇ。でも、一人でいるに慣れちゃってるからなぁ」


「一人の時と同じような楽さがあればいいの?」

 すぐにそう訊き返しながら、私は自分が彼に本気になっていることをついに認めた。


 ゼロじゃない方に賭けてみたい。最悪、入籍できなくても、ずっといっしょにいたい。


 そんな私の気持ちを見透かしたかのように、黒田は面白そうに言った。

「この先、僕と結婚する人がいたら、十年後には僕の介護してるかもしれないな。きっと大変だよ。すごい不摂生してきたからね、長生きする気もしないし」


 まさかぁ、十年後は大げさでしょう、と言いながら、私は心中でガッツポーズをした。


 脈ありだ!


 刹那でない、もっと確かで、未来へ続くものをたぐり寄せたい。


 それから、私は素直な気持ちのままに黒田に接するようになった。

 行動に比例するように、好きな気持ちもどんどん膨らんで行った。いっしょに過ごす時間がもっとほしくなった。


 そして、さらに一カ月が経とうかというころ、膨らんだ気持ちが一気に握りつぶされる出来事があった。

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