第二十幕 見えない楔
人気のない夜の吉原を、三人は歩く。
誰も、何も言葉を発さなかった。ただ静かな時間が、そこには流れていた。
「……しっかしよォ!」
そんな静寂を振り払うように、全が声を張り上げた。無理に明るくしたと解るその声は、どこか痛々しさを感じさせる。
「太田屋の為とはいえ、まさか俺がこんな格好をするたァな! 親父が生きてたら卒倒しただろうよ!」
「……全」
そんな全に、小雪は何かを言いたげな顔をする。しかしそれは言葉にならず、小雪がそれ以上を発する事はなかった。
「笑えよ。ナァ……笑ってくれ」
虚勢はやがて懇願に。誰に向かって言っているのかすら、全には不確かだっただろう。
そこで、また、沈黙が戻ってくる。砂利を踏み締める音が、三人の耳にいやに響いた。
「……綺麗ですよ」
不意にそれまで黙っていた涼一が、ぽつりと呟いた。その言葉に、先頭を歩いていた全が勢い良く振り返る。
「とても、とても……お綺麗です。全様……」
「涼一……」
全は大きく、泣きそうに瞳を潤ませて。それからまた、ふいと前を向いた。
「……馬ァ鹿。男にそれは褒め言葉じゃねェよ」
素っ気ない言葉、それでもその声は微かに震えて。まるで涙声であるかのように、後ろの二人に思わせた。
「……こンな時でも甘えられないンだから、本当に強情さね、アンタは」
「……
そんな三人を、月だけが、ただ静かに見下ろしていた。
「……それで、通り魔も死んでめでたしめでたし、という訳かな?」
翌朝。事の次第を報告し終えた涼一に、開口一番旦はそう言った。
小雪とたろの関係については、涼一は一言も口にしていない。旦がそういった事に興味を示すとは思えなかったし、何よりこの事を広く流布するのは、二人の覚悟を汚すようで気が引けた。
「はい、総ては滞りなく」
「小雪が勝手に店を出た件は、三日間座敷牢に入って貰う事を処分としよう。稼ぎ頭があまり店を空けては、こちらも商売上がったりだからね」
「はい」
「……ただし」
そこで旦は手にした
「囮に全を使った事。それについては、きっちりとお前も処分させて貰うよ」
「……はい」
「どうせあの子の事だから、やると言い張って聞かなかったんだろうけどね。だからこそ処分は必要だ」
「……して、どのような処分を」
「小雪と同じく、座敷牢に入って貰う。ただし期限は小雪と違い一月。いいね」
「……畏まりました」
「ああ憎らしい。お前が番犬の務めを果たしたせいで、また追い出す機会を失ってしまった。お前を追い出せれば、小雪の身柄など安いものだったというのに」
事も無げに言い放った旦に、涼一は自分の選んだ答えが正しかったと知る。小雪とたろの幸せと引き換えに、自分はここから追い出されていたかもしれなかったのだ。
そして、今小雪を稼ぎ頭と言ったその口で、自分と全を引き離せるならそれを失う事すら安いと言い切ったその態度。そこから垣間見えた旦の全への執着を、涼一は改めて、恐ろしいと思ったのだった。
「それじゃあ早速、店の者に沙汰を伝えようかね。ああ憎らしい、忌々しい」
軽い口調で零しながら席を立つ旦を。涼一は、見送る事すら出来なかった。
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