第二十三幕 崩壊の足音

「辰之進、遂に姉上が懐妊されたのだな」


 知らせを受けた翌日。涼一は早速、通いの道場で辰之進に祝いの言葉をかけた。


「耳が早いな、涼一。そうか、夕から聞いたのか」

「ああ。順調なのか?」

「今のところはな。夕には奉公は休むよう言っているのだが、臨月までは働きたいと聞かん。困った嫁御だよ」


 そう苦笑しながらも、辰之進が浮かべるのは優しい表情。そこには夕への愛情が溢れていると、涼一は思った。


「いつ頃産まれる予定なんだ?」

「医者の見立てでは、次の秋頃だと」

「そうか。それまでに、叔父として何を送るか考えておかねば」

「ははっ、まるでお前の方が父親のようだな。夕の懐妊がそんなに嬉しいか?」


 だがそう言った辰之進の目に、まるで探るような光が宿る。涼一はその事に気付かず、素直に己の気持ちを答えた。


「当然だ。姉上の幸せは私の幸せだからな」

「……そうか」

「さあ、景気づけだ。今日はとことんまで付き合って貰うぞ。この道場で私の相手になるのは、師範とお前くらいだからな」

「やれやれ。仕方無いな」


 辰之進の目から探るような光が消え失せ、小さな苦笑が浮かぶ。二人は立ち上がると、道場の中央に赴き打ち合いを始めたのだった。



 時は巡り、季節は流れ、秋がやってきた。

 涼一は辰之進に、よく夕の経過を尋ねた。辰之進はそれに呆れながらも、涼一の問いに応じてくれた。

 総てが順調な筈だった。後は涼一が妻を迎えれば、それで幸福の縮図が完成する筈だった。

 だが――。


 悲劇の足音がすぐ側まで迫っている事に、この時の涼一が、気付く事はなかったのである。

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