第一幕 太田屋の日常

 ここは吉原。虚飾と悲哀に彩られし花の街。

 男達は一夜の戯れを求めて金を積み、女達は自由を得る為男を誘い夢を売る。

 そんな吉原を支配するは遊廓。女達に生かされ、女達を生かす、見た目ばかりがきらびやかな籠。


 ――その中の鳥達がどのように生きているかなど、籠ばかり見ている者達は知りもしない。



「ねェ、聞いた? 三村屋の鈴音の噂……」


 ここは吉原に在る遊廓の一つ、太田屋。そこでは稼ぎ時に向けて、遊女達が身を飾っている最中であった。


「聞いた聞いた。オトコと心中したんだってェ?」

「馬鹿だねェ。客に本気になったっていい事なんかありゃしないのにサ」


 口を動かしながら遊女達は白粉を塗り、唇に紅を引く。それは長くこの遊廓に暮らしてきたと解る、手慣れたものであった。


「にしたってサ……最近多くないかい? 心中」


 不意に遊女の一人が、そう言って眉を潜める。他の遊女達も同じ事を思っていたらしく、口々に不満を出し合っていく。


「やんなっちゃうね。死ぬなら一人で死んでおくれよ。客まで巻き込んじまったら、こいつも心中するんじゃないかって、客が警戒して吉原に来なくなっちまうじゃないサ」

「本当だよ。アタシら真っ当な遊女が割を食う」

「惚れた男と死ねりゃそりゃ自分は満足だろうサ。でもね、それで迷惑する奴がいるってちょっとぐらいは考えて……」

「オラァ! さっきからっるせェんだよ手前らァ!」


 そこに襖を乱暴に開け、言葉とは裏腹に愛らしい顔立ちの一人の少年が部屋の中に入ってきた。ボサボサ髪にまげも結っていないその姿は、ともすれば元服前であるようにも見える。

 彼の名はぜん。身なりは童子のようだが、こう見えてこの太田屋の立派な番頭である。


「キャッ! すみません全様!」

「ここでいつまでも能書き垂れてる暇があったら、さっさと股ァおっ拡げてオトコくわえ込む準備しやがれ! そんなだから手前らにゃ、いつまで経っても禿かむろ一人付かねェんだよ!」

「おお怖。解ってますよォ!」


 全の怒鳴り声に、遊女達はいつの間にか止まっていた手を動かし始める。それを見て全はフン、と鼻を鳴らした。

 ちなみに禿とは遊女見習いの童女の事であり、遊女の身の回りの世話を主な仕事とする。だが総ての遊女に禿が付く訳ではなく、末端の遊女には付かない事も多い。

 彼女達が大部屋で自らの手で身を整えているというのは、つまりはそういう事である。


「いいか手前ら、売れねぇからって身投げでもしてみやがれ。この俺が地獄まで行って手前らを連れ戻し、きっちり年季が明けるまで働かせるからな。解ったら気合入れて媚び売ってオトコを通わせろ、いいな!」

「はァい!」


 悲鳴に近い声で返事をした遊女達に、全が不機嫌そうに息を吐く。そして、背後に控えさせていた太田屋の下男の涼一りょういちを振り返った。


「涼一」

「はい、全様」

「あの馬鹿兄貴はまだ帰って来ねェのか」


 その問いに涼一が「はい」と簡潔に答えると、全の眉間にますます皺が寄った。全はもう一度深い息を吐くと、不機嫌さを隠さない声で言った。


「どうせ例の茶屋だろ。行って連れ戻してこい。これから開店だってのに、主人がいないんじゃ話にならん」

「畏まりました、全様」


 全の命に、涼一は、遊廓の下男には似つかわしくない生真面目そうな整った顔を崩さず頷いた。

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