グッバイ、
@PJOMY
第1話
物心がついた頃にはもう両親の仲は悪かった。いつからなのか私は知らない。毎日、父は酒を飲み、煙草を吸った。そして、暴力を振るった、母と私に。散らばった酒瓶。大量の吸い殻。鈍く響く殴った音。薄暗い電気。家の中はいつだって荒れていた。
「おい、酒を持ってこい。」
父が叫んだ。母は従う。
私は耳を塞ぎお気に入りのクマのぬいぐるみを抱き締めた。
今日も破れた布団で眠る。
朝から全てががらくたに見えた。私はどんな表情を浮かべていたのか分からない。
「おい、お前。何みてるんだよ!邪魔だ!」
気味の悪い微笑を浮かべて言う。
「こんな家に生まれて最悪だとでも言いたいのか?ああ、お前なんて…」
私からクマのぬいぐるみを奪った。そして。
ビリビリビリ。
「やめてよ!お願い!」
そんな願いもあわくとける。
「五月蝿い!黙れ!」
頭も腕も足もが取れ中の綿が剥き出しになった。煙草の煙をフーっと吐き、赤く染まった煙草の先をぬいぐるみに押し付けた。どんどん焦げていく。そして形を失うまで燃やした。床まで黒く焦げている。私は泣かなかった。何も言わなかった。ただひたすらに絶望を抱いた。何も無いものを見つめていた。
それは皮肉にも雲ひとつない快晴な日だった。
ーーなにかが割れる音がした。
瓶が割れる音だった。そして、静寂が家中を埋めた。酒瓶が割れるのなんていつものことだ。なのに、いつもの空気が崩れていく。
私は怖くなった。体感したことのないこの空気が何なのか分からなかった。もう、クマののぬいぐるみはいない。
やっと形になった言葉。「お母さん」
私はお母さんの手を握ろうとした。触れた瞬間だった。
「触らないで!」
金切り声のように頭に響いた。聞いたこともないほどの大声だった。
お母さんは蛇口が壊れたように言葉を流した。
「もう、やめて。うんざりよ。私はあなたの何なの?召使い?ただの便利道具かしら?私は感情のないロボットじゃないわ。」
矛先は私にも向いた。目はもう何も見据えていなかった。
「ああ、なんて忌まわしい子。あんたなんて居たから。こんなことになったのよ!こんな塵みたいな子産むんじゃなかった。」
地面に散らばったガラスの破片。倒されたテーブル。全部煩い。もう、この家はボロボロだった。
「あなたたちが最高に不幸になりますように。」そう、吐いて母は出ていった。
その途端、父は大声で泣き出した。まるでお乳を求める赤ん坊のように。そして、私を震えた手で抱き締めた。
「ごめんな。俺はお前をちゃんと愛している。今まで傷付けて悪かった。お前はこんな惨めな俺を許してくれるか?」
なんてことを言ったくるのだ。馬鹿馬鹿しい。そこには何もないくせに。
私は家から逃げるように学校へ行った。決して逃げ場ではなかったが家よりはよっぽどマシだった。
人の多いところは嫌いだったが、誰も私の相手をしようなんて変わった人がいなかったから都合が良かった。
私は国語が唯一好きだった。物語を読むことができるのはここしかなかった。しかし今日の授業は少しつまらない。
「人には優しくしましょう。そうしたらきっと優しさは返ってくるはずです。誰しも優しい心は持っています。」
綺麗事でしかないことを私は知っていた。母は父に毎日優しくしていたはずだ。なのに、何故母に優しさは返ってこない?何故父は優しくしない?私は優しさなんて持ってやしない。与えられることなんてなく、ただ捨てていっただけだ。
チャイムが鳴った。こんな授業の所為で気分が害されたので学校の花壇の薔薇を見に行った。小学校に薔薇があるのはとても珍しいと思う。人が少ないし、綺麗だしお気に入りの場所だ。真っ赤な薔薇は簡単に私の視界を埋め尽くした。日差しは強く、あまり長時間いられそうになかったので、陰の中にあるすぐ側のベンチに座った。
「君、いつも一人でいるよね。」
私は声のするほうを向いた。いつだってクラスの中心にいる少年だ。名前なんて知らない。女子に好かれていることだけは確かだ。黄色い声を耳障りに思っていたからこのことだけは知っている。勿論、業務連絡のみだが彼は唯一話したことのある人物だった。
突然、彼は私の隣に座り、口を開いた。
「君は999本の薔薇を送る意味を知っているかい?」
「本数によって変わるものなの?それなら知らない。」
私は、出来る限りの普通を装った。腕にある煙草で焼かれた火傷痕を手で隠した。
「生まれ変わってもあなたを愛し続けるというい意味なんだ。」
「とてもロマンティックだよね。」そう付け足してキザな笑みを浮かべている。
「じゃあ一本足して1000本の薔薇になればどうなるだろう。実際には存在しないから分からないが、たった一本足すだけで破滅的な意味になるかもしれない。誰も分からないけどそんなバタフライエフェクトのようなものが生まれる可能性だってあるんだ。この薔薇を一本足すことで世界が変わるかもしれないね。」
私は特に何も思わなかったし、話さなかった。
彼は私の目をじっと見た。
「君は、虐待されているんだよね。」
私は頷いた。一つの傷を隠したことで何も変わるはずがなかった。
なんとなく、私は彼に全て話した。誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「へえ、それは大変だね。」
彼の顔はいつもみたいに眩しくなくきっとみんなに見せたら失望するだろう。
もう、真っ黒だ。
「とでもいって欲しかったのかい?」
私はゾッとした。これが彼だった。なんで話してしまったんだろう。数分前の過去の自分を呪う。
「憐れな君を想ってこの僕が一緒にいてあげたんだよ。それなのに君は笑顔も、感謝も1mmだって見せやしない。」
不気味な笑みを浮かべていた。
「僕は君のその名前、とってもお似合いだと思うよ。不幸そうだ。」
ーーなにかが砕ける音がした。
偽りの友情はついに正体を現した。そこに形はなかった。塵屑だけが残っていた。
あなたがそう思っていることくらい知っていた。いつも私を可哀想な子、穢らわしい子としか思っていないんだろう?私を見下して、優越感に浸りたいだけなんだろう?
私はもう、家を出た。学校に行かなかった。
私の体に青痣や火傷痕が未だ痛々しく残っていた。この傷はもう、きっといえない。
ただひたすらに歩いた。外を自由に歩くことはほとんど無かったため見覚えのない川沿いを歩いていた。
すると「ミャー」とか細い声が聞こえた。小さな黒猫が私の後ろについてきていた。
「君も一人?」
「ミャー」
「そっか。」
私は猫の頭を撫でた。よく見ると、尻尾を怪我しているようだった。
「君も一緒だ。痛いね。優しい人に拾ってもらえるといいね。」
もう一度手を猫の頭に置いて、後ろを向いた。
「じゃあね。」
「ミャー」情けない声で痣だらけの足に擦り寄ってきた。
途端雲行きが怪しくなった。
ポツポツ。アスファルトが雨で滲んだ。冷たい雫が体に打ち付ける。私は雨が避けられるところを探す為、辺りを見渡した。橋の下なら都合が良さそうだ。私は猫を抱いて、思い切り走った。足に合っていない靴は水浸しになって血が滲んでいた。
こっそり家から盗んできたパンを食べた。そして、千切って地面に置いた。黒猫は徐々に近づいて食べた。
ただ虚無の時を過ごした。いくつ日が経ったか、分からない。私が眠って、目を覚ました時にはもうあの猫はいなかった。急いで外に出ると私の同い年くらいの娘をもった家族がいた。抱いている猫は確かにあの猫だった。
私は安堵した。
ーーなにかを失う音がした。
仲間がいなくなった。いや、所詮私は餌をくれる人でしかなかった。呟いた。
「幸せになってよ。」
ついに完全な一人になった。
私はエチュードを始めた。
「ねぇ、君は何を求めているの?」
「私は誰かの温もりが欲しかったんだよ。でも、もうそんなものいらない。私は何も要らないのさ。だって私は何も持っていないのだから。」
「そうか。君を一つ消し去って、だれかにプレゼントするのかい?」
「そんなわけないじゃないか。それを誰かに肩代わりしてもらうんだ!それが私の一番の願いだ!」
これが私の精一杯の自己表現(一人遊び)だった。ああ、もう…
ーーなにかが壊れていく音がする。
「よく、ここまで生きた」と私を褒めて。
ほら、私はもう、十分不幸よ。私は何も持っていないわ。これ以上失う物なんてないの。
ずっと、大っ嫌いだったよ。
やっとこの時が来た。じゃあ…。
グッバイ、世界
グッバイ、千棘
ああ、今やっと生きている。
グッバイ、 @PJOMY
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