追憶 八
夕に衝動をぶつけた後、俺は夕にこれまでの総てを告白した。
俺を赤子を抱くように優しく包み込みながら、夕は静かにそれを聞いていた。拒まれない安心感に、俺は夕の胸の中でみっともなく涙を流した。
総てを語り終えた俺に、夕は優しくこう言った。
「もう苦しまないで下さい、あなた。皆があなたを赦さなくとも、皆があなたを認めなくとも、私は、私だけは、あなたを赦し、認めます」
その言葉に、どれだけ救われただろう。その言葉に、どれだけ涙しただろう。
その日、俺は、夕に抱かれながら、泥のように眠った。
夕と情を交わしてから数ヶ月が過ぎたある日、子を身籠もったと夕の口から知らされた。
涼一への憎しみは、まだあった。けれども夕と、子と、これからは幸せな家庭を築こうと、そう思う事にした。
総てが、怖いほど、怖いほどに順調だった。
だが。……だが。
例え夕が赦しても、天は、憎しみを捨てられない俺をけして赦しはしなかったのだ。
時は更に流れ、夕は臨月を迎えていた。
働き者の夕は臨月を迎えてもなお、体を動かすのを止めなかった。俺はそれが心配で仕方がなかったが、女中達が「妊娠中は逆に体を動かした方が良い」というので、夕を強く咎める事はしなかった。
……今思うと、この時に、夕の真意に気付くべきだったのだ。俺には今もそれが、悔やまれてならない。
幸せの終わりは――あまりにも唐突に、呆気無くやってきた。
その日は長雨が続いた中の、久々の月夜だった。俺は夕と二人寄り添い合いながら、美しい月を眺めていた。
「幸せか、夕」
傍らの夕に視線を移し、俺は久方ぶりにそう問うた。夕もまた俺を振り返り、いつもの優しい笑顔で答える。
「はい、とても幸せです」
「そうか。俺もだ」
俺がそう返したのは、初めてであったかもしれない。それほどまでに、この時の俺は幸せだったのだ。
「……ですが、それも今日で終いで御座います」
すると突然に。夕は、そんな事を言った。
「夕?」
「出来れば、自然に子を流してしまいたかったのですが。私の体は、思ったよりも頑丈に出来ていたようです」
「夕、何を言っている?」
新たな問いには答えずに、夕は立ち上がった。そして枕元の、俺の刀を手にする。
「私は、あなたの為に生きると決めました。あなたの復讐に、私の全霊を捧げようと」
「……夕、おい待て。刀を置け」
「けれど私は、あなたと離れて生きたくもない。ですから……」
「夕、言う事を聞いてくれ、頼むから!」
背筋を、悪寒が一気に駆け上がっていくのが解った。これから夕が何をしようとしているか気付いた。気付いてしまった。
「もういい、もういいんだ! 俺は、もう、お前さえいれば……!」
俺の言葉など聞こえていないかのように、夕がすらりと刀を抜く。その姿はさながら、幽鬼のようであった。
「あなた」
夕が笑みを浮かべる。あの夜のような、慈愛に満ちた笑みを。
「夕!」
「あなた、愛しています、永遠に」
そして、止める間もなく。
月の光を反射した冷たい刃が、子を宿した夕の腹に吸い込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます