10天使

 立ち続けるのに疲れたと宣った真奈により、アルマたち三人は展示室を後にした。坂を下ったところにある、格式高い和食料理店へと足を運ぶ。真奈はこの店の常連客らしく、店のものも彼女の顔を覚えているようだった。

 対して、このような畏まった店に入ったことのないアルマと加絵は、片や興味深げに、片や委縮しながら個室席へと案内されていった。三人は真奈を一人にする形で、相対して腰を下ろした。メニューは既に決まっているのか、お冷が運ばれてきた後、暫くしてから次々と皿が運ばれてくる。一通り品が出そろうと、淡い桃色の着物を着た女中らしき店員は静々と下がって行った。


 真奈の口から二人に告げられたのは、〝天使〟という存在に関する事柄であった。この星に存命している脊椎動物の進化の過程では、到底派生しえないような種族であり、かつ、人間よりも高度な技術でその存在を補わなければ、子孫を残していくことすら叶わないもの、それが〝天使〟なるものであるとのことであった。とどのつまり、この〝天使〟という、まるで空想上の生き物のようにも思える生命体は、事実十三人に一人というなかなかの含有率にて現代社会の中を闊歩しており、日常生活の中にものの見事に溶け込んではいるものの、その正体は実は人工物であったという、凡そ理解に苦しむような生命体だということである。


 勿論、アルマは天使というものが実際に存在していることは知らなかったし、まさか自分の隣に本物とその関係者がいるなどとは思いもよらず、取り敢えずのところ驚きの反応を見せることしか出来なかった。しかしながら、どこか既視感というか、聞き覚えのあるような単語に思えて、独り悶々とした思いを胸の内に燻ぶらせていた。


 この天使なるものには、真奈が人工物であると告白した通り、その創造主、乃至作成者が存在することになる。加絵の言い分からすると、天使が出現し始めたのは、ホモ・サピエンスが跋扈するようになった原始的な時代から、古代文明が発展するようになった頃合いという実に幅広く曖昧な時期であり、しかし決して当時の知的生命体が天使を創造することは不可能な時代であった。無論、同時期において既に天使たちは現代の技術を超えるテクノロジーを携えて生活していたために、もしも当時の知的生命体が天使を作り上げたなら、空の彼方からやって来た宇宙人くらいしか、その所業を成し得なかっただろう。

 しかし、天使の創造主はその実、現代に生きる知的生命体、真奈の主張によれば、彼女の師匠がそれに該当するとのことであった。つまり、結論からいうと、〝天使〟達は、現代にて真奈の師匠の手により創造され、気の遠くなるような「時の旅」を経て、彼の地に定着したということである。


 一体全体、どういうことだ、とアルマは問いたかった。そもそも、真奈の師匠とやらが天使を作りだした意味が理解できなかった。気紛れだと言われてしまえばそれまでなのだが、ならば何故それらをタイムトラベルさせたのか、はたまた根本問題として、人間と鳥の羽を無理矢理融合させ、尚且つ傲慢にも意識や人格を持ち合わせるように創造することは、人間の倫理観に相反するのではないかと、異を唱えたくなるのもやむを得ないだろう。


 過去へ向けたタイムトラベルに関する問題として挙げられるのは、タイムパラドックスである。すなわち、現代から過去へ飛んだ者が過去の事象へ与える影響が、そのまま未来へと反映されて未来改変が起こり、既に未来で起こっていた事実が無くなってしまうにもかかわらず、現に過去を変えた者の記憶にはその存在が残っているという問題である。もっと分かりやすい例でいえば、一人の男が過去へ飛び、自分が生まれる前の母親を殺してしまうと、未来においてその男は存在しないはずなのに、当の男がその時点で存在しているために、彼の存在が宙に浮いてしまうという謎現象が挙げられるだろう。


 このタイムパラドックスを解消するためには、現実によく似たパラレルワールドの過去へと飛ぶこととなるが、真奈の説明によると、彼女の師匠はこの天使が跋扈する世界で生を受けたようであることから、その師匠が天使の創造主であるという証明が土台から崩れ去ることになるのである。

 既に天使がいる世界であるにもかかわらず、その世界でわざわざ天使を造り、それらを過去へと放り込んだ。この字面だけを見ると、この上ないキチガイの所業のように思えなくもないが、確かに、彼が造らなければ天使は存在しなかったことになり、既に天使が存在している世界と矛盾を起こしてしまう。しかし如何せん、見本は彼の周囲にいたし、あったのであるのである。ならば天使などという謎生命体を造ってしまおうと考えた狂人は一体誰なのか、と問わずにはいられなくなるのだ。


 真奈はその旨の詳細に関しては言葉を濁した。アルマ或いは加絵に対して言いにくい、果ては伝達禁止事項とされているのかもしれないし、単に知らないだけなのかも知れなかった。どちらにせよこれ以上は彼女の口から訊き出せるようなことはなく、知りたいのであれば自分で五里霧中に探し出すしかないようであった。アルマとしては、是非ともその師匠とやらと一談交えて、「人間の背中に羽を生やした意図」を問い質してみたいところである。




 閑話休題。真奈がアルマと加絵を犯罪の一端に事も無げに巻き込んだ理由について、彼女はとあるパワーワード発言しなさった。


「あれは犯罪じゃないよ?」


 法律も吃驚なこの主張に、アルマは失笑するしかなかった。そして昨晩、課題の片手間に食したマドレーヌの味を思い出す。

 微かな化学薬品の香りが鼻腔を擽る。それは舌の上の甘味と相まって、不快感を生成していた。総評としては、顔を顰める程の不味さではなかったが、好きにはなれない味であった。

 昨日真奈から貰った手作りのマドレーヌは、彼女の好意もあるだろうというアルマの良心によって、アルマの腹の中に全て収められた。このブツで腹を壊さなかったのは不幸中の幸いといえるだろうが、次回からは遠慮願いたいと心から思うような代物であった。


 考えたくはなかったが、アルマの脳内に浮かんできたのは、真奈の猟奇的側面である。普段は小動物のように酷く大人しく、周囲に怯えさえしているような彼女だが、その本性はマッドサイエンティストなるものであった、などと想像した辺りで、アルマは肩の震えが止まらなくなった。口元が緩んでしまうのは、ご愛嬌というものだろう。


 アルマの中で「彼女に何を食べさせられたのだろう」という思考が一瞬過ぎるも、多次元宇宙の如く沸々と湧いてくるアルマの思考の中に、防腐処理をされる少女と同じ部屋で、微笑みながらマドレーヌを作る真奈の姿が浮かび上がってきた。そしてそれは真実なのだろうと、アルマは根拠もなく納得する。


 加担はしていない、これは犯罪ではない。この彼女の言葉を正しいと仮定するならば、先程展示室で真奈が意味深な視線をアルマに寄越してきたことから、彼女の価値観や倫理観が、人の常識に当て嵌まっていないのだということが導き出される。

 何故当て嵌まっていないのか。これを反社会的人格と決めつけてしまうには、アルマの中でどうにも違和感を拭いきれなかった。寧ろ、彼女のことを人間とは別の生命体と考えた方が、しっくりと当て嵌まるのである。しかし、彼女が〝天使〟でも〝宇宙人〟でもないと断定していた辺り、そこまで〝人間〟と懸け離れた遺伝子を持っているようでもないらしいのである。


 兎にも角にも、真奈は純粋に、純真に、純白に、二人が、特に加絵が気にしていた美姫の行方を、親切にも教えていたということになるのである。この行為が二人を法に縛る結果になることも厭わず、否、人間の定めたルールがこの三人には適応されないと確信して、真奈は二人を人形展へと招待したのである。また、彼女が昨日の待ち合わせに遅れてやってきたのも、彼女が言った通り、単にマドレーヌを作っていたからであり、作っていた部屋が偶々防腐剤が蔓延している部屋だっただけで、決して処理自体を手伝っていたからというわけではない。

 この二つの事柄を合わせて鑑みると、真奈は嘘をつかない、或いはつけない人物だということが考えられる。


 とはいえ、ここまでの推論は真奈の言葉が真であった場合のものであるため、彼女がアルマたちにハッタリをかましていたのであれば、サイコパス宜しく虚言壁の確信犯になる。加担していないという言葉も当然怪しくなり、もしかすると嬉々としてあの少女の「天使化」を手伝っていたのかも知れないのだ。それ故に夜更かしをし、その証拠を隠すために急いでマドレーヌを焼いたとも考えられなくもない。


 ここで邪推するだけで判断できないのは、真奈の服の袖が汚れていたという事項についてである。昨日のアルマは真奈がマドレーヌを作っている途中に袖を汚したと発言したが、彼女が犯行に加担していれば、その作業の途中で服を汚した可能性もあるのだ。しかし、それに気付いた真奈が、その汚れを隠すためにマドレーヌを焼いたというのは些か筋立てが弱く、ならば着替えるが良しとすれば済むことであるため、マドレーヌは恐らく、夜更かしの証拠隠滅であったと考えられる。

 他にも、「うっかり気付かなかった☆」という可能性もあり得なくはないが、今まで真奈は二人に対して上手く本性を隠して接してきた上、かなり神経質なそぶりを見せていた故に、犯行の証拠を残すような性格をしているとは考えにくいのである。翻って、急いで夜更かしの証拠隠滅のためのマドレーヌ作成を行い、そのまま家を出てきたために、袖にマドレーヌ作成時の汚れが付着していることに気付かなかったと考えた方が、まだ自然な流れであると言えた。


 結局どちらが正しいかなど、断片的な情報しか持ち合わせていないアルマに分かるはずもなく。彼女は考えるだけ無駄であると悟り、強硬手段を取ることにした。


「真奈は嘘を吐けない」


 蚊の鳴くような声で紡がれた言葉。しかし、それは確かに事象に干渉した。琥珀色の瞳で真奈を射止め、口の端を歪める。


「真奈は罪を犯した?」


「いや? 私は罪を犯してないよ」


 真奈も嗤う。アルマは彼女の態度に違和感を覚え、顔を顰めた。


「怖いな。でも、言い表せない高揚感がある。これが〝原初〟の能力なんだね……」


 真奈は恍惚と哂う。刹那、アルマは世界が切り替わっていることに気が付いた。隣にいる筈の加絵が消えていたからである。真奈はドロリとした黒目をアルマに向け、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。


「あなたの知りたいことは分かった? それとも、分からなくなった? でもね、一つだけ言っておくけれど。『私はあなたに敵わない』」


 艶やかな黒髪を手櫛で梳き、困ったように眉を下げる。


「本当だよ? だって、私はあなたの被造物の被造物なんだもの」


 敵ったら下克上も吃驚だねと、真奈は微笑む。アルマは彼女が嘘を吐いているようには見えず、首を傾げた。首辺りで切り揃えられた銀糸が、さらりと右へ零れる。


 知らないのに知っている。ここでもまた、同じことを考える羽目に陥るとはアルマも思っていなかった。あの片眼鏡コスプレ男と、長髪の少女。二者にどれほどの共通点があるのか、今のアルマには分からない。しかし、いずれ分かるような気も、どこかでしていることは確かである。何と言ったって、アルマの周りが動き出しているのだから。


 ならば、アルマは忘れているだけなのか。アルマは何を知っていて、どうして忘れてしまったのか。アルマは一体、何者なのか。

 恐らく、真奈はそれを教えてはくれないのだろう。いや、教えられないのかもしれない。彼女はアルマのことを〝原初〟と述べた。つまり、始まりであり、その被造物の被造物である彼女は、始まりを知識としては知っていても、眼で見て耳で聴いてといったように、その身体でもって経験はしていないということになる。だから、教えられない。だから、アルマ自身が思い出さなければ、それは植え付けられた記憶にしかなり得ないのだ。


 故に、アルマは時の進行を是としていればよいのである。


 アルマはこの話を打ち切った。すると、彼女の隣に惚けた顔をした、ツインテールの少女が出現する。アルマは彼女の存在を横目で確認すると、真奈に向けて琥珀色の瞳を光らせた。


「それで、さっき加絵に『どうして』って聞き返したのは、加絵が当事者――天使だから、なんだよね?」


 真奈は薄く嗤い、アルマと同じように目を細めて瞳を怪しげに光らせる。


「そう、そういうこと」


 意味深に笑い合う二人の端で、加絵は唯、頭上に疑問符を浮かべるばかりであった。

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