涼宮ハルヒの幕間

ジョン・スミスの消失

YUKI.NとHARUHI.Sとジョン

 あたしが北高の文芸部室にみくるちゃんと古泉くんを連れて入り、自称ジョン・スミスの言うところのSOS団のメンバーが全員揃うと、部室に置かれていた旧式のパソコンがいきなり作動音を鳴らした。


 最初はジョンの仕掛けた何かのマジックかしらと思ったのだが、どうもそうではないらしい。


「どいてくれ」


 あたしを押しのけて何かにとりつかれたかのようにパソコンの画面をのぞき込むジョン。何があったか分からないけど半泣きになりながらパソコンにかじりついているジョンを見て、きっと何かあるのだろうと思って画面を覗くと、


YUKI.N> これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合はそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。ただし成功は保証できない。また帰還の保証もできない。


YUKI.N> このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行が選択された場合は起動せずに消去される。Ready?


 などといった、YUKI.Nさんからのメッセージらしきものが、真っ黒な画面上に、まるでコマンドか何かのような古臭い白いフォントで表示されていた。

 YUKI.Nってもしかして長門さんのことかしら?などと考えつつ、いきなりの展開に戸惑いを覚えたあたしが状況説明を求めると、


「ちょっと黙っててくれ。今、考えをまとめてるんだ」


 とジョンはやけに真剣にいうので、何となくあたしは、これがジョンの仕掛けたマジックなどではなく、YUKI.N、恐らくはジョンがいた世界の長門さんが仕掛けた本物の脱出プログラムなのかな、という予感を持った。

 ジョンはしばらく考え込んでいたが、長門さんに入部届を返すと、


「実を言うと俺は最初からこの部屋の住人だったんだ。わざわざ文芸部に入部するまでもないんだ。なぜなら……、なぜなら俺は、SOS団の団員その一だからだ」


 と無駄にカッコつけた表情でセリフを決めて、エンターキーを押した。

 あたしはジョンの発言の唐突さに驚きつつも、ああジョンは帰ってしまうんだ、せっかく会えたのにもうお別れなんだ、ということを直感した。


 ジョンが何かに意識を飛ばされたかのようにふらりと倒れ始める。その動きが、スローモーションに見える。


 そんなの、嫌だ。


 確かにジョンが元々別のところにいたのなら、いつかはそこに戻るのを手伝いたい野茂偽りない気持ちだ。

 でも、あたしはまだほとんど何もしていないのに、ジョンとも本当に話したいことは何も話せていないのに、どうしてもう行っちゃうの?


 やっと会えたのに。3年分の想い、全部ぶつけたかったのに。


「…許さないから」


 気付いたら、そんな言葉が漏れていた。ジョンに届いたかは分からない。

 遂に完全に倒れたジョンの背中が床に触れる。


 そして。


 偽の記憶が流れ込んできた。

 ジョンは目の前にいるこいつによく似た人物だけど中学生で、居眠り病のお姉さんもいない。

 あたしは少し前にクリスマスに向けてサンタを呼び出すメッセージを書こうとして、目の前でほとんど泣いてる長門さん…有希が、たまたまそれを手伝ってくれた。

 目の前にいるこいつは自分がかつてあたしにジョン・スミスを名乗ったことなど多分覚えていない。

 ジョンの話だと、こっちには未来人も宇宙人もいないみたいだから、きっと今のこいつは、ただのキョンに変わってしまったのだろう。雰囲気は明らかにミスマッチだが、ああ見えても一応文芸部員らしい。

 あたしはこのところ毎日サンタ待ちして徹夜していて、ちょっと前にその疲労で倒れかかったところを、こいつと有希に助けてもらって…。

 今、あの時のお礼も兼ねて古泉くんと一緒に遊びに来た。通りすがりに、可愛いみくるちゃんを拾って。

 そういえば有希は、何故か読書以上にゲームが好きな子で、あたしを手伝ってくれた時もなんかゲームしていた…。


 でも、なんで?

 何であたしだけ、それが偽の記憶だと分かるんだろう?

 なんであたしだけ、本当の記憶、ジョンと一緒にいた記憶も持っているのだろう?

 そしてなんでこれが、あたしだけのことだと何となく予感しているのだろう?


 頭がいっぱいだった。

 気持ちもいっぱいいっぱい。

 一人だったら多分泣いちゃうわ。でも、北高に入り込んだ光陽園の生徒が他の人の理解できない理由で泣いていたら意味不明にもほどがある。

 だから、グッとこらえていると、あたしの携帯が振動しているのを感じた。


 こんな時に何なのよ、と不満を感じながら画面を開けると、その画面はさっきのパソコンみたいに真っ黒だった。


「何なのよ、これ…。今度は何なの?どうして?」


 しばらく画面を見つめていると、白い文字が走り出した。


HARUHI.S> 見えてる?


 え、有希じゃないの?HARUHIって、あたし?


HARUHI.S> あんたの考えていることは大体想像つくわ。そう、あたしはあんた。SOS団団長をやっている北高の涼宮ハルヒよ。


 どういうこと?どうしてあんたがあたしのところにメッセージを送れるの?ジョンの話だと、北高にいるあたしは何にも知らないはずなのに…。


 そう打ち込むと、


HARUHI.S> 送っているのはあんたから見ると未来のあたしよ。半年くらい先のね。有希がこんな風にメッセージを送っているのを知って、一度やってみたかったのよね。


 未来?どういうこと?


HARUHI.S> あんたの考えている通り、高1の12月時点でのあたしは何も知らない。何も知らないままに、キョンが階段から転落したことにショックを受けて泊まり込みで見舞いに行ってる。でも、あたしは、異世界から来た新メンバーに全てを教えてもらったの。だから今のあたしは全てを知っている。


 ふうん。あたしに流れ込んでくる偽の記憶は何?何故あたしだけ、元の記憶も保ったままなの?


HARUHI.S> 本来、キョンが有希の脱出プログラムを起動した時点でこのかりそめの時空は完全に消滅するはずだったの。あたしはそれを何とか防いで、あたしのいる時空とは別の、一つの独立した時空に作り替えた。でも、未来からの働きかけとしてはこれが限界。副作用として、たぶん少しだけ元々のこの時空の設定から変わってしまったところもあるかもしれないけど、それは仕方ないこととして受け入れてちょうだい。


 つまり、偽の記憶はあたしたちのいるこの時空が消えないようにした結果入り込んできたのね?なら、どうしてあたしだけ、本当の記憶も維持しているの?


HARUHI.S> あんたがこっちにいるジョンに会いたいことをちゃんと知っているからよ。あんたにとって半年以内の近い未来、またあたしはあんたに連絡を取ると思う。異時空への未来からの干渉には限界があっても、同じ時間への干渉ならもっとできることも多い。あんたが元の記憶を持っているのは、その時にあんたがどうしたいか考える材料として、必要なことだと思ったからよ。でも、あんたが持ち続けるべきその記憶が今回の改変で消されないようにするのは一苦労だったわ。


 じゃあ、あたしはどうすればいいの?その時まで、待つしかないの?


HARUHI.S> そっちの時空にだって、こっちのキョンが知らない不思議があるかもしれないじゃない。今までのあんたがやっているはずのことを続けて、地道に不思議探しをしてみるといいわ。あんたがこっちに来るなら、多分あんたにはあたしのSOS団にも入ってもらうし、その時に向けた練習や訓練だと思って、時間を大切に使いなさい。


 分かったわ。でも、まだ何も決めてないんだから、命令口調はやめてよね。


HARUHI.S> まあ、それもそうね。いいわ。そろそろ時間が無くなってきたけど、とにかくあんたは希望を捨てないで、できればそっちの時空も楽しんでね。そうすれば、チャンスは必ず来るから。オーバー?


 それを最後に、白い文字列が消えかかる。


HARUHI.S> そうそう、今はあんたの周りの時間を一時的に止めてるから、このメッセージは誰にも知られることはないわ。安心しなさい。それじゃ、今度こそ一時のお別れね。


 慌ただしくその一行が追加されると、遂に画面は真っ黒になり、3秒ほどして、通常の起動画面がフェードインしてきた。

 この時、周囲を見る余裕があればこのHARUHIの言うことが本当か確かめられたんだろうけど、残念ながらあたしには現状把握で精いっぱいだった。

 ただ、偽の記憶が流れ込むなんて異常事態が発生しているんだもの、あたしには、行ってしまったジョンの発言や、さっきのSOS団団長を名乗るHARUHIの発言は恐らく本当なのだろうと、信じるしかなかった。

 だって、信じた方が面白いし…それに、信じていれば、またジョンに会えるかもしれないじゃない?

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